第34話 ゴゾムズ教/エルフの歌声

 仮面の女を星歌亭に連れていくスラムの道すがら、ユウキは再度、念押しした。


「星歌亭、今は開店準備中だからな」


「ん。それでいい。外を出歩けるのは、いつも一人でミソギしてるこの時間だけ」


「よくわからないが……その大事な自由時間を使ってまで見たいものか。星歌亭」


「んー。見たい。建物だけでも」


 仮面の奥から並々ならぬ情熱が感じられる。


「今の時間、見れるものといえば、経営者が花壇をいじってるところか、従業員がランチ営業の仕込みをしてるところぐらいだぞ」


「それでいい」


「でもなんだってそんなに星歌亭に行きたいんだ?」


「ん。噂を聞いた」


「噂? まさか悪い噂か? 確かに怪しいお酒は振る舞ってるが危険ドラッグというほどでもないぞ」


「いいや。『神の力』によらず人の心を賦活する歌がその店では流れているという噂。僕の国にまで届いてる」


「ああ……確かに、聴くと元気になるライブが月金でやってるが……ていうか逆に、『神の力』でもそんなことできるのか?」


「ん。できる。それが僕の仕事」


「ということはあんた、宗教関係者かよ」


 ユウキは思わず仮面の女から距離を取った。


 しかしグローバルなこの時代、人の信仰に偏見を持つのはよくないことかもしれない。そう考え直し、また距離を元に戻してスラムの路地を歩きつつ聞く。


「ええと。あんたは何を信仰してるんだ?」


「ん。普通。ゴゾムズ神だよ」


「な、なんだそのゴゾムズ神ってのは」


「ん。知らないの?」


「あまり、な」


「んー。大異変後、確かに教会の力は弱まってる。でもゴゾムズ信仰はこのアーケロン大陸の文化の基軸なのに」


「ま、まあ……いろいろあるんだよ。よかったら教えてくれ。ゴゾムズ神について」


「わかった。簡単なこと。超時空神ゴゾムズ……それは全てを統べる」


「なるほど、一神教的な感じだな」


「ゴゾムズは一であり無限。それでいて無限の断片のその一つ一つでもある」


「多神教的な側面も持ち合わせている、と」


「ゴゾムズはすべてであり、草木はゴゾムズであり、僕もゴゾムズ。君もゴゾムズ」


「は? オレがゴゾムズだと?」


「うん。わかってくれてよかった。教化できてよかった」


「教化されたのか、オレ」


「うん。自分がゴゾムズであるという叡智こそがゴゾムズ教の核心。それを知った君はもう立派なゴゾムズ教徒」


「…………」


 いつの間にかよくわからない宗教に加入してしまったようだ。


 まあ実家には仏壇と神棚があるし、クリスマスにはケーキも食べる。ここにゴゾムズ信仰が加わっても特に問題はないかもしれない。


 いや……何かをイケニエに捧げるような邪教だと困るな。


 ユウキはさりげなくゴゾムズ教徒の生活について聞き出した。


「ん。日曜に教会に行き『ゴゾムズの祝福』を受けるのが、教徒の基本的な生活」


「『ゴゾムズの祝福』って、受けるとなんかいいことあるのか?」


「んー。幸運が底上げされる。教会の司教のレベルに応じてのことだけど」


「司教?」


「ん。司教は各教会の責任者。ハイドラの統合教会の教主によって任命される」


「教主?」


「んー。現在はハイドラ聖騎士団の団長である姫騎士が教主を兼任している」


「姫騎士?」


 聴き慣れない単語に対し何度もオウム返ししてしまった。


 だが仮面の女は面倒臭がらず『姫騎士』の由来を教えてくれた。


 千年ほど前のこと……当時まだ小国だったハイドラの騎士団長に聖騎士ライフという女性がいた。


 聖騎士ライフは厳しい修行の果てにゴゾムズ神との一体化を果たし、現人神となった。


 その神の力は、エグゼドスの闇の魔力と撚り合わされ、邪神を封印するために使われた。


 それにより聖騎士ライフは七英雄の一人として祀られることになったのである。


「へー。すごい奴もいたもんだな」


「ん。そして……」


 邪神との戦いを終えた現人神ライフは、エグゼドスと別れてハイドラに戻り、仲間の暗黒戦士と共にハイドラ中興の祖となった。


 神の力がもたらす圧倒的カリスマと、暗黒評議会のサポートにより、ライフはハイドラの最高権力者となり、さらにゴゾムズ教会の教主となった。


 しかもその神の力はライフの死によっても消えなかった。


「現人神の力と、ハイドラの国璽は、代々のライフの末裔の娘に受け継がれていく……」


「それが姫騎士ってわけか」


「そう。彼女は騎士団長であり、教主であり、ハイドラの元首でもある」


「まじかよ。やばい存在だな」


「ん。実はお飾り。矛盾をまとめ上げるための偶像」


「そうなのか?」


「うん」


「まあなんにせよ人の上に立ってるわけだから、偉いと思うぞ」


「ん。そんなものかな」


 などなど、いろいろ喋っているといつの間にか星歌亭に着いていた。


 朝の星歌亭ではエクシーラと若旦那がうるさく口論していた。


 *


 花壇の前で、エルフ二人が手を振り回しながらわめきあっている。


「この店、いつまで営業を続けているの? 早く店じまいしてと言ったでしょ!」


 マントにレイピア、額にサークレットという出で立ちのエクシーラがイライラと告げた。


 若旦那は胸に手を当てて精一杯の反論をしていた。


