第73話 さよならユウキ
ちゃぽん……。
大事件のあとの深夜……関係者の手によって、ユウキは闇の塔の裏の温泉に浸された。
今、ユウキの体は元の三十五歳の男のものに戻っていた。
「しっかりするんだ、ユウキ君!」
「ユウキ、死なないで!」
シオンとゾンゲイルが湯船の中でユウキを支えながら叫ぶ。
「う、うう……」
ユウキの意識レベルは低く、断続的に気を失っている。支えていないと湯の中に沈んでいきそうだ。
今回の事件では相当な無理をしたため、心と体に大きな傷を負っているのだろう。
ちょうど闇の女神の侵食から生還したところで性別転換薬の効き目が切れ、本来の男性ボディを取り戻すことができた。それはユウキの精神安定のためにプラスに作用しているはずだ。
だがそれ以上にマイナス要素が大きい。
オーク百人に犯された傷跡は、男性化した今も生々しく残っている。青あざ、切り傷、擦り傷で一杯だ。おそらく肉体の内部にもかなりのダメージを受けているものと思われる。
しかしそれ以上に、効果一万倍の媚薬を飲んだり、大量の人格テンプレートを同時起動したり、挙句の果てには闇の女神に精神を犯されたりしたことによる心と脳神経へのダメージは計り知れない。
早急にトータル的な癒しが必要だ。
そのための癒し人員はすでに何人かこの温泉に訪れていた。
まずは迷いの森の精霊イアラとその従者の巨大カエル、ケロールだ。
『お、おら、迷いの森の精霊様を呼んでくるだよ!』
ソーラルの祭壇からダッシュで先行して塔に帰ったラチネッタによって森から呼ばれてきたのだ。
「ケロケロ……」巨大蛙ケロールは現在、少女の体に変化しており、雨ガッパ状の上着を素肌の上に羽織っている。
温泉の淵に座り、足を湯に浸けているイアラは、擦り切れた巫女装束風のぼろ衣を着ている。
「わらわの自然エネルギーをマシマシに温泉にチャージしておいたぞ。ゆっくり浸かって怪我を癒すがよいぞ」
その他にもユウキに癒しを提供できる人材が特別に闇の塔に呼ばれている。
まずは赤ローブの魔術師、ラゾナだ。
「こっ、ここが伝説の闇の塔なのね……光栄で涙が出てきそう……温泉も完備なんてさすがね……って、そんなことで驚いてる場合じゃないわね。ユウキ、これを飲んで!」
ラゾナは懐から取り出した媚薬分解ポーションをユウキに飲ませようとした。だが温泉の淵に後頭部を乗せたユウキは気を失っており、せっかくの水薬は口の端からこぼれ落ちてしまう。
「仕方ないわね……よいしょ」
ラゾナは一瞬のためらいののちに赤ローブを脱ぐと湯船に入り、ユウキに口移しでポーションを飲ませた。
ゾンゲイルが目を丸くする。
「……私がやるわ。貸して」
ゾンゲイルはポーションを奪おうとした。
「製作者の私が飲ませた方が効果が高いのよ」
「そう……なら、仕方ない……」
ゾンゲイルはお湯の中でグッと拳を固めつつ、魔女から口移しでポーションを流し込まれるユウキの耳元に応援を囁いた。
「ユウキ、頑張って……」
癒し力を持つ次なる人材として、なんと姫騎士ココネルもこの温泉に呼ばれていた。
念のため、部外者たちには『塔の死活を決める大穴のポータルについて絶対に口外しない』という魔術的な契約を結んでもらっている。
だが闇の女神との契約をも有耶無耶にする力を持つ神の子に、果たしてシオンの魔術的契約がどこまで意味を持つのかは定かではない。
強烈な光の力の来訪に戦々恐々とするシオンを傍目に、ココネルは片手を湯に入れるとかたわらのエルフを見上げた。ココネルの護衛として、エクシーラも闇の塔に来ているのだ。
「ん。気持ちよさそう。僕も入っていい?」
「いけません! このような怪しげな湯に大切なお体を浸すなんて……うっ」
エクシーラは脱衣所に向かうココネルを引き止めようとしたが、ふいに脇腹を押さえてうずくまった。
