第16話 ベッドの上で

 ごっくん。


 エクシーラに口移しで流し込まれた『精神解放の秘薬』をユウキはすべて飲み込んでしまった。


 うわー、や、や、やばいぞ。


 深夜の薄暗いゲストルームでユウキはパニックに陥った。


『精神解放の秘薬』それは精神のリミッターを外し、真の望みを達成できるようになる薬だという。そんなものを飲まされてしまった。


 オレは酒に弱い。きっとドラッグにも弱い。


 この魅力的なエルフに押し倒された状態でそんな薬を飲んで精神的リミッターが外れたオレは、これから一体どんなことをしてしまうというのか!?


 まあ……これからオレが何をしようと、全部薬のせいだ。


 理性を失うのは恐ろしいことであるが、薬のせいなのだから、仕方がない。


 ユウキは薬が聞いてくるのを今か今かと待った。


 一方、エクシーラはユウキから唇を離すと荒い息を吐いていた。


「はあ、はあ……」


 頬を紅潮させた彼女の瞳は潤んでおり、その焦点は失われている。


 かなり薬が効いているようだな。


 こうなったらもうジタバタしても仕方ない。


 もうすぐオレもそっちに行くぞ。 


 ユウキはエルフの体温と重みを感じながら、彼女と同様に自分の理性も失われていくのを今か今かと待ち続けた。


 だが……いつまで経っても『精神解放の秘薬』が発動する気配はなかった。


 おかしい。


 1+1は2。


 2+2は4。


 隣の客はよく柿食う客だ。


 数学的思考や高度な言語機能もいまだ完璧に働いている。


 性的興奮は最大レベルに達しているが、それはあくまでオレの通常の性機能が適切に働いているためである。


 まったく薬が効いている気配はない。


 だというのに、一方エルフはユウキにまたがって勝手に盛り上がっている。


「ねえ、あなたにわかる? 悪に虐げられるものの苦痛が」


「あいにくオレは平和な地方の出身で……」


「わからないなら教えてあげるわ」


 ビリッ。


 エクシーラはユウキのTシャツの首に手をかけた。かと思うと、そのパジャマ代わりのTシャツをいきなり左右に破った。


「なっ、何すんだよ! オレの服は貴重なんだぞ!」


「これが力によって大切なものを理不尽に奪われるということよ……」 


「お前、後で弁償しろよ!」


「いやよ。弱いものはただわけもなく奪われ続けるのよ。こんなふうに」


「うぐっ……!」


 エクシーラはユウキの両肩をベッドに乱暴に押さえつけると再びキスをした。


 彼女の唇の柔らかさを感じながら……そのときユウキはふと数日前のラゾナとの会話を思い出していた。


 *


 性魔術のレッスンの後、ラゾナが髪を整えながら言った。


「この前、店にとある有名な冒険者がやってきたのよね。エルフの若旦那の紹介で」


「へー、すごいじゃないか」


「守秘義務があるから詳しくは話せないけど、伝説的な存在よ。私も尊敬する人だったんだけど……私、偽薬を出しちゃった」


 そう言うとラゾナは暗い顔を見せた。


「私、頼まれて薬を作る仕事もしてるの。その冒険者が私に頼んだのは、『精神のリミッターを無理やりにでも解除する薬』だったわ」


「作ったのか?」


「ううん。作ろうと思えば作れるけど、私はそんな薬、作りたくなかったの。だってそんなもの、精神に悪影響があるのは間違い無いからね」


「だから偽の薬を作って渡したのか?」


「ええ、そう。何度も断ったんだけど、どうしても欲しいって食い下がられて。それで……和合茶をベースに、心がマイルドにオープンになるハーブをブレンドして、防腐処理を施したものを渡したわ、しかも二つも。『依存性があるから気をつけてね』なんて言いながら」


「どんな効果があるんだ?」


「リラックスして、ほんの少しだけ素直になれる……そんな効果よ。偽物を渡しちゃうなんて、プロ失格ね、私」


「まあいいんじゃないのか。偽物でも渡さなきゃ、その冒険者は他のアイテムショップで本物の危険ドラッグを買って廃人化してたかもしれない。偽の薬を渡したのはむしろプロとしての職業倫理にかなったことなんじゃないのか」


