第2話 エクシーラ
ミルミルと名乗る格闘家とのしばしの交流、その記憶をどう解釈すべきか、ユウキは迷っていた。
本当にあれをナンパの成功と考えていいのか。
確かにオレは自分にとって魅力的な女性に自分から声をかけた。しかも連作先まで教えてもらった。
その結果を見る限り、オレは今日、ナンパに成功したのかもしれない。
あれほどまで夢見ていたナンパを、オレは成功させたのかもしれない。
強く夢見ながらも、そんな遠大な夢を叶えることなど不可能だと長年諦めていた夢を、ついにオレはこの手に掴みとったのかもしれない。
だが、なぜか成功の実感に乏しい。
「…………」
ユウキは塔の自室でベッドに潜り、昼間の記憶を呼び起こした。
ミルミル……目の前でシャドーボクシングする彼女には、二重三重に声をかけるきっかけが完備されていた。
その人物に声をかけることはもはや必然と思われた。声をかけないことの方が努力を要しそうであった。
そんなわけでオレは自然に声をかけ、自然な流れに乗り、気がつけば連絡先を教えてもらっていた。
「…………」
いわばオレはすでに用意されていたレールの上に乗っただけであり、慣性によって自然にそのレールを前に移動しただけではないのか。
そんなものを成功と呼んでいいのか。
成功とは、もっと努力と根性によって獲得すべきものだったのではないか?
「…………」
しかし元来、コミュニケーションとは自分一人でするものではない。あくまで相手ありきのものである。
コミュニケーションという場においてすべきことは努力などではなく、むしろ自然な流れを見つけ、それに気軽に乗ることなのではないか。
いい波を見つけその波に乗り、自然と戯れるサーファーのように。
「…………」
などという観念的なことを考えていると自室のドアが飽き、暗黒鎧が金属音を立てながら部屋に入ってきた。
暗黒鎧はベッドサイドの椅子に自らを設置した。
そこから十二体の怨念が次々と姿を現したかと思うと、ベッドのユウキに暗黒の蛇を伸ばしてきた。
神経に暗黒の蛇が絡みつき、十二体の怨念とユウキの間で情報のやり取りが始まり、やがてユウキの心の中に精神空間が立ち上がった。
「…………」
精神空間の駅前のベンチでユウキは考えた。
なんにせよオレは結果を出したのだ。
実感が湧かなくとも今はそれを喜ぼう。
そしてその喜びを原動力とし、さらに前に進むためのトレーニングを重ねよう。
「よし……」
ユウキがベンチから顔を上げると、怨霊たちが周囲に集っていた。
何か餌を求める犬のごとき雰囲気が感じられる。
「ユウキ殿。今日も我らにあの幼子の幻影を与え給え」
「ダメだ」
「なぜであるか? 『闇の伴侶』無き我らの慰めとなるのは、あのいとけなき少年の幻影のみ」
「お前ら、自分が怨霊だからって向上心を忘れてないか?」
「向上心……?」
「人は常に人との交流によって成長するものだ」
「た、確かにそれはそうかもしれぬ」
「向上心を忘れて、安全な幻影に溺れていたら、いつか『闇の伴侶』がお前らの前に現れても、怖くて交流できないかもしれないぞ」
「それは困る。だが……ユウキ殿、我らは不安なのだ。身も心も暗黒に染まり汚くなった我らを愛してくださるお方など、本当にこの世に存在するのかと」
「ん……確かに汚らしいな。お前ら」
ユウキがそう言うと怨霊たちは恥じるようにうつむいた。
彼女たちは皆、薄暗いぼんやりした影のような存在である。
だがよくよく目を凝らすと皆、ボロ布や、破けたスカートや底の抜けた靴など、哀れな服飾品を身につけているのが確認できた。
ユウキは言った。
「お前らの心が汚いのは、まあいい。怨霊だから仕方ない。でもせめて衣服だけでも綺麗にできないのか?」
「こっ、これは我らが怨霊化するときに身に着けていたもので……」
「別にその服は実体として存在しているわけじゃないだんだろ。だったらこの精神空間を想像によって生み出しているように、服だって想像で取り替えられるんじゃないか?」
「それはそうかもしれぬ。だがおしゃれなど我ら、生前もやったことがないゆえ……」
怨霊たちはさらに恥じるように深くうつむいた。
「わかった。こっちに来いよ」
ユウキは怨霊たちを引き連れ、精神空間内の駅ビルに入り、服の量販店に連れていった。
当然、駅ビルも量販店もそこに売られている服も、ユウキの想像力を種としてこの精神空間内に映像化されているものだ。
そのため駅ビルの構造はあやふやであり、量販店の棚に並べられている服の種類も少なく、その造形もかなり怪しい。
だがユウキはスキル『想像』と『集中』を駆使して、なんとか十二人分の女物の服を精神空間内に生み出すことに成功した。
シンプルな白の下着十二人着。
シンプルな白のワンピース十二人着。
シンプルな靴十二足。
これを一組ずつ怨霊に渡していく。
そして、きょとんとしている彼女たちを更衣室に連れてゆく。
「それじゃ、着替えてみてくれ」
