第33話 スマホのアップデート

 見ず知らずの女にキスされたことで生じたふわふわ感は、翌日になると消失した。


「…………」


 今日はテンションが低かった。


 一応、朝のナンパのためにソーラルの噴水広場に来てみたが、今日は特に面白いことは起きない。そんな気がしてならない。


 そういえば、仮面の女とここで会う約束を交わした気がするが……なんとなく彼女は来ない気がする。


 オレの気分も今日は一日、低空飛行な気がする。


 ……よくあるんだよなあ。


 朝から、自分の人生が何もかも無意味に感じられる、そんな日。


 ほんの少しの小さな行動すら面倒くさくだるい日。


 そんな日はよくあるしそれがオレの日常だ。


 そんな日常のダルさをスキルでなんとかごまかしたい。


 とりあえず『深呼吸』『集中』『地道さ』『粘り』を発動する。


 そしてとりあえず、顔を上げることに力を注ぐ。


「よし……」


 しばらくしてなんとか顔上げに成功した。


 その状態で、一応、噴水広場に仮面の女の姿を探してみる。


 うーん。


 やはりいない。


 ガッカリしないと言えば嘘になる。


 なぜかわからないがキスした相手ともう一度会いたくないのかと言えば嘘になる。


 だが、まあナンパでの口約束なんてそんなものだろうし、人生一期一会であると何かの本に書いてあった。


 ため息をつきつつも過去は忘れ、目の前のナンパに集中したい。


 と、そのときだった。


 深呼吸しつつ噴水広場を見回したユウキの目にポニーテールの少女の姿が映った。


「お……なんだあいつは?」


 少女は手に小さな機械を持って、噴水広場をウロウロしている。


 誰かを探しているのか、キョロキョロと辺りを見回している。


 彼女は小学校高学年ぐらいの背丈で、ポケットのたくさんついたツナギを着ている。


「どこかで見たことあるな……じゃない。あいつはiPhone窃盗犯じゃないか!」


 ユウキは噴水の縁から立ち上がると全力で駆け出し、ノームの少女を両腕にがっと捕まえた。


 少女のポニーテールが鼻をくすぐる。


「な、なんだ君は?」


「ここで会ったが百年目だ。オレのiPhone返せ!」


「ま、まさか……君はこのアーティファクトの持ち主? 男だったはずでは? 私の記憶によれば君は確かに男性の肉体を持っていたはずであり、私は記憶力に自信が」


「いろいろあったんだよ。話せば長くなるからとにかくiPhone

返せ!」


「ふう……どうやら本当に君らしい。安心した。今日が約束の日だと言うのに、この噴水広場に君の姿が見えないから、会えないのかと思った。だが姿が変わっただけならばなんの問題もない。さあこれを受け取ってくれ」


「お、オレのiPhone……オレのiPhoneじゃないか! まじかよ、返してくれるのか!」


「石板との同期機能を無事に追加できた。さっそく試してみよう。君がそのアーティファクトで一番よく使う、通信用の機能を起動してくれ」


「はあ? よく使う通信用の機能だと。そりゃあ……LINEか?」


 LINEはスタンプが使えるから楽だ。とりあえず適当なスタンプを押していれば意思疎通できた気になる。


 といってももっぱら連絡相手は妹ぐらいしかいないのだが……。


 そんなことを思いつつユウキは緑色のアイコンを押した。見慣れたLINEの画面が立ち上がった。


 iPhone画面を脇から覗き込んでいたノームはうなずいて言った。


「よし。では君のそのアーティファクトと、私の石板を重ねて振って同期してみよう」


 ノームの少女はポケットから自分の石板を取り出すと、ユウキのiPhoneと重ねて振った。


「これで同期された。では私の石板から君のアーティファクトに通話してみよう」


 ノームの少女はたたたたたと走ってユウキから遠ざかると、広場の向こうで石板を耳に当てた。


 ユウキは吐き捨てた。


「はっ。何をばからしい。オレから何日もiPhoneを奪っておいて、返してくれたと思ったら、次にやることは子供のおままごとかよ。iPhoneとその上で動くアプリはなあ、オレの世界の高度な技術の結晶なんだよ。こんな異世界の石板なんかと繋がるわけ……な、なんだと? iPhoneに着信が?」