 そう言って見たもののラゾナは悩み続けていた。


 社会で働くとは、答えのない問題に自分なりの答えを出し続けることなんだなあ。


 社会に出たことのないユウキはそのような感慨を得たものであった。


 だが今ならわかる。


 高名な冒険者……エクシーラに偽薬を渡したラゾナの選択は大正解であったと。


 ラゾナの機転によって、オレは危険ドラッグを無理やり飲まされることを回避できた。


 正直、ちょっと興味があったが、それよりも自分の健康の方が大事である。


 一方のエクシーラは偽物の薬を本物と思い込むプラシーボ効果によって、なんだかよくわからない興奮状態に陥っているようだが……。


 *


「…………」


 深夜、ゲストルームのベッドの上で、いまだエクシーラはユウキに馬乗りになっていた。


 彼女は座った目をして言った。


「覚悟して。私、あなたをめちゃめちゃにするわ」


「プラシーボ効果だけでこんなにキマるのは凄いよな……」


「何を言ってるの。悪の恐ろしさを教育してあげるのよ。ありがたく思いなさい」


「はいはい」


「悪はね。人の気持ちを考えずに、自分のやりたいことをやることなのよ。こんなふうに!」


 またキスされた。


 エクシーラにプラシーボ効果がこんなに効いているのは、思い込みが強い性格のためか、それとも心の中に溜め込んでいるものが大きすぎるためか。


 わからないがエクシーラはほぼ全裸のユウキに何度もキスを続けた。


 だがあるとき彼女は不意に唇を離すと、馬乗りになった状態でうつむいた。


「この先、どうしたらいいのかわからないわ。したことがないから」


「だったら……オレに任せろ」


 ユウキは体を起こした。


「きゃっ」


 エクシーラはベッドにひっくり返った。その上に馬乗りになりながらユウキは言った。


「安心しろよ。オレは経験豊かだから」


 途中までとはいえ『性魔術の奥義』を学んでいる。それを活かすのはいまだ。


「……わかったわ」


 エルフはベッドの上でくたんと力を抜いて横を向いた。


 ユウキはスキル『戦略』を発動し、この先、どういう手順でこのベッドの上でのエルフとの肉体的交流を進めていくかその手順を探った。


 とりあえず……性魔術で習った順番で進めていこう。


 まずは『抱擁』だ。


 ユウキはエルフの隣に横になると、彼女をそっと抱き寄せた。


 さらにユウキはエルフを抱擁しながら『直視』した。


 その上で『接吻』『接触』へと進み、最終的に『交合』へと進むつもりだ。その領域はいまだレッスンを受けていないが、これまで連綿と続いてきたオレのDNAが何をどうすればいいか知っているはず……。


 だが……。


「うっ」


 ユウキは思わずうめいた。


 エルフを抱きながらその瞳を覗き込んだとき、とんでもない量の疲れを感じたからだ。


 どうも性魔術のレッスンやスキル『共感』の作用によって、相手の心と体の状態が伝わってきているらしい。


 千年分の重い疲れがエルフから伝わってきた。


 その疲れのエネルギーを浴びることによってユウキも、なんだかもう疲れてヘナヘナになってしまった。


 しかもそれだけではない、限界までたわんだバネのような強い緊張も、エルフの筋肉の奥に感じ取れた。


 何か下手な刺激をエクシーラに与えた瞬間、ベッドに立てかけられている悪滅剣によって反射的に斬られそうな危険を感じた。


「あのな、言っとくけどな。今は戦闘中じゃないんだぞ。もっとリラックスできないのか」


「どうやって力を抜けばいいかわからないのよ。いつも命を狙われてきたから」


「…………」


 こんな状態ではとても前に進めそうにない。


 もう自室に戻って寝るか。


 だがすでに、ユウキはこのエルフ相手に一線を超える決意を固めていた。薬の効果などではなく、自分の意思によって。


 もしオレが少年漫画の主人公であるならば、このような異性とのディープなコミュニケーションの機会はうやむやにされて中途で留め置かれることだろう。


 だがオレは少年漫画の主人公などではないのだ。


 オレはやるときはやる男なんだ!


 だがそのためにはまずエルフの緊張と疲れを取る必要があるように感じられた。


「ふう……」


 とりあえずユウキはスキル『深呼吸』を発動すると、まず自分の緊張と疲れを吐き出した。


 それからスキル『スキンシップ』によって軽くエルフに触れ、彼女をひっくり返してうつ伏せにし、その上におもむろに馬乗りになった。


「何をするの? 私は……」


 ユウキはエルフの肩に手を伸ばした。


 肩の内部、筋肉が強く硬っているのが感じられた。


 ユウキはスキル『共感』を発動し、筋繊維の奥の疲れへと自らを同調させながら、エルフの肩を揉んでいった。


 手を動かすほどにエルフの疲れが自分自身のものとして感じられてきた。その自分自身の疲れをマッサージで解きほぐすがごとくにユウキはエルフを揉んでいった。


 スキル『ねぎらい』も自動発動された。


「よく今まで戦ってきたな」


「な、なによ、別にあなたにはわからないでしょ」


「黙ってろよ。気持ちよくしてやるから」

 

 スキル『暴言』を発動しつつ、『集中』と『粘り』も援用しつつ、適宜ねぎらいの言葉を投げかけながら肩を揉んでいく。


 その作業があるところまで進展したところでユウキは気づいた。


「…………」


 今夜このエルフと一線を越えるという決意、それがもはや達成不可能であることに気づいた。


 なぜならエルフは閉じた瞳から一筋の涙をこぼしながら、シーツにうつ伏せになって眠りに落ちていたからである。


「…………」


 健やかな寝息が聞こえてくる。


 だがまだエルフの肉体は、もっと優しさを求めているよう感じられた。


 だからユウキは「よく頑張ってきたな」と声をかけつつ、千年分の疲れを和らげようとして彼女の肩を揉み続けた。

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