第13話 裏庭にて その1
窓から漏れる明かりによって、あたりはぼんやりと照らされている。
どうやらここは星歌亭の裏庭らしい。
虫の音が響いており、奥に小さな畑が見える。
赤ローブの魔術師は星歌亭の外壁に、その肉感的な体をもたれかけた。
「君は……確か、ユウキだったわね」
「ああ」
「私はラゾナ。あなたの曲と詩、本当にすごいわ!」
魔術師はユウキの創作物を細やかに褒めあげていった。
「のどかなリラックスの雰囲気があの曲に結晶化されているわ。あの曲を聴くと、普段の忙しい頭の中のおしゃべりが止まって、一時的にバカになってしまうようよ」
「ああ……確かにあの曲、オレ自身がバカになりながら作ったからな。そういう効果もあるかもしれない」
「普段、この店に集う冒険者たちは、強く賢くあるために心の壁を閉じて感情を押し殺しているわ。だけど、あの曲を繰り返し聴いているうちに、いつしか心が子供のように無防備にオープンになってしまう。そんな効果があるわ」
まあ、あの曲に何かしらいいところがあるとしても、九割方、あの作曲アプリの力と、人格テンプレート『愚者』のおかげなのだが、褒められて悪い気はしない。
「でももっと凄いのは歌詞。無防備になった心に、あの歌詞がまっすぐに飛び込んでくるのよ」
歌の一節を口ずさんだ魔術師は、ぎゅっと目を閉じた。
「あの詩には、本当の感謝の気持ちがすごい濃度でこもっているわ。忘れていた友との冒険の記憶がいくつも蘇ってきてきちゃう」
ラゾナは人差し指で慎重に目元を拭った。
「悪いことしちゃったな。泣かせるだなんて」
「ぐすっ。いいのよ。冒険者にはこれが必要なんだから。気づかれないまま胸の内に仕舞われていた感情が表に出てくることで涙になるの。そうやって感情が消化されたとき、新たな冒険のためのエネルギーがチャージされるのよ」
「……ってことは、もしかしてゾンゲイルの歌、冒険者を元気にする効果が強いってことか?」
「そうね。拡声箱で再生する古めかしい歌姫の歌より、ずっと強いわ」
「よ、よかった……」
「しかもあの歌、歌詞の行間に、何か気持ちのいい陶酔のエネルギーが充填されいるわね。聴いていると体まで気持ちよくなってきちゃう。どうやってやったの?」
「いや、ただゾンゲイルと一緒に……」
物置の中でくっついていい気持ちになりながら書いただけだが……もしかしたらあのときの陶酔感までもが詩の行間にこもってしまったのだろうか?
そんなこと可能なのか?
スキル『作詞』が、特殊な効果を発揮したのか。
それともゾンゲイルがあの物置内での雰囲気を再現しながら歌っているからか。
あるいはそもそも詩とは文の行間にさまざな感覚や感情を込められるメディアであったということなのか。
よくわからないが、とにかく大いに褒められているのは確かだ。
「凄いわ、本当に! 羨ましいわ」
「羨ましい? オレが?」
ラゾナは頷いた。社交辞令ではない雰囲気を感じる。
「あ、あんたは魔術師なんだろ。魔術を使えるほうが凄くないか?」
「魔術師、ね。ふふん」
なぜかラゾナは自嘲的に笑うと、小物入れから細長い棒状のものを取り出した。
タバコか。
「炎よ。来てちょうだい……」
ラゾナがそう呟くと、彼女の人差し指の先に小さな炎が音もなく灯った。
(魔法か。さすがだな……)
驚くユウキの前で、ラゾナはその火をタバコにつけた。
嗅いだことのない香りの煙が辺りに満ち、それは彼女の香水と混ざってユウキをくらくらさせた。
「ユウキも吸う?」
「…………」
ユウキに喫煙体験は皆無であった。
はっきりいって怖い。
なんでわざわざ草を燃やしてその煙を吸うなどという異常行動をしなければいけないのか。
だがこの大人っぽい、しかしユウキより年下であると思われる彼女の前で、アダルトな経験に乏しい自己を晒すのは恥ずかしかった。
ユウキは思わず「ああ」と頷いていた。
赤ローブの魔術師は小物入れからもう一本タバコらしき物体を取り出すと、ユウキに近づいて手渡した。
そして彼女は再び人差し指を立てて呟いた。
「炎よ、来て……」
しかし炎は来なかった。