 信じられないことにノームからの着信だった。通話に出るとスピーカーからノームの声が聞こえた。


「もしもし。私だ」


「ま、まじかよ。信じられないテクノロジーだ。一体、どうやって……」


 たたたたたと走り寄って戻ってきたノームは早口で答えた。


「話せば長くなるから説明はほどほどにしておこう。ただでさえノームは早口で説明が長い傾向がある。それは私の長年の人間との仕事の現場において大いに問題となってきた。だが私はその生まれながらの種族傾向をある程度、自制できるようになっている」


「自制できてなくないか。要点を話せよ」


「全ての世界は独自の法則を持っているのはわかるな?」


「わからん」


「このアーティファクトは他所の世界で生み出されたもので、本来はそちらの世界の法則にしたがって動くものだ」


「まあ……そりゃそうだな」


「しかしこのアーティファクトは何かの訳あって、今、こちらの世界に現存している。それゆえに、こちらの世界の法則にも従わざるを得ないのだ。であるならば我らがノームの魔術工学によってどうとでも解析し改造が可能であると言うことだよ」


「だからってLINEと石板が繋がるだなんて……」


「論より証拠だ。次はそちらから私の石板に通信してみてくれ」


「…………」


 よくよくLINEを見てみると、友だちリストにノームの顔アイコンがあり、その横に『ルーファ』と言う名前が表示されていた。


「これはもしかしてあんたか?」


 ノームのルーファはうなずくと、またたたたたたと駆け出し、広場の端まで移動した。


 ユウキはとりあえず通話機能を試してみた。


 信じられないことにすぐにiPhoneはルーファの石版とつながった。


 音声品質もいい。


 次にユウキはチャット機能を試してみた。


『これ、見えるか?』


『見えている。しっかりと石板に文字が表示されている。こちらからのこの文字は見えているだろうか?』


『ああ。こちらでも受信できた』


 驚くべき謎のテクノロジーによって通話とチャットが石板とiPhoneのLINE間で可能になっていた。


 次にユウキはスタンプを送ってみた。妹がよく使っている可愛いコモドドラゴンのスタンプだ。


 何度も妹からそのスタンプを送られるうちに、だんだんユウキも愛着を持ってしまった。それで先週、課金して買ってしまったスタンプである。


 でも流石に石板でスタンプは受信できないだろう。


 と思っていたら、ルーファからテキストで返信があった。


『面白い画像だな。トカゲだろうか』


『見えているのかよ?』


『こちらの石板に画像として表示されている。こちらからも画像を送ろう』


 しばらくするとLINEにモノクロの画像データが送られてきた。石板にルーファが今書いたらしいドラゴンの絵だ。


 絵を受信したことを告げると、ルーファはたたたたたと走り寄ってきて満足げにうなずいた。


「よし、十分にそのアーティファクトはアップデートされたようだな」


 そのときユウキは、LINEの友達リストにラゾナやアトーレが追加されていることに気づいた。


 これまでユウキが連作先を交換した相手が、自動的に追加されているようだ。


「信じられん……なんていう凄まじいテクノロジーなんだ」


 思わずユウキは崇敬の視線をルーファに向けた。


 彼女は照れたのか頭をかいた。


「そんなにすごい事ではない。私の仕事場にあまた蓄えられている『ラーゴンのピンセット』や『ゾッゾンの分度器』など、機械の精霊を操ることに長けたアーティファクトがあってのことだ」


「とにかくまじですごいぞ! 疑って悪かった……」


「無理もない。私たちノームに初めて接する人間は、ノームの能力を常に疑ってかかる。私たちは小さいから偉大な仕事はできないと決めてかかっているんだ。見かけなどどうでもいいというのに」


「いや、それ以前の段階で……」オレからiPhoneを巻き上げていった詐欺師かと思った……と言うのは結局言わなかった。


 ルーファがまたユウキのスマホを取り上げると謎の力で指紋認証を突破し、アプリを勝手にいじり始めたからである。


「あ、返せよ……」


「この機能はなんなんだ」


「それはLINE Payだ。そっちは銀行口座だ。勝手に見るな」


「なるほど。金銭のやり取りに使う物だな。この機能もソーラルで使いたくないか?」


「馬鹿な。そんなことできるわけないだろ!」


「できる。近年、ソーラルでは石板を使って買い物をすることが普通になりつつある。それというのもお金とは豊かさの象徴であり、豊かさとは一種の魔術的エネルギーであり、石版というインターフェイを使えばそのエネルギーをやり取りするのは簡単なことだからだ。となればそのソーラル石版支払いシステムに君のアーティファクトを同調させるのは訳ないことだ」


「…………」


「どうする?」


「そ、それってつまり、オレの銀行口座の金を使って、ソーラルで買い物できるようになるってことか?」


 ノームのルーファは鷹揚にうなずいた。


「ば、バカな……」


 オレの世界ですら日本円とドルの間では両替しなければ使えない。だというのにそんなシームレスにオレの口座の金がこのソーラルで使えるわけない。


 そんなバカな話があってたまるかよ!


