第二部 第一章 塔でひきこもる

第1話 巨大カエルにくわえられて

 ユウキは闇の塔のゲストルームで寝ていた。


 落下の衝撃で全身に打撲症を負い、さらに人生初の骨折を得た。


 また、防御の魔法によってプロテクトされていたものの、手足と顔に火傷を負った。


 しかしそれらの外傷は治癒されつつあった。


 迷いの森の精霊が『自然エネルギー』によって、ユウキの治癒力を高めてくれたためである。


 自然エネルギー、それは先の戦闘において、迷いの森の精霊から樹木の妖魔へと遠隔的に送られていた、治癒力に優れるエネルギーである。


 そのエネルギーを送られた者は、あたかも春の大地に新芽が芽吹くがごときフレッシュな成長力を得て、自らを再生させることができる。


 今ユウキは、かつて自分たちを全滅させかけたその力によって、大怪我と火傷から立ち直りつつあった。


 ありがたい話である。


「…………」


 ユウキはゲストルームのベッドの中で夢現に、迷いの森の精霊との対面を思い出した。


 数時間前、戦闘直後のこと……塔の裏に寝かされて死にかけているユウキの元に、迷いの森の精霊の使者と名乗る巨大なカエルが、雑草の藪の奥から現れたのだった。


「な、何奴……」


 全身打撲で同じく死にかけている暗黒戦士は手足を震わせながら、背後の地面に寝かせたユウキとラチネッタを守るように暗黒剣を構えた。


 巨大カエルは人語を話した。


「迷いの森から来たカエルだケロ」


「お、おのれ、面妖な」そう言いつつも暗黒戦士はカエルが苦手なのか怯えているようである。手足の震えが大きくなった。


 と、そのとき……。


「ちょっと借りてくケロ」


 巨大カエルはピンクの舌を伸ばしユウキを捉えて口にくわえると、大跳躍を繰り返し、雑草の藪の奥、迷いの森へと消えていった。


 ユウキを奪われた暗黒戦士はしばし呆然とその後姿を見送ったのちに体力、気力を使い果たしたのかラチネッタの隣に倒れこんだ。


 *


 熾烈な戦闘を終えたばかりの夜、闇の塔の周囲では、三体の樹木の妖魔がいまだ火の粉をまき散らしながら燃えていた。


 巨大な松明のごとき炎が夜空の雲を赤々と照らしている。


 だが背の高い木々の枝に遮られ、炎の明かりは迷いの森の奥に届かない。


 森の中は真っ暗だ。


 しかし巨大カエルは体に特殊なセンサーでも宿しているのか、ユウキをくわえながら木々の隙間を軽やかに飛び進んでいった。


 やがてカエルの足元がちゃぷちゃぷと水音を立てるようになった。


 その水がだんだん深くなっていく。


 いつの間にか森の奥にある沼らしきものの中にカエルは泳ぎだしていた。


 すいすいと無重力空間を進むかのような感覚を味わっていると、しばらくしてユウキは沼の中にある小さな島に吐き出された。


 島のほとりの湿った草の上に仰向けになると空と星が見えた。


「ここで待つケロよ」


「わかった……」


 何もわからなかったがユウキは半死半生でそう答えた。


「ケロケロ……」


 隣に佇む巨大カエルの鳴き声を聞きながら目を瞑った。


 全身の痛みに耐えつつ浅い呼吸を繰り返していると、やがて闇の中から声がかかった。


「そなたがユウキか。わらわのところによく来てくれたのう」


「その声は……迷いの森の精霊か」


「そうじゃ。覚えてくれていて嬉しいぞ」


「オレ、今ちょっと死にそうなんだが……」