「ん。エクシーラも湯に入った方がいい。怪我が治る」
「陛下の御命令といえども人前で肌を晒すなど……」
「ん。その怪我、このあとの仕事に差し障りそう」
「そ、そうね……仕事のためなら……」
エクシーラもココネルと共に脱衣所に向かった。彼女たちはしばらくするとタオルを巻いて湯船に入ってきた。湯に使ったエクシーラは一瞬、苦しげな声をあげたが、やがてそれは安らかな吐息へと変わっていった。
ちなみに怪我人はエクシーラ以外にもいた。ソーラル迎賓館で大怪我を負った暗黒戦士の双子だ。
そのムコア、ミズロフ両名は今夜、悪魔、邪神たちの瘴気をかなり浴びている。そのため精神に変調を来たしいるのか目が虚ろだ。闇への耐性を持つ暗黒戦士でなければ完全に発狂していただろう。
「さあ二人とも、この温泉に入って!」
双子を担いできたアトーレは暗黒鎧を脱ぐと、怪我に触らないよう気をつけてムコア、ミズロフを湯に入れた。
「マスター・アトーレ……かたじけない」
アトーレに介抱されながら、暗黒戦士の双子は肩まで湯船に浸かった。
「ん。ゴゾムズ、この温泉の浄化力と治癒力を高めて」
ココネルの祈りにより、自然エネルギーに加えて神聖な癒し力が温泉に付与された。
「ふあああ。いい湯だべ……」
いつの間にか頭に手ぬぐいを乗せて湯に浸かっていたラチネッタが温泉の縁に顎を乗せて蕩けるような声を発した。
「いんや……気持ちよく浸かっている場合ではないべ……おらがユウキさんをマッサージするだよ」
ラチネッタはお湯の中でユウキの足を掴むと、軽めのリフレクソロジー的なマッサージを加えた。
的確に足裏のツボが刺激され、ドラッグや激しい性行為によって滅茶苦茶に乱れていたユウキの自律神経の調子が整えられていく。
そこに掛け流しの清らかな湯がこんこんと補給されていく。
魔力貯蔵量に余裕が出てきたため、この温泉は今、完全オートで魔術的に湯が供給され続ける仕組みになっている。
また最近のゾンゲイルの地道な土木作業により、この温泉は当初の三倍ほどに拡充されている。
よってこの闇の塔の裏の温泉にはまだまだキャパシティがあった。
「ケロケロ……気持ちよさそうだケロ……ご主人様も入るケロ」
「そうよのう……確かに、わらわが入った方が自然エネルギーが強くなるゆえ、それも一興かもしれぬのう」
ケロールおよびイアラも脱衣室に向かった。しばらくしてイアラは胴体にタオルを巻いて入湯した。ケロールは全裸で平泳ぎを始めた。
また湯船は狭まったが、ココネルとイアラという癒し力のある人材が入湯したことにより湯のヒーリング力はいやましに高まっていく。
イアラから染み出した自然エネルギーによって深い森を思わせるフィトンチッドの香気が湯気に漂う。またココネルの神聖な後光が水分子に浸透していき、湯のさらさら感が高まっていく。
と、ラゾナがユウキから唇を離した。
「ぷはあ……いい感じよ。ポーションは全部飲ませたわ。私もユウキの体内に残る媚薬をできる限り魔術的に分解してみたわ。あとはユウキの体力次第ね」
「ユウキ、頑張って……」
ゾンゲイルは湯船の中で寄り添いながら応援した。すべてはいい方向に向かっているよう思われた。
*
だが……ふいにゾンゲイルが叫んだ。
「心臓が! 止まってる! ユウキの!」
「な、なんだって! ユウキ君、しっかりするんだ! うわっ、本当に止まってる!」
緊迫した空気が流れる中、ユウキは湯から地面へと引き上げられた。
その全裸のユウキに、緊急治療が加えられる。
心臓マッサージ、人工呼吸……シオンが首を振る。
「ダメだ! どうしても息を吹き返さないよ! こうなったら……みんな離れて! いや、その前に僕も濡れた服を脱がないと……」
シオンはずぶ濡れのローブを漏電防止のため脱ぎ去ると、ユウキの胸に指を当てて呪文を唱えた。