「どうだ? 私にそのアーティファクトを貸してくれれば来週の月曜にはまたこの広場に持ってこよう。そうすれば君のアーティファクトはより高く羽ばたける」


「うう……」


「私も君のアーティファクトの研究によって多くを得る。そのようにお互いの力が、相互交流によって高まることを想像してくれ。そしてそれが周囲に広がって世界を変えていくことを想像してくれ」


 静かに情熱的に語るルーファに、結局ユウキはまたiPhoneを預けてしまった。


 ルーファはツナギのポケットの一つにiPhoneをしまうと、たたたたたと走って噴水広場を出ていった。


 ユウキはいつの間にか大量にかいていた冷や汗を拭った。


「ふう……まったく……なんなんだよあいつは」


 魔術師たちとも、ルフローンとも違う異様なオーラを感じる。


 彼女と喋っていると、その現実を歪めるようなフィールドに飲まれ、どんなことでも可能になってくる気がしてくる。


 だが現実的に考えてiPhoneでの決済アプリがこのソーラルで使えるようになるわけないだろう。


 やっぱりオレ、何か騙されているんじゃないか。


 またiPhoneを渡してしまったことを後悔してユウキは頭を抱え込んだ。


「…………」


 だがいつまでそうしてはいられない。


 そうだ、そもそもオレはナンパしにこの広場に来たんだ。


 気持ちを切り替えよう。一日に一人でいいから声をかけよう。そのために……まずは深呼吸して顔を上げよう。


「よし」


 なんとか顔は上がった。


 その勢いで、声をかけたい相手を探す。


 すぐに見つかった。


 なんと昨夜一緒に朝ごはんを食べそしてキスした相手であるところのあの仮面の女が、今、ユウキの正面、目の前に立っていた。


 ユウキは絶句した。


「う……あ、あんた……いつからそこに……」


「んー、少し前」


「見てたのかよ」


「少し。僕にも石板があればいいのに。さっきの、友達?」


「いや、友達ではないが……石板は安く売ってるらしいぞ」


「僕、私物は持てないからね」


 なんか事情があるらしいがあまり踏み込めない壁を感じた。


 とりあえずユウキは、先ほどのルーファとのやり取りを見られていた気恥ずかしさを、ズボンのホコリと共に払って立ち上がった。


「そ、それじゃあ……行くか。そうそう、あんた、どこかスラムの方に行きたいところがあるんだよな」


「うん」


「スラムのどこに行きたいんだ? 大穴でバイトでもしたいのか?」


「んー、星歌亭。星歌亭に行きたい」


「ほ、星歌亭だと?」


「ん。しらない?」


「いや、わかるぞ。よく知ってる。なんの用があるんだ? あそこは朝営業してないぞ」


 すると仮面の女はしばしうつむいてから呟いた。


「僕は自動的なんだ」


「は?」


「僕の『神』の力は自動的に溢れ、流れる。昨日、君を祝福したように」


「昨日、キスしたことを言ってるのか?」


「んー、僕も驚いた。あんな形で人に祝福が与えられるとは。だけど神とは森羅万象を包み込む偉大なるエネルギー。だから僕の思惑を超えて、いつも自動的に流れ出すんだ」


「…………」


「でも、たまには自動的じゃない想いもある。僕個人の想い……」


 仮面の女……どうやらまだ少女らしい年齢のようである……はグッと拳を握ると胸に当てた。


「つまり……よくわからないが、あんたは個人的な願望から、星歌亭に行ってみたい、ということか?」


「んー、そう。おかしいかな」


「いや……普通だな。行きたいところに行ってみたいってだけの話か、つまり」


「んー、僕にはそれが慣れなくて。自分の個人的な想いで動くのは、もしかしたら初めてのことかも」


「まあよくわからないが、とにかく行ってみるか。あっちだぞ」


「ん」


 仮面の女はユウキに並んで歩き始めた。


 二人、スラムに続く路地へと足を踏み入れていく。

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