第4話 死地 その2

 夜の路地の中でユウキはエルフを抱きしめた。


 エルフは非人間的にスタイルがいいため華奢に思えたが、実際に抱きしめてみると、ずっしりとした肉体の柔らかさを感じた。


 同時に草原のような香りが鼻をくすぐり、ユウキはうっとりとした。


 しかしここはいまだ死地である。


 護身術のビデオを見れば一目瞭然である。抱きしめたぐらいで人を拘束することはできない。


 むしろ両手を抱きしめることに使っている分、顎、喉、みぞおち、金的など各種の急所をエルフに無防備に晒していると考えられる。


 おそらく殺人術を極めているこのエルフがその気になれば、一秒で五回は死ねる攻撃をオレに加えることが可能だろう。


 だがそれはそれとして、少なくとも今、オレはエルフを抱きしめている。


 なんのために抱きしめているのかというと、ただ抱きしめたかったから抱きしめているだけだ。


「…………」


 衝動のまま両手に力を込め、エルフを引き寄せる。


 そのままキスをした。


 なぜか一瞬、舌先が触れ合った。


 やがて……エルフはユウキの腕の中で力を抜いた。


「とうとう終わりのときがきたのね……」


 エルフからはもう殺気が感じられない。


「いつ終わるともしれない私の戦いの旅……長かった……」


 何か肩の荷が降りたような安らかな顔を浮かべている。


「口移しで致命的な毒を私に飲ませたのでしょう。聞いたことがあるわ」


「は? オレは忍者かよ。そんなことしてないぞ」


「なら私をしびれさせて動けなくしたのね」


「オレはフグかよ。そんなことしてないぞ」


「……ならどうして私は動けないの? 体に力が入らないわ」


「さあな。何か個人的な事情じゃないか」


 ユウキはエルフを押しのけると、一歩距離を取り、怪訝そうな顔のエルフに言う。


「言っとくけどな、オレは暗殺者でも刺客でもないからな。ただの通り過ぎの人間だからな」


 また手刀を向けられる前に口頭で誤解を解きたい。


「嘘よ。あんなにも殺気を消して私に近寄れるあなたが、ただの人間なはずは……」


「ただの人間だから殺気を持ってないんじゃないか。普通の人間はカジュアルに人を殺そうなんて思ってないからな」


「だとしたら……あなたは私になんのために、こんな暗がりに入ってきたというの?」


「ナンパだ」


「ナンパですって?」


 ナンパについてユウキはエルフに説明した。


 エルフは顔を真っ赤にしながら吐き捨てた。


「そんなこと! 汚らわしいわ!」


 ユウキはショックを受けた。


 正直、自分でもナンパという単語に汚れたものを感じるが、それを他人に指摘されるのはやはり辛い。


 つい自己弁護してしまう。


「別にオレはそんなに汚くないぞ」


「会ったばかりの私とこんな路地で、男と女の関係を結ぼうだなんて、汚らしいとしか言いようがないわ!」


「……最近は男と女だけでなく、多様なパターンの関係があるらしいぞ」


「興味ないわ、そんなこと!」


「恥ずかしがるなよ。たまにそういう露出度の高い服を着たくなるのは自然な欲求だし、獣のように見ず知らずの相手と羽目を外したくなることだってあるだろう」


「そんな欲求、ないわ! この服は刺客を引き寄せるための……」


 耳の先まで真っ赤にして否定している。


「別に隠さなくていいぞ」


「そもそも私はそんなこと、この人生で一度たりとてしたことないわ!」


「馬鹿な。嘘つくなよ」


「いいえ、嘘じゃないわ。世界を救うこと……それこそが私の仕事。それ以外にかける情熱など私にはこれっぽっちも持っていないわ」


「じゃあ恋人ともそういうことしたことないってのか?」


「恋人なんていないわ。かつて一度も」


「ま、まじかよ。確かエルフってものすごい長命だったよな」


「ええ。千年は生きているわ」


「その間ずっと恋人もいなく、恋人とするようなこともしたことがないと?」


「ええ。そんな欲求、私には無縁のものだから」


「……もしかしてキスも初めてだったのか?」


「いいえ。キスなら……はるか昔、私の師としたことがあるわ」


「よかった……」ユウキは安心した。このエルフの千年の生におけるファーストキスという重みを背負いたくはない。


 しかし……。


「師は別れ際に、私の頬に優しく口づけをしてくれたわ」


「……それはキスっていうより何か挨拶みたいなものじゃないのか?」


「そうかもしれない……でもあの暖かさの記憶は私の中に残っている。あの思い出があればそれで十分よ、それで私は戦い続けられる」


 先ほどまでエルフは体の力が抜けてふにゃふにゃした感じになっていた。だが今、師の記憶とやらを思い出したためか、またいつでも戦えそうなシャキッとした様子を見せ始めた。


「そ、そうか。それじゃ……オレはもう行くから」


 また殺意を向けられる前に塔に帰りたい。

 

 だがそのときエルフは手刀を構えた。


 やっぱりいきなりキスされたこと、怒っているのか? 