「わかっておる。ひどい怪我じゃな」


「ああ……塔の方でも後片付けとかしなきゃいけないし。遊ぶのはまた今度にしないか?」


「今夜はそなたにわらわの自然エネルギーを送るだけじゃ。十日もあれば歩けるようになろう」


 迷いの森の精霊らしき気配が草をかき分けて近づいてきたかと思うと、その手がユウキの胸に触れた。


 ここでユウキの記憶は途絶える。


 あとでシオンから聞いたところによると、巨大カエルが塔までユウキを送り届けてくれたとのことである。


 ゾンゲイルと暗黒戦士がカエルに斬りかかろうとしたが、カエルは勢いよくユウキを吐き出すと大跳躍を繰り返して迷いの森に帰っていったという。


 *


 そして今、ユウキはゲストルームに寝ている。


 怪我のせいか全身に熱がある。


 巨大カエル……森の精霊……強くおとぎ話的な雰囲気の漂うその記憶は、熱の見せる夢かと思われた。


 しかし刻一刻と痛みが軽減していくのが感じられる。


 巨大カエルに運ばれ、沼の奥で精霊と会ったのは夢ではないのだ。


 森の精霊に自然エネルギーを送られたために、折れた骨が繋がりつつあるのを感じる。


 火傷を負った皮膚が勢いよく回復していくのが感じられる。


 しかし回復に力が使われているためか、意識がブツブツと途切れる。


 いろいろ気がかりなことがあった気がするのだが。


 朦朧とした頭ではよく考えられない。


 と、あるとき枕元に誰かの気配を感じた。


 ユウキはうっすらと目を開けた。


「……お、シオンか。生きてたのか」

 

「うん、ユウキ君のおかげでね」


 ローブはところどころ焦げており、顔がげっそりとやつれているが怪我など無さそうである。


「そ、そうだ、他のみんなは?」


「ふふっ。全員、いちおう無事だよ」


 ラチネッタは軽傷だそうだ。ユウキを受け止めた衝撃で気絶したが、怪我はないとのことだ。


「さすが素早さと敏捷性に定評のある猫人族だね」

 

 ユウキは胸をなでおろした。


 アトーレも無事だそうだ。


「あの娘は今、隣のゲストルームで鎧を着たまま寝てるよ。ビクビク痙攣している。肉体に大きな損傷を負っているみたいだね」


「おいおい、それはぜんぜん無事じゃないだろ」


「ふふっ。暗黒鎧が跡形もなく治してくれるそうだよ」


「まあ……そういうことなら放って置いていいのかもしれん」

 

 ユウキは胸をなでおろした。


 ゾンゲイルも大破を免れたらしい。


 とはいえ家事用ボディは燃える樹木の妖魔への度重なるタックルによって、生肉の部分を大きく損傷し、全身の関節もいくつか自動修復が効かないレベルにガタが来てしまったようだ。


「おいおい、大丈夫かよ……」


 ユウキはベッドから半身を起こしかけたが、シオンによって押し返された。


「ふふっ。安心してほしい。塔の歴代のマスターから申し送りされてきた『人工精霊メンテナンスメモ』を参照すれば、十分僕の手によって修復可能だよ」


 ユウキは胸をなでおろした。


「い、いや、街訪問用ボディの方はどうなったんだ? それにゾンゲイルのコアは? かなりヤバそうだったぞ」


「ふふっ。どちらも無傷だよ。損傷は髪が焦げて服が燃えたぐらいだね」


「そうか、よかった……」


「さっきまでこの部屋でユウキくんを看病していたよ。今は忙しく塔の修復に立ちまわってる」


 ユウキは胸をなでおろした。

 

