第12話 ライブ

 夜のライブは盛況だった。


 ゾンゲイルの新曲『君のおかげ』は星歌亭の客席を大いに沸かせた。


 とはいえロックバンドのファンがビール片手に大騒ぎするような盛り上がりが生じたわけではなかった。


 むしろ観客は、ドレスに着替えたゾンゲイルの歌声を聴いて、自らの心の内側に深く意識を沈ませていった。


「…………」


 客席の丸テーブルでは、冒険者の矜持だとでもいうのか鎧を脱がず小手も外さずに腕組みしている戦士が、目を閉じて歌に耳を傾けている。


 彼は見事な紋章が彫金された年代物の胸当てを身に付けている。あるとき彼の目から一粒の涙がこぼれ、その騎士風の胸当てを濡らした。


 それが合図であったかのように、夜の星歌亭に集う冒険者たちから嗚咽が漏れ始めた。


「うっ、うっうっ……」


「ひっぐ、うぐっ、うぐう……」


 ゾンゲイルの歌唱用ドレスには照明を反射するラメ状の欠片が全面に縫い付けられており、それは客席のろうそくと、壁の魔法の照明を浴びて輝いていた。


 その光輝に包まれてワンコーラス歌い終えたゾンゲイルは、再度、胸の前で手を組むと『君のおかげ』をとうとうと繰り返し歌い上げた。


「いつもー、ありがとうー。君のおかげでー」


 伴奏はユウキのスマホである。


(実家の妹がよく遊んでいるのを見てオレも入れてみた音楽制作アプリだが……まさかこんな形で役に立つとは……)


 おそらく異世界人は初めて聴くであろう現代的なキックが星歌亭の空気を揺らしている。


 その音量はエルフのアーティファクト『拡声箱』を使って爆上げされている。


 急遽、ゴライオンの鍛冶屋から持ってきた拡声箱はまだ未改造であったが、十分に伴奏の用に足りていた。


「あの拡声箱、絶好調だな」


 カウンターの奥でユウキは星歌亭経営者のエルフに言った。


 しかし……。


「え? なにか言ったかい?」


 拡声箱からの伴奏とゾンゲイルの歌によって、こんな近距離でも声が通じない。


 ユウキはエルフの尖った耳に口を寄せてると、大声で再度、繰り返した。


「拡声箱、絶好調だな!」


 エルフは一瞬、軽蔑した顔でユウキを見ると、やれやれというジェスチャーをし、ユウキの耳に口を寄せると大声で言った。


「君は作曲家のくせに、耳があまりよくないようだな! 低音の一部がまったく出てないだろう!」


 そんなオーディオマニアみたいなことを言われても全くわからない。


 だいたい作曲家と言われても、あんなのは激烈にシンプルなリズムに、超簡単なコードとメロディを並べただけのものだ。


「僕はこの世界でー、いつも健やかにー、生きていけるよー」


 しかしゾンゲイルが歌うこの素朴な歌詞に、シンプルな曲調が不思議に合っているよう感じられる。


「それはー君のーおかげだよー」


 興奮で顔を紅潮させながらゾンゲイルは何度もこの歌をループで歌っている。


 その催眠的な歌を聴いているうちに、だんだんユウキは心の奥からしんみりとした感謝の気持ちが湧いてくるのを感じた。


 いつの間にか涙がホロリと頬を伝っていることにも気づく。


「……なんだこれ? なんでオレ、泣いてんだ?」


 経営者のエルフを見ると、彼もいつの間にかその形の良い目に一杯の涙を溜めて震えていた。


 エルフは嗚咽を漏らすまいとしてか、しばらく口元を手で覆って頑張っていたが、やがて耐えきれなくなったのか厨房に駆け込んでいった。


 皆、一体どうしてしまったのか? 


 ユウキの涙はしばらくすると止まったが、客席と厨房の奥から響く嗚咽は、ゾンゲイルが歌をループさせるたびに少しずつ大きくなっていった。


 ユウキは恐怖した。


 このままでは客とエルフの頭がおかしくなってしまうのではないか?


 ステージに駆け上がってこの異変の元凶らしいゾンゲイルの歌を止めるべきか?