「わ、我らは戦士であるぞ。このような可愛らしい服など着られぬ!」
「それは逃げなんじゃないか。果敢に新しい体験へと飛び込んでいく勇気を持っているのが真の戦士なんじゃないのか」
「くっ……せめて色をもう少し我らに合わせてはくれぬか?」
「白だとダメなのか?」
「明るいと落ち着かないのだ」
「なんだよ。しかたないな」
ユウキは十二組の衣服の色を、怨霊に似合いそうなねずみ色に変えた。
怨霊たちはやはり気が進まなそうな感じではあったが、衣服のセットを受け取ると更衣室に入っていってくれた。
「……お」
しばらくして新しい服に着替えた怨霊たちがぞろぞろと更衣室から姿を表した。
「へ、変ではないか? こんな服、着たことがないから、何か間違っている気がしてならぬ」
「いや、大丈夫だ。かなりこざっぱりしたぞ」
怨霊は肉体に損壊がある者が多かったが、それでも服を新しくすることでかなり見栄えが良くなった。
「よし。それじゃあこの状態で、前にやった練習をするぞ」
ユウキは怨霊たちを引き連れて駅ビルの外に出ると、そこでナンパの練習を始めた。
駅ビルの柱の影から一人ずつ出てくる怨霊に声をかけていく。
服を新しくしたことで怨霊にはかすかな魅力が付与されており、それがこのトレーニングの強度を上げていた。
怨霊たちは文句を言わずユウキの練習に付き合ってくれた。なんとなく彼女たちのモチベーションが上がっているのも感じられた。
服を着替えたことで、いずれ『闇の伴侶』なる存在と出会う日のことをイメージしやすくなったのかもしれない。
怨霊たちは忘れていた人間らしいコミュニケーションの方法を思い出そうとするかのように、たどたどしくもユウキの声かけに応じてくれた。
「こんにちは」
「こっ、こんにちは」
「いい天気だな」
「そ、そうであるな!」
朝までトレーニングを続けたユウキは、かなりのレベルアップを感じた。
もはや条件反射的に、誰にでも声をかけられる気がする。
だが夜通しトレーニングしたため、どうしても朝、ベッドから起きることはできなかった。
ゾンゲイルが起こしに来たが……。
「ユウキ。朝。ご飯」
「ごめん、もうちょっと寝させて……」
*
二度寝から目覚めたのは夕暮れ時だった。
大幅に時間を無駄にしてしまった。
朝のナンパトレーニングや、大穴でのバイトをサボってしまった。
だが仕方ない。
気持ちを切り替えていこう。
「そうだ、これからソーラルに行こう」
敵の襲撃までにはまだ時間がありそうだったので、ユウキはソーラルに向かい、昨夜のトレーニングの成果を試すことにした。
噴水広場に到着するとすでに日は暮れていた。
祭りの夜を思わせる賑やかな広場で、ユウキは声をかけたくなる相手が現れるのを噴水の縁に座って待った。
スキル『半眼』『深呼吸』などを適宜用い、心をくつろがせつつも静かな集中を保ち、声をかけるべきターゲットが現れるのを待った。
するとあるとき宿屋のドアが開き、ランプの下にひとりの女性が現れた。
背中と胸元が大きく開いた防御力の低そうなドレスを纏い、四肢を露わにした彼女は……エルフだ。
耳は鋭く尖っており、青い宝玉に飾られたサークレットは額で輝いている。
その顔になんとなく見覚えがあったが、それより彼女の神秘的な美しさがユウキの心を貫いた。
噴水広場の雑踏の中でそのエルフの神秘的な美しさはひときわ異彩を放っており、ユウキだけでなく、多くの者が彼女を見つめていた。
ランプの下のエルフは全員の視線を受け止めると、噴水広場の雑踏をその切れ長の瞳で走査するようにゆっくりと見回した。
「…………!」
行き交う雑踏の隙間を縫って、エルフがこちらを見た。
目が合った。
噴水の縁に座るユウキは魔法にかけられたかのように息を止めて彼女と長い間目を合わせていた。
だが……やがてふと視線をそらしたエルフは、誘うような足取りで移動を始めた。
背中にユウキの視線が浴びせられているのを意識するかのように、私を追ってきてというメッセージを発するかのように、エルフはゆっくりと、建物と建物の間の暗い隙間へと身を隠した。
なぜあんなところに入っていったのか?
もしかしてオレをあの狭い暗がりの中で待っているとでも?
「……馬鹿な」
明らかにそれは非合理な考えである。
だがあの人を誘うような無防備なドレス姿が、そしてオレを射抜くようなあの薄くしい瞳が、あの狭い暗闇の奥でオレを待っている気がする。
だが……なんのために?
まさか、オレにナンパされるのを待っているとでも?
そんなこと、あるわけがない。
だが……ここでこの噴水の縁から立ち上がらなかったら、一生、後悔する。
そんな確信があった。
だからユウキは立ち上がり、宿屋と喫茶店の隙間に向かった。
あの美しく神秘的なエルフをナンパするために。
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