第3話 青い髪の少女
噴水の縁のユウキから少し離れた場所に、いつの間にか一人の少女が座っていた。
元の世界で言えば女子高生ぐらいの人間種族と思われる。
しかしその長い髪の色は異様だ。
彼女の髪は現実にはありえないような水色をしていた。
またその肌は静脈が透けて見えるほどに色素が薄かった。
そんな体が純白のワンピース様の衣服で覆われている。
「…………」
なぜか少女はユウキを見つめていた。
目が合った。
少女の瞳は眼底検査のための散瞳薬を点眼したかのように瞳孔が大きく開いていた。
その瞳の奥に吸い込まれ、取り込まれそうな引力を感じ、ユウキは精神のバランスを崩した。
「…………」
さきほどまでの『顔上げ』は、いわば剣士が木刀を振るかのごとき鍛錬だった。
その安全な練習が今、なんの心の準備もないまま本番に変じてしまったのである。
いわば安全な自宅の庭で木刀を振ろうとしていたら、そこに真剣を持った辻斬りが現れ、いきなり命がけの戦闘が始まったに等しい事態が今、生じているのである。
ナビ音声が警告を発した。
「状態異常『一目惚れ』が生じています」
(一目惚れ……だと? そんな馬鹿な)
いや、それは大いに有り得る事態であった。
学生時代、自分に話しかけてきた異性に胸がときめいた。
無職ひきこもり時代も、自分に話しかけてきた店員に胸がときめいた。
心臓がおかしいのかと思っていたが、どうやら毎回、オレは異性と接触するたびに一目惚れしていたらしい。
しかもこの少女はなぜかわからないが懐かしい雰囲気がする。
とても気になる。
だがユウキにとって一目惚れとは別れの始まりであった。
どうせ今回もオレは一目惚れの対象に何のアクションも起こすことができない。
むしろ自分から逃げて、遠ざかってしまう。
それは確定事項だ。なぜかはわからないが、物心ついたころから、オレにはそんな呪いがかかっているのである。
今回もユウキは腰を浮かせ、すすっと少女から距離を取った。
「…………」
だが不思議なことに、ユウキが距離を取った分、少女が腰を浮かせすすすっと近づいてきたような気がする。
(そんなバカな。なんの因果でこのような見ず知らずの美しい少女が無職ひきこもりのオレに近づいてくるというんだ。そんなことはあり得ない。錯覚に違いない)
ユウキは自分の錯覚を正すため、もう一度腰を浮かせ、すすっと少女から遠ざかってみた。
そしてまったく気にしていませんよというフリを装い、スマホに目を落とす。
「…………」
だがしばらくすると周囲の気温が上がったのを感じた。少女がすすすっと腰を浮かせてユウキに再び近づいてきたのだ。
ユウキはスマホから顔を上げた。
「あ、あの……」
「はい……」
「オレに……なにかようか?」
「すみません……嫌でしたよね」
「え、何が?」
「私に近寄られたら」
「いや、そんなことはないけど……」
といいつつも今もユウキの体は緊張のためか、少女から距離を取ろうとしている。
ユウキはスキル『深呼吸』を発動し、少女から遠ざかろうとする自らの体をその場に留めた。
そして……そのまま『深呼吸』に全精神を注ぐ。
「すう……はあ……」
そう……昔からオレは一目惚れの対象から逃げてきた。
今回も気を抜けば逃げてしまうだろう。
そうならないよう、オレは深呼吸してこの場に留まる。
留まっていたからといって、オレに何ができるわけでもない。
オレにできるのはせいぜい呼吸することぐらいだ。
だが今はせめて逃げることをやめよう。
そして安らかな呼吸をすることに全力を注ごう。
「すう……はあ……」
すると……なぜか少女の強い視線を感じた。
隣からものすごく見られてる気がする。
我慢できなくなりユウキは少女を見た。
少女はキラキラとした興味深げな表情でユウキを見つめていた。
「それ、何をしてるんですか?」
「息をしてるだけだが」
「凄い! 呼吸で肉体と精神を安定させているんですね」
「まあ……そういうことになるかな」
「私もそのスキル、真似してみてもいいですか」
「ああ……」
少女は深呼吸した。