 だがそのときカウンターの中に、赤いローブを着た女性がすっと入ってきた。


 彼女のローブは胸元と肩口が大きく空いており、それでいて体の曲線が強調されるデザインになっている。


 彼女は軽く腰をかがめるとユウキの耳元に口を近づけてきた。


 ユウキは思わず体を硬直させつつ息を呑んだ。


 赤ローブの女性はライブの最中でもよく通る声を発した。


「平気よ。止めなくてもね」


「そ、そうなのか?」


「むしろ止めない方がいいわ。みんな、涙枯れるまで泣く方がいいのよ。溜めてるものを吐き出せばすっきりするわ」


 そういうものかとユウキは納得した。実際、客席の皆は涙を流しながらもどこか気持ちよさそうであった。


 赤ローブの女性はカウンター内で勝手に飲み物を作ると、グラスを傾けながら言った。


「やっぱり君が、あの娘のための歌を作ったようね」


「な、なんで知ってるんだ?」

 

 できれば隠しておきたかったのだが……。


 自分が作った歌詞を皆に聴かれていると思うと、凄まじい恥ずかしさを感じる。


「ん、なに? 聞こえない」


 赤ローブの女性は腰をかがめてユウキの口元に耳を近づけた。


 ユウキの目の前で耳飾りが揺れ、香水の香りが鼻をくすぐる。


「な、なんでオレがこの曲を作ったって知ってるんだ? エルフに聞いたのか」


「そんなこと、昨日のうちからわかってたわ。闇の魔力に乏しい昨今でも、私、予言の力は働くのよね」


「マジかよ……予言……」


「あまりお金にはならないけどね。私、口下手だからね」


 とてもそうは思えない。


 赤ローブの女性は自信と魅力に満ちているように見えた。


 ゾンゲイルの魅力には非人間的な異様さがあるのだが、この人の魅力はあくまで人間的なものである。


 それだけに同じ人間種族を引き寄せる磁力に優れていた。


 ユウキはまっすぐにこの赤ローブの女性に自らが強く魅了されるのを感じた。


 そういや異世界に来てから、こんな人間らしい人間と話したのは初めてかもしれない。


 シオンは一応、人間種族のはずだが、あいつはかなり人間をやめてる感じがあった。歳も離れてるしな。


 暗黒戦士の種族はわからないが、仮にあの鎧の中身が人間だとしても、どうせヤバいやつだろう。


 この女性とは比較的、年齢も近いように思われる。


 ユウキは女性に魅了されるとともに、どこかほっとする親近感を感じた。


 しかしここでタイミング悪く、長年患ってきた状態異常『女性恐怖』が発動した。


 これは自分が魅力を感じる相手に対し、特に強く発動するという極めてやっかいな状態異常である。


 ユウキはめまい、心拍数の増加、悪寒を感じた。


 さらに急速に言語回路がバグり、ユウキが常に頼りにしている『基本会話』スキルに大きなマイナス修正がかかっていく。


 ユウキは、赤ローブの女の魅力的な瞳から目をそらした。


「ん? どうしたの」


「いや、あの……ふう……はあ……」


 とりいそぎスキル『深呼吸』を発動して過呼吸を回避する。


 さらに『質問』を発動し、自らの意識を女性の魅力から積極的に逸らす。


「あ、赤ローブってのには何か意味があるのか?」


 そう……知的な興味に意識を向ければ、それほど女性恐怖の影響を受けずにすむはずだ! 


 そんな必死の質問であったが、図らずもそれをきっかけに会話はスムーズに流れ始めた。


「見ての通り私は魔術師なんだけどね。魔術師には白、黒、そして赤の三種類がいるのよ」


「へー。黒ってのはどんなのなんだ? 一人知り合いがいるんだが」


「あら珍しい。最近は数が少なくなってるわよ」


「闇の魔力不足のせいか?」


「それもあるけど、もう時流に乗ってないのよね。黒ローブの魔術師ってのは、物質と個人的欲望に根ざした闇の魔力を探求する奴らなんだけど」


「なんか悪そうだな」


「そうね。だいたい性格がねじ曲がっている上、内面に根本的な弱さを抱えているから、友達としては面倒なタイプね」


「そんなもんか」


「そうよ。いくら個人的に強い力を持ってても、もうそういう暗いのが求められる時代ではないのよ」


「まあ……確かにそうなのかもな。」


 シオン、あいつは最強の魔術師を自認していて、もしかしたら戦闘においては本当に強いのかもしれない。


 しかしこの人生、人と人が面と向かって戦うことなど、ほぼほぼ無いのだ。


 実はユウキもアフィリエイトサイトの商材とするために、沖縄古流空手の達人の映像や書籍を見て、戦うための技を学んだことがあった。


 しかし達人は映像の最後で言った。


『ぶつかる力、そんなものは弱いものです。どれだけ力を強くしてもいつか必ず負けてしまう。そうではなくて、相手と和合する力、それこそが真に強い力なのです。それは自他に調和を生み、共に強く成長させるので決して負けません』