「姉さんは何もわかってくれないんだ! この店をここまで軌道に載せるのに私がどれほどの苦労を」


「…………」


 仮面の女はユウキを見た。


「なんだか揉めてるみたいだな。いつもはこんなんじゃないんだが……ちょっと割って入ってみるか」


 ユウキは花壇の前のエルフ女に近づいて声をかけた。


「お、エクシーラじゃないか。元気そうだな」


「あ、あなた、ユウキ……! どうしてここに」


「一応オレもここの従業員だからな。この店が無くなればオレの収入が減る。だからオレは店じまいに反対だぞ」


「な、なによ。あなたほどの男がわからないとでもいうの? 今、世界中の闇の力がソーラルに結集しているのよ」


「そうなのか?」


「そうよ。今、ソーラルは恐るべき力の坩堝……ヴォルテックスと化している」


「というと?」


「まず月末にはあの武闘派集団、平等院の巨大集会が行われるわ」


「ああ、百人組手な」


「知っているのね。さすが闇の塔の塔主代理と言っておくわ……だけどそれだけじゃない。先日は何者かの手によって、数百年ぶりに大穴の第三層が活性化されたのよ」


「ああ……誰かが秘薬庫でも使ったかな」


 ユウキは自分の女体を思い出し、ふと違和感を覚えて胸と下着の位置を調整した。


「ってユウキ……そ、その体! 一体どうしたの?」


「なんだ、今気づいたのかよ。ちょっと女体化したんだ」


「えええええっ? 女体化?」


「姉上は老眼なんだ。許してやってくれ」


「ろ、老眼なんかじゃないわよ! このサークレットを通して物事の本質を見ることに慣れてるから、外見の変化に気づくのが遅れただけ!」


「まあ別に老眼でもいいじゃないか。オレはそんなことは気にしないぞ」


「老眼じゃない!」


「とにかく星歌亭は潰さないでくれ。国外までこの店の噂は届いてる。だよな?」


 ユウキは少し離れたところに佇んでいる仮面の女に声をかけた。彼女はうなずいた。


「ん。そう。私の国にもこの店の評判は届いている。一度、聴いてみたい。神の力によらず人の魂を震わせる神秘の歌声」


 ユウキはエクシーラを見た。


「な。よその国にまで高名が届きつつあるこの星歌亭を潰すだなんて正気の沙汰じゃないぞ」


「もったいないのはわかってる。だけど仕方ないのよ。私にはどうしてもソーラルでの本拠地が必要なんだから」


「噴水広場の宿屋にずっと泊まってたらいいだろ。たまに遊びに行ってやるから」


「そ、そんなこと頼んでないわよ……だけどあなたが来たいというなら……遊びに来てもいいわよ……」


「いつが都合いい?」


「ええと……いつでも……じゃないわよ! ハイドラの姫騎士と大オーク帝国の軍部までが今ソーラルに来てるのよ! 昨日は大穴からとんでもない量のミスリルが採取されたのよ。黒死館のゴーレムもたびたび街中で目撃されてるわ。そして私への襲撃は日に日に増えつつある! その上、闇の塔の塔主代理までここにいるじゃない!」


「つまり?」


「アーケロン中の勢力が今、このソーラルに結集しつつあるのよ。闇の力、光の力、さまざまな力が今、まるで錬金術のフラスコの中で混ぜ合わされて熱せられているようよ! もうすぐ化学反応が始まり、激しい戦いが始まるわ……」


「ふーん。まあそれはそれとして、だからってなんでこの星歌亭があんたに接収されなきゃならないんだよ」


「……今後、私はもっともっと多くの刺客に命を狙われることになるわ。それはいい。この破邪のサークレットには闇を引き寄せる性質があるのだし、それを迎え撃つのが世界最高齢冒険者にして冒険者ギルドの最高顧問たる私の義務だもの」


「がんばれ」


「だけどそのためにはどうしても本拠地が必要なの。そもそもこの建物は、私の基地にするために手に入れたものなのよ。平和な時代が思いがけず長く続いたから、この歳の離れた弟に一時的に貸してあげていただけ。さあ……今こそこの建物を私に返しなさい!」


「うううう……いやだ! この私の星歌亭は冒険者ギルドにも貢献しているはずだ。歌によって冒険者の心を鼓舞することによって」


「それは認識しているわ。だけど安心して。あなたのその仕事は私が受け継ぐから」


「ふふふふ……とうとう姉さんも歳で頭が弱ったようだね。この店の従業員の歌は今や冒険者に必須のものとしてソーラル名物と化している。一方でただ戦いの中で歳を重ねただけの、恋も知らぬ姉さんに何ができるというんだ……」


「このハープをご覧なさい」


 エクシーラは鞄から小さな竪琴を取り出した。


「これは、七英雄の一人、吟遊詩人モエラの竪琴よ」


 繊細な作りのハープを見た若旦那はワナワナと震えだした。


「ば、バカな。悪鬼羅刹ですらその音色に涙を流すと言われている伝説のアーティファクトじゃないか……」


 若旦那が顔に汗を滲ませながらそううめいた。


 エクシーラは花壇の脇に積まれていたレンガの山に腰を下ろすと、優雅に竪琴を爪弾きはじめた。


「さあ……私の歌をお聴きなさい。ららら……」


 強力な魔法の力がこもったエルフの歌が花壇の周りに溢れ出した。


 その高い演奏技術と美しい歌声にユウキは圧倒され、花壇の花々は魔法の力によって生気を付与されより鮮やかに色づいていった。

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