「他にもいろいろいいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」


「おう」


 シオンは椅子を枕元に引き寄せると、そこに腰を下ろして『いいこと』について語り始めた。


 まずは戦利品の話だ。


 樹木の妖魔AとCからは、そのコアである黒闇石を回収することができなかった。どうやら炎のダメージによって砕けてしまったらしい。


 だがユウキが樹木の妖魔Bから抜き取った黒闇石は、炎による損傷を免れ無傷で残っていた。


「あんな巨大で完全な黒闇石、高位の魔術師である僕でも見たことないよ!」


「なんかの役に立つのか?」


「ふふっ、もちろんだよ! たとえば……樹木の妖魔を僕の手によって再創造し、塔の守護に使えるかもしれない」


「大丈夫かよ。また逆に襲われるんじゃないか。魔術師のやることはあまり信用できないからな」


「ふふっ、愚かな衆生は常に僕達の強い力を恐れ疑うものさ。猜疑心の強い愚民の愚かさはそんなものだよ」


『愚か』という単語を連呼されてむっとしたユウキの傍ら、シオンは次の『いいこと』について語った。


「戦闘の経験によって、塔の各クリスタルが成長したよ」


「成長だと?」


「ふふっ。塔のクリスタルは生きているからね。経験によってどんどん強く、便利になっていくんだ」


「たとえば?」


「まず防衛室の『力のクリスタル』が単純にパワーアップしたね。これによって次回はもっと長時間、バリアを張り続けられるよ」


「おい……『次回』だと? 次回の戦闘があるのか? 今回の戦闘でも全員死にかけたんだぞ」


 シオンは答えず嬉々としてクリスタルの機能向上について語り続けた。


「ふふっ。しかもそれだけじゃない、二階の『生命のクリスタル』と六階の『叡智のクリスタル』、さらに七階の『次元のクリスタル』も成長したんだ! まだ詳しく調査していないけど、きっと面白い機能が目覚めているはずだよ。楽しみだね……」

 

 そう語るシオンからは、自分の得意分野にマニア的に逃避して、嫌なことから目をそらそうとする姿勢が感じられた。


 ユウキは『質問』スキルを使い、ゆっくりと聞いた。


「おい……新たな敵が塔に攻めてくるのか?」


「うん……」シオンは叱られる子供のように弱々しく頷いた。


「今回の戦闘で闇の塔の力が大きく揺らいだんだ。それによって邪神の眷属の封印がいくつも解かれたはずなんだ。だから……」


 近いうちに、今回よりもっと強い、沢山の敵が攻めてくるかもしれない。


 シオンはそう言った。


「…………」


 彼の震え声から恐怖が強い伝わってくる。


 暗澹とした気持ちに飲まれそうになる。


 ユウキは暗い気持ちを『我慢』して抑えこみ、ひとつ『深呼吸』すると『ねぎらい』を発動した。


「……まあいい。今回、お前はよくやったよ。頑張ろうぜ、次も」


 そしてユウキは半身を起こすと『スキンシップ』を発動し、シオンの背を叩いた。


 その背は震えている。


「おい、しっかりしろよ。オレがついてる」


 オレがついてたところで何の役に立つかはわからないがな。


 雰囲気だけでもよくしていきたい。


「あ、ありがとう。でももう無理なんだ……」


 ここでユウキの『我慢』に限界が訪れた。思わず『暴言』を暴発させてしまう。


「ちっ、暗いやつだな。ぐだぐだ泣き事言うなよ。お子様かよ」


「…………」


「敵ぐらいなあ! そんなもの、また戦闘準備して追い返せばいいだけだろ。さっきの戦闘でいくらか得たものだってある。次はもっと楽に勝てる」


 だがシオンはふるふると肩を震わせた。


「ううん、違うんだ……塔がもう……もう無理なんだ……」


「は?」


 呆然と問い返すユウキに、シオンは掴みかかるように言った。


「塔がね、もう持たないんだよ!」


「何言ってんだお前。ちゃんと持ってるだろ。こうして」


 ユウキはばんばんと壁を叩いた。天井から埃と建材の欠片が降ってきた。シオンはユウキの胸ぐらに掴みかかって言った。


「ううん、持たないんだよ! この塔はね、本来だったら司令室を破かれたときに崩落してるんだよ! 叡智のクリスタルの力によってギリギリのバランスが保たれてるけど、魔力がもう持たないんだ!」


 胸ぐらを掴まれながらユウキは鼻で笑った。


「はっ、馬鹿馬鹿しい、ただの魔力不足かよ。そんなことぐらいで心配するとはお前は本当にお子様だな。オレがソーラルでナンパして魂力を貯めてきてやる。またそのエネルギーを魔力に変えればいいだけだろ」


「ユウキ……君はその体でどうやってナンパするつもりなんだい?」


「あ」


 ユウキは自分の足を見下ろした。


 シオンかゾンゲイルか、誰かの手によって右足に添え木がされている。

 

 骨折しているのだ。


 こんな状態でナンパなどできるわけがない。


「で、でも安心しろ。十日もあればオレの怪我は回復するらしいぞ。迷いの森の精霊によればな」


「ふふっ。塔は明後日に崩壊するよ。僕の計算によればね」


「…………」

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