第15話 エルフと危険ドラッグ

 夕暮れどき、塔の前で巨大カエルに吐き出されたエクシーラは回転して体勢を整えると腰のレイピアに手をやった。


「悪滅剣がない! 奪われた?」


「ここにあるぞ。レイピアって意外に重たいんだな。確かに、刺すだけでなく切っても使えるわけだ」


 エクシーラはレイピアを奪うように手に取ると、夕陽に照らされた塔の周りを見回した。


 土木工事用の台車やスコップが散乱し、刈り取られた雑草が積まれている。


「なんてこと、塔に戻ってきたなんて! 早くネクロマンサーにトドメを刺さないと!」


 エクシーラは森に向かって走り出したがバランスを崩した。


「おいおい、大丈夫かよ」


 ユウキは駆け寄り、軽く腰をサポートした。


 エクシーラは熱病に浮かされたようにわめいた。


「あのレベルのネクロマンサーは体内に特殊な線虫を飼っていて、怪我を自動修復するのよ」


「見たぞ。かなり気持ち悪い能力だよな」


「いくわ。手を離して」


「言っとくけどな、森は遠いぞ」


 すでにケロールは身を翻して迷いの森へとピョンピョン飛び去っていったあとである。


「そんな三日三晩寝てない体で森に行けるのか?」


「悪は切らないと……師と約束したのよ……私がこの世に平和をもたらすって」


「重たそうな話だな。そういうことなら頑張れ」


 ユウキは手を離した。


 エクシーラはレイピアの柄を支えとし、森に向かってよろよろと歩き出した。だが急にユウキの視界から消えた。落とし穴に落ちたのである。


 *


 エクシーラがゲストルームで目覚めると完全に日は暮れていた。


 深夜である。


 彼女はベッドから跳ね起きると、額のサークレットに指を当てて瞑目した。


 だが……。


「なんてこと。破邪のサークレットに反応がないなんて」


 一方、エルフが死んでないか様子を見るため、ちょうどさっきゲストルームに来たユウキは、ドアの前で安堵のため息をついた。


「目が覚めてよかった。体、泥と粘液でベトベトだから風呂に入った方がいいぞ。もう皆、寝てるが入るなら沸かしてやる」


「あのネクロマンサーは死んだというの? いいえ、魔力を体組織の回復に使っているのね。だから破邪のサークレットに反応がないのよ」


「どちらにせよしばらくは襲ってこれないだろう。あんたも休んだらいい。三日間、戦い続けて疲れてるんじゃないか」


「ダメよ……悪の芽は摘めるときに摘まないといけない。でなければしぶとい雑草のように蔓延ってこの地を覆い尽くすわ」


「世界の心配もいいけどな。あんた自身のことも気にかけた方がいいんじゃないのか」


「私? 私にはなんの問題もないわ」


 エクシーラはレターデスクに立てかけられていたレイピアを握りしめて立ち上がった。


 しかし体が武器を持つことを拒否しているのか、レイピアを取り落としてしまう。


 レイピアは転がってベッドの奥に入ってしまった。


 エクシーラは床に這いつくばってベッドの下に手を伸ばした。


 そのスタイルの良い下半身を眺めながらユウキはため息をついた。どうしても戦いに行くつもりか。そんなことを続けていたら死んでしまうぞ。


 だが……。


「なんてこと、手が届かないわ」


「ほらな。無理すんなってことだよ」


「……ふんっ!」エクシーラはベッドを両手で引っ張り、埃まみれのレイピアを取り出した。


 そして泥塗れのマントを羽織るとゲストルームを出て行こうとした。


「そんなに出ていきたいなら止めないけどな。一応、聞いておくぞ……もう一度あいつと戦ったとして、あんた、殺せるのかよ」


「殺せるわ。千年生きてきて私の手は血に汚れているのよ。こんなにも単体で多くの人を殺めてきた冒険者は私ぐらいのものよ」


「へー……ちなみに最後に殺人を犯したのはいつなんだ?」


「長く平和な時代が続いていたから……百年ぐらい前のことかしら」


「百年前って言えば日清戦争の頃だぞ。確かに当時なら人権意識も低そうだから人殺しぐらい余裕かもしれない。でも現代ではもう無理なんじゃないか?」