 そういう意味ではシオンの魔術など、この現実社会においては大して求められてなさそうである。


 しかも闇の魔力はどんどん弱まっているそうだし。


 哀れな……。


 一瞬、遠くのシオンを憐れみつつ、ユウキはさらに『質問』スキルを使って、自分が興味を感じることを聞き続けた。


「となると白ローブはその対極ということか?」 


「そうよ……君、よくわかってるじゃない! 白ローブは愛と公共の益に根ざした光の魔術を行使する奴らよ」


「へー」


「市役所で大量に働いていて、天から降り注ぐ光の魔力を市全体に効率よく分配する仕事に就いているわ。『大穴』での公共事業を取り仕切ってるのも奴らよ。でもね、あいつらも友達にするには不向きなのよ」


「なんで?」


「心が綺麗すぎて面白みがないの。だからね、私みたいな赤ローブ。それが一番、面白いのよ」


 赤ローブの魔術師は手にした金属製のマグカップを傾けた。


 横顔が赤い。


 もしかして酔ってるのか、この人。


「…………」


 ユウキは飲酒の習慣が無い。


 以前、アフィリエイトの商材とするため高級なウイスキーを買ってみたことがある。


 確かに香りは興味深いものであったが、アルコールに酔うという体験自体が楽しめず、ブログで紹介したのはその一本きりに終わった。


 そんなわけで、酔っている人間を見るとその酔いを醒ましたくなる習性がユウキにはあった。


「水、飲むか? あまり深酔しない方が体にいいみたいだぞ」


「酔ってないわよ! これはね、ただのお酒では無いの。魔術師の魔力を高めるハーブのリキュールなのよ」


「リキュールって、結局、酒じゃないか。しかも怪しげなハーブ入り……もしかしてこの状況もその酒のせいなんじゃないのか?」


 ユウキはいまだ嗚咽が響く客席を指差した。


 ゾンゲイルの歌がループするごとに客の嗚咽はどんどんヒートアップしていく。


「いいえ……確かにこのお店のカクテルには、私の指導によっていくつものハーブが混入されているわ。ハーブの調合は私の専門のひとつよ」


「へー、すごいな」


「まあねー……植物と人間、物質と精神、そして光と闇……そんな相反するものの間に調和を生み出し、現世利益を創造するのが私達、赤ローブなのよ!」


「ふーん。じゃあやっぱり、あんたの作った酒のせいなんじゃないのか? この惨状は」


 ユウキは人々が嗚咽し続ける客席を指さした。


「いいえ! 人聞きの悪い事、言わないで!」


「ご、ごめん……」


 気圧されてユウキは一歩後ずさった。


「確かに私の作ったリキュールは、閉じた気持ちを穏やかに開く作用があるわ! そんなお酒をエルフに頼まれて作ったのよ! でもだからって、こんな大勢の人間が子供のように泣き出すわけがないでしょう!」


「だったらいったいなぜ、こんないい大人の冒険者たちが涙を……?」


「決まってるでしょう。君のせいよ」


「え、オレの? な、なんで?」


「正確には、君の作った曲と歌詞と、あの子の歌が持つ魔力のコンビネーションのせいね」


「ゾンゲイルの歌には確かに不思議な力があるが……オレの歌詞のどこに泣ける要素が?」


「……冒険者たちはね、皆、お世話になった人の記憶を心の中に大切に抱えてるのよ。冒険に旅立つ前の家族や友人や恋人のこと。辛い冒険の中で支えあった仲間のこと……君の歌詞がそれをストレートに思い出させるの」


「なるほど……」


「ぐすっ……ああもう! 魔力に抵抗力のある私でさえ泣けてきちゃう。もう、ここじゃ話にならないわね。そうだ……こっちに来てちょうだい!」


 赤ローブの魔術師は片手で慎重に目元を拭いながら、もう一方の手でユウキを掴むと厨房に引っ張っていった。


 厨房では経営者のエルフがキッチンに突っ伏して泣いていた。


 赤ローブの魔術師は棚に畳まれていた布巾を一枚取ってエルフに渡すと、そのままさらに厨房の奥へとユウキをひっぱっていった。


「いったいどこに?」


「こっちよ」


 厨房の突き当たりに勝手口があった。


 彼女はそのドアを開けると屋外に踊りでた。


 熱気を持った星歌亭から、夜の澄んだ空気の元に出たユウキは思わず深呼吸した。


 彼女は勝手口を後ろ手で閉めた。


 店内から漏れていたゾンゲイルの歌声がシャットアウトされた。

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