「炎よ、来いって言ってるのよ!」
しかし炎はどこにも来なかった。
「ええい! 年々、私のことを無視するようになって! どうしてなのよ!」
「も、もしかしてあれか? さっきは精霊みたいなヤツが炎を付けてくれたのか」
「そうよ。よくわかってるじゃない」
「だったらほら、もう炎はそこにあるだろ。それを使ったらいいんじゃないか?」
「……わかったわ。その『魔力増強の巻紙薬』、口にくわえて」
ユウキは言われた通り、『魔力増強の巻紙薬』とやらを口に加えた。
魔術師は自分の巻紙薬の先端をユウキのものに当てた。
恐る恐るユウキは息を吸いこんでみた。
すると火が燃えうつるとともに、恐るべき濃い煙が肺の中に流れ込んできた。
「げほっ、げほっ! ……なんだこれ、毒か?」
「君、もしかして初めてだったの? ははは、それもそうよね。私が調合した、私の店でしか売ってない魔力増強の秘薬だものね」
「なんてものをオレに吸わせるんだ。げほっ、げほっ」
「ずっと欲しそうに見てたからよ。初めてなら効くでしょ、すごく」
「効く……? なんのことだ?」
ラゾナは裏庭の奥にある小さな畑を指さした。
「あそこ、私がエルフから借りていろいろな魔法の花や植物を育ててる畑よ。そこをよく見てちょうだい」
ユウキは言われるがままに裏庭の畑に目を凝らした。
すると……。
「な、なんだこれ……夜なのに花や草が輝いて見えるぞ」
「それが魔術師の視野。魔力増強の薬によって一時的に魔力を得たあなたは今、生命あるものが発する魔力のきらめきを見てるのよ」
「…………!」
ユウキは上下左右を見渡した。
「……なっ、なんて綺麗なんだ」
草木、月、星の美しさに思わず息を呑んでしまう。
そして……。
正面に顔を戻すとすぐ目の前に魔術師がいる。
その顔、体、とんでもなく美しい。
「なによ。そんなにまじまじと見ないでよ」
「ご、ごめん……」
ユウキは己を恥じてうつむいた。
「ううん……そうね、しかたないわよね。私が魔力に目覚めたときも、世界の美しさに我を忘れたものね。顔を上げて」
「…………」
「薬の効果が切れるまで、恥ずかしいけど見てていいわよ、私のこと」
ラゾナは星歌亭の壁によりかかった。
何もかもが活き活きと美しく感じられる裏庭で、ユウキはしばしラゾナに見惚れた。
ラゾナは壁にもたれ星を見ていた。
「…………」
*
しばらくして魔力増強の薬の効果が切れたのか、ユウキは平常心を取り戻した。
そろそろ店内に戻らなくては。
勝手口に向かって歩を進めかける。
「…………」
だが、今、なんとなくしんみりした空気がこの裏庭に流れているのを感じた。
しんみりした空気の発生源はラゾナのようだった。
スキル『共感』がパッシブに発動され続けているのか、それとも先程の魔力増強薬の効果がわずかに残っているのか、なんとなく彼女が発している感情が感じとれる気がする。
錯覚かもしれない。
だがどことなく寂しそうな雰囲気を感じる。
無力感のようなものも感じ取れる。
「…………」
だがラゾナは『魔力増強の巻紙薬』の燃え残りをユウキの指から回収すると言った。
「そろそろ戻る頃合いね。私、ユウキに曲の感想を伝えたかっただけだからね。……伝えられてよかったわ」
「そうだな、戻るか……」
しかし……ユウキの足は動かなかった。
今、何かを言いたい気がする。この魔術師に。
それが何かはよくわからない。
だ何か、流れを感じる。
この魔術師ともっとコミュニケーションしたい。
そんな気がする。
だがなんのために?
よくわからない。
「…………」
自分の気持ちも相手の気持も、今この瞬間、自分が何をすべきかも不明瞭だった。
ユウキはもっとも安全な方向、つまりラゾナとの交流を打ち切って店内に帰ることを選びかけた。
だがそのときユウキの体に、壁を超えて響くかすかな太鼓の重低音が届いた。
わずかに体に伝わるその空気の振動に押され、ユウキは再びラゾナに向き合うとスキルを使った。
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