彼女が息を吸って吐くたびに、胸元で黒いペンダントが大きく上下している。
「息は胸というより、お腹に入れる意識で吸うといいみたいだぞ」
「こうですか?」呼吸が胸式から腹式に切り替わり、彼女の下腹部が上下しはじめた。
「そうそう。上手だな」
しばらくの間、ユウキはスキル『深呼吸』をレクチャーした。
そうこうしているうちに、気がつけば状態異常『一目惚れ』は、ほどほどのレベルに落ち着いていた。
どうやらこの状態異常は適切なコミュニケーションによって和らぐものらしい。
いまだに強い緊張感はあったが、『深呼吸』以外のスキルを発動するだけの余裕もでてきた。
よし。こうなったらもう少しコミュニケーションを続けてみるか。
ユウキはスキル『世間話』を発動した。
*
天気の話題、ソーラルという街の話題、極めて表層的な会話が交わされる。それが世間話の醍醐味だ。
やりとりされる情報量は限りなくゼロに近い。
だが、互いの感情を安定化させ、より幅の広いコミュニケーションへの準備を整えるという効果が世間話にはあった。
世間話をしばらく続けていると、ふと少女が言った。
「私、今、すごく暇で……何か……何かないかなあと思っていました……」
「何か、というと?」
「私……たまに投げやりな気分になるんです。何もかもどうでもいい、という」
少女は虚ろな瞳でそう呟いた。
ユウキはぐっと親近感を抱いた。
「ああ……わかる。わかる気がする」
こんなにわかる感じはこの世界に来て初めてだ。
「オレもよくなる。そういう気分」
ユウキは実家で一日に五回ほど襲ってくる虚無の時間を思い出した。
自分の存在に何の意味も感じられずただ気分が落ち込んでいくあの薄暗い時間のことを。
「そういう時ってどうしてます?」
「オレは……そういうときは、疲れるまでやり飽きたゲームをやる。タワーディフェンスがオレの好みだ」
「ゲーム? タワーディフェンス?」
「ああ。それはもしかしたら自虐なのかもしれない。長時間ゲームをすると脳が傷つく。なのに、どうしてもそういうことをやってしまうんだ。……ん?」
「…………」
少女は何かを小声で言った。
聞き取れなかったのでユウキは少女に耳を近づけた。
少女の息と声が耳をくすぐった。
「私も、いつも、そうなるんです」
「そう……とは?」
「自分を低め、傷つけたくなる……そんな気分になるんですよ。できれば誰かに、それを手伝ってもらいたいんですが……」
ユウキは少女を見やった。
少女の体を包むワンピースの生地は薄く、肌と下着が透けて見えそうだった。
また、その裾は驚くほど短く、太ももの最上部までがさらけ出されており、ユウキの視線を強く引きつけた。
さらに、その胸元は大きく開いており、彼女が呼吸するたびに胸の谷間で黒いペンダントが大きく上下するのが見えた。
図らずも生唾をごくりと飲み込みながらユウキは彼女の体を舐め回すかのように見つめていた。
ユウキの理性が鋭い警鐘を発した。
これは何かしらのハラスメントに値する行為かもしれない。
だがユウキはどうしても彼女の体の曲線から目をそらすことができなかった。
しかしそのときだった。
ふいに近くの教会が朝の鐘を鳴らし、石畳に群れていた鳩状の生物が一斉に飛び立った。
「朝ごはん始まりますよー」
噴水広場の喫茶店、そのテラスにテーブルを並べ終わった店員が呼び込みを始めた。
近くの宿屋から旅人たちが溢れ出し、テラス席に次々と腰を下ろしていった。
ユウキはスキル『流れに乗る』を発動し、人生初の行為を開始した。
「あの……どうだ? 一緒に……」
少女は瞳孔の開いた瞳をユウキに向けた。
「一緒に……なんですか? 何か私と一緒にしたいことでもあるんですか?」
「ご飯……朝の……ご飯」
ユウキは息も絶え絶えにそう言った。
少女は顎に人差し指を当てて一瞬、空を見上げた。
「ご飯……それもいいですね。朝ごはん。食べましょうか」
少女は噴水の縁から立ち上がるとユウキに手を伸ばした。
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