 ユウキは路地を後ずさった。


 しかし……。


「……ん?」


 どんという音がして背中が何か厚い肉の壁のようなものに当たった。


 振り返って見るその前に、エルフが急加速して飛び込んできたかと思うと手刀を凄まじい勢いで付きこんできた。


 エルフの手刀はユウキの首をかすめ、その奥に突き立った。


 恐る恐る振り返ると、ユウキの背後に黒いボロ布を羽織った大男が立っていた。


「……うおっ! なんだお前は」


 エルフとユウキがキスに関して討論を繰り広げている間に、夜の闇に紛れて背後に接近していたらしい。


 その大男の身長は二メートルを遥かに超えていた。


 胴は木の幹のごとくに太く、ぶ厚い筋肉に覆われていた。


 そこにエルフの手刀が手首まで突き刺さっている。


 正確にみぞおちを貫いている。


 だがエルフは叫んだ。


「心臓が無いわ……! フレッシュゴーレム!」


「ええと、フレッシュゴーレムというと」


 ナビ音声が教えてくれた。


「生肉で作られたゴーレム、ということのようですね」


 ゾンゲイルの家事用ボディのようなものか。


 誰が一体そんなものを作ったのか? それはわからない。だがその目的はエルフを襲うことのようだ。


 フレッシュゴーレムは見かけによらぬ俊敏な動作で、エルフの腕を掴み取ろうとした。


 危ういところでエルフは手刀を抜き取ると、距離を取って徒手戦闘の構えを取った。


 そこにフレッシュゴーレムは殴りかかった。空を切る轟音が路地に響く。


 一撃、二撃とエルフは体捌きによって避けたが、三撃目は直撃コースだ。


 あんなパンチを食らったらヘビー級ボクサーでも一撃で死にそうな打撃がエルフに襲いかかる。


 だがエルフは中国武術を思わせる動きでその拳を受け流すと、二本の指によってフレッシュゴーレムの右目を突いた。


 だが痛覚がないのかゴーレムは怯みもしない。腕を振り回してエルフを跳ね飛ばした。よろけたエルフは路地裏のゴミ箱に体をぶつけて咳き込んだ。


 助け起こしながら聞く。


「ど、ど、どうすんだよ、これ」


「こっちが本当の刺客だったようね」


「勝てるのか?」


「私の魔剣があれば……」


 だが今、エルフは丸腰である。


「どこに置いてきたんだよ」


「宿屋の二階の奥の部屋よ」


「取ってきてやる。鍵は?」


 そこにゴーレムが勢いよく襲いかかった。


「はっ、はっ、これ!」


 エルフはゴーレムの凄まじい連撃を受け流しながら、ユウキに宿屋の鍵を投げてよこした。


 ユウキはダッシュして路地を抜け出ると、宿屋に飛び込んだ。


 かつてアトーレと会うためにこの宿屋に入ったことがあり、内部構造はわかっている。


 階段を駆け登ってエルフの部屋の鍵を開け、ベッドに立てかけてあったレイピアを手に取る。


 と、窓の外から「はっ、はっ!」というエルフの掛け声が聞こえてきた。

 

 窓を開けて眼下を見下ろしてみると、ちょうどそこは先ほどエルフとキスした路地であり、そこではいまだ彼女とゴーレムの死闘が続いている。


 かなり分が悪そうで、エルフは壁際に追い詰められている。


「投げるぞ!」


 窓からユウキは叫んだ。エルフがこちらを見上げてうなずいた。


 ユウキは宿屋の窓からレイピア状の細身の剣を投下した。


 殴りかかってくるゴーレムの拳をギリギリのところですり抜けたエルフは、脇にあったゴミ箱を使って高く跳躍し、空中でレイピアを受け取るとその鞘を抜いた。 

 

 そのまま落下の勢いを利用してゴーレムを切り下ろす。


 瞬間、ゴーレムは爆発した。


 生肉を一つにつなぎとめていた内部の結節が弾け飛んだかのように、ゴーレムはその構成パーツを路地に撒き散らして四散した。


 地面と壁にどす黒い肉片が散らばり、へばりつく。


 と、見る見る間にそれらは溶け、まるで路地に差し込む月の光を浴びて蒸発するように消えていった。

 

 ただエルフの足元にピンク色の肉をひとかたまり残して、ゴーレムは消えた。

  

 *


「なんで剣で切るだけでゴーレムが爆発したんだ?」


 路地に駆け戻ったユウキは聞いた。


 エルフは剣を鞘にしまいながら魔剣の効果を説明した。


 闇の波動を持った生命と非生命、物質と非物質、その双方を断ち切り浄化する効果があるとかどうとか。


 それを聞き流しつつ、ユウキは地に残る数キロほどの肉塊を指さした。


「これって『万能肉』だな。もらっていいか」


「いいでしょう。価値あるマテリアル、戦闘への協力の代価として、あなたにあげるわ。私はエクシール」


 二度と会うこともなかろうと思ったが、一応、名乗り返す。


「オレはユウキだ。いろいろあったけど、刺客は倒せたみたいだな。良かったな」


「いいえ。ゴーレムを操っていたネクロマンサーがどこかにいるわ。そいつを倒さなければ」


「大変だな」


「相手がネクロマンサーということは、敵の本拠地に目星がついたわ。今度はこちらから行く」


 エクシールは極めてシリアスな表情を浮かべた。


「そうか。頑張れ。じゃあな」


 あまり関わりになりたくなかったので、ユウキは上着を脱いで万能肉を包むと、急いで路地から立ち去った。

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