「失礼ね! その程度のブランクはなんということもないわ!」


 そう言いつつもレイピアを握る手が震えている。


 エクシーラはレイピアをベッドに立てかけると、震える右手を左手で押さえたが、やがて震えは全身に波及していった。


 ユウキはベトナム戦争でPTSDになった兵士のドキュメンタリー番組を思い出した。


「なあ、悪い事は言わない。エルフの森にでも帰ってガーデニングでもして暮らすんだ」


「もうしてるわよ! 先生に『植物は心を癒す。エルフならなおさらだ』って言われて、冒険の合間に自分の庭を作ったわ! だけど一向に治らないのよ!」


「…………」


「一度心が壊れた人が治るなんてことはないのよ! 別にそれでいいのよ! 心の傷は治らないまま戦い続けるのよ! 世界を守る、そう決めたんだから!」


「それは別にいいけど、実際問題、剣もまともに握れないんだから無理だろ。現実を見ろよ」


「見てるわ! これをご覧なさい」


 エクシーラはマントの内ポケットから錫のフラスクボトルを取り出した。


「ソーラルの高名なマジックアイテムショップで買ってきた『精神解放の秘薬』よ。これを飲めば、恐れや罪悪感や、あらゆる精神的トラウマが生み出すリミッターから解放されるわ」


 エクシーラはフラスクボトルのキャップを外し、その注ぎ口をピンクの唇に近づけた。


「おいおい。そんなもの飲んで大丈夫なのか? 副作用はないのかよ」


「依存性があるようね。でもそんなものは使用をためらう理由にはならないわ。なぜなら悪を切ることが最重要なことだから」


 ユウキが止める間もなく、エクシーラは唇の端から黄金色の液体をこぼしながら一気にそれを飲み干した。


「あーあ。知らないぞ、もう」


「先のネクロマンサーとの戦いでも、前もって飲んでおくべきだったのよ。そうすれば私は恐れや罪悪感に妨害されることなく、心の奥から湧いてくる真の望みをのびのびと達成できたのよ」


「真の望みというと、つまり悪を切るということか」


「もちろん。人間だった師はあまりに短い生涯を終えたわ。だけど『これ以上、誰にも悲しい思いをさせない。そのためにすべての悪を切る』という師の偉大な志、受け継がれた悪滅剣と共に私の中にいつまでも消えずに燃え続けているわ」


 そう遠い目をして語りつつ、なぜかエクシーラはゲストルームのドアに近寄ると、そこの内鍵を後ろ手で閉めた。


「……ん? 鍵なんて閉めて何をしようってんだ」


「あなた……ユウキ……悪に蹂躙されるってどんな気持ちかわかってる? わかるわけないわ」


「ま、まあ。オレはかなり平和な地方の出身だから……」


「力の強いものが、力の弱いものを好きなように弄び、欲しいものを自由に奪う……それが悪よ」


 エクシーラはベッドに腰かけるとブーツを脱いだ。


 それからしゃっくりした。


「ひっく。この秘薬、ぜんぜん効かないわ」


 エクシーラはマントの内ポケットからもう一つ、錫のフラスクボトルを取り出した。


「おいおい、まだあるのかよ……その薬、十分に効いてるぞ、ちょっとこっちに渡せ」


 急性アルコール中毒、いや、秘薬ということなのでオーバードーズということになるのか。


 千年、つまり平安時代から生きている貴重な命を、そんなバカげたことで終わらせたくない。


 ユウキは朴を紅潮させ、目の焦点を失っているエクシーラにつかみかかるとフラスクボトルを奪おうとした。


「何するの、エッチ」簡単に押しのけられ、ベッドにやんわりと跳ね飛ばされる。


 ベッドに仰向けになりながらもユウキは警告した。


「完全に酔ってるぞあんた。これ以上飲んだら危険だ」


「ユウキも飲みたいの。それなら飲ませてあげるわ」


 エクシーラは黄金色の液体を一気にあおると、それをベッドのユウキに口移しで流し込んだ。

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