「電撃よ、この者の心臓をマッサージせよ!」
瞬間、ユウキは陸に打ち上げられた魚のようにびくんと痙攣した。
一瞬、退避していたゾンゲイルが駆け寄ってきてユウキの胸に耳を当てた。
「ダメ! まだ心臓が動かない」
「電撃よ、この者の心臓を強くマッサージせよ!」
「あっ、動いた。ユウキの心臓が動いた!」
どうやら最悪の事態は免れたようだ。
短時間で蘇生されたため、脳へのダメージは少なそうである。
だが……。
ユウキは息を吹き返したものの、その顔は青ざめ、呼吸も浅く早く苦しそうなものへと変化していった。
「ど、どうなっているんだい? ユウキ君がどんどん死に近づいているように見えるよ!」
シオンはパニック寸前の声を発した。
癒しの技に一家言持つ関係者がユウキを囲み、あの手この手で診察した。
薬学的な知識を持つ赤ローブの魔術師ラゾナ。
奇跡によってたいていのことは癒せるココネル。
年長の冒険者として一通りの緊急医療の技を持つエクシーラ。
彼女たちはしばらくして一つの結論を出した。
エクシーラがうつむいてつぶやく。
「残念だけど……このままでは彼は死ぬわ」
「そっ、そんな! 何か手があるはずだよ!」シオンがわめく。
だがエクシーラが説明した。
「先の儀式で相当な無理を重ねたようね。ユウキの内部の神経回路は無理やり広げられて光と闇に接続され、ズタズタに乱れているわ」
ココネルがうなずいた。
「ん。しかも光と闇の相反する力が、今も大量にユウキに流れ込んでる」
「そ、そうか……契約は破棄されてもエネルギー回路がユウキ君の中に残ってしまったんだね……」
よく見てみると、死にかけて痙攣しているユウキから、ココネルが発しているような聖なる後光が放射されている。
また恐るべきことに、後光が弱まるのと入れ替わりに、闇の女神を呼び出す魔法陣が彼の体の周りに淡く輝くのが視認できる。
このような強い光と闇のエネルギーを人間が一身に受け止められるわけがない。そんなことをしたら、その者は強すぎる電流を流された電球のように焼き切れてしまうだろう。
それが癒しの力を持つものたちのトータル的な診察結果であった。
下級暗黒戦士の手当てを終え、ユウキに付き従っていたアトーレが目に涙を滲ませた。
「ユウキさん……私たち皆を助けるために……うう……」
「諦めたらダメだよ! みんなでユウキ君を助けるんだ!」
だが乱れたエネルギー回路に大量の光と闇のエネルギーがインプットされ続けている現状をなんとかしない限り、ユウキは助からない。そしてこの世界にいる限り、ユウキには大量の光と闇のエネルギーが流れ込み続ける。
「…………」
解決策はどこにも無く、ユウキはこのまま温泉の側で死すべき運命かに思われた。
しかしユウキが絶命する前についにシオンが一つのアイデアを得た。絶体絶命のユウキを救うための最後の手段を……。
「そ、そうか……わかったよ……ユウキ君を助けるために、僕たちが何をすべきか……」
「教えて! 何をすればいいの? 私、ユウキを救うためなら」どんな過激なことでもやるという狂気にも似た覚悟をゾンゲイルの瞳はたたえていた。
「私も……いや、我も……ユウキ殿を救うために我が全ての暗黒を捧げよう」アトーレもひび割れた声で囁いた。
「おらもなんでもするだよ!」ラチネッタも、そしてその他の関係者も、体からほかほかと湯気を立てながら決意の言葉を述べた。
シオンはうなずいた。
「わかったよ。それじゃあ……行こうか……皆でユウキ君を運ぶんだ」
「どこへ?」ゾンゲイルが問いかける。
シオンはいまだ夜空に向けて魔力を放射している闇の塔、その先端を指さした。
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