第302話 大人の甲斐性

 月のない夜の空を飛んでると、どっちが上で、どっちが下なのか、分からなくなってきた。

 絶えず体を揺さぶっているジェットエンジンの振動も相まって、段々と頭がぼーっとしてくる。

 酸素マスクをしてるから、呼吸も地上のようにはいかなくて、息苦しくて、それが意識の混濁こんだくに拍車をかける。。


 このまま、底なしの闇の中に吸い込まれてしまいそうだった。



 俺は今、篠岡さんが操縦するF-3戦闘機に乗っている。

 複座型のコックピットで、パイロットの篠岡さんのすぐ後ろに座っていた。


 目の前には液晶モニターを中心に無数のスイッチやメーター類が並んでいる。

 どれかのボタンを押したい誘惑に無性に駆られるけど、たぶん、どのボタンも押したらまずいボタンだと思う。

 一応、俺は子供ではないので、悪戯で押したりはしない(押す寸前までいったけど)。


 俺達の機体の少し後ろには、月島さんが乗る機体が飛んでいた。

 俺がそっちを見ると、後席の月島さんがこっちに向けて手を振る。

 二機はそれくらいに近い距離で飛んでいた。


 俺と月島さんを送り届けるためだけに飛んでるこの二機の編隊は、世界一速いタクシーなのかもしれない。



「どう? 気持ち悪くなったりしてない?」

 しばらく飛んでたら、ヘルメット内のスピーカーから篠岡さんの声が聞こえてきた。


「はい、大丈夫です」

 俺は答える。

 最初にこの機体に乗ったときは吐きそうになったけど、慣れたのか、今回はそんなこともなかった(まあ、前回は篠岡さんがわざと曲芸飛行みたいなことをしたから、それで酔ったんだけど)。


「こんなふうに小仙波君を文香ちゃんのところへ送り届けるのは、これで二度目だね」

 篠岡さんが続ける。


「ごめんね。これも、私達大人が不甲斐ふがいないせいだ。君を巻き込んじゃって、本当にごめんなさい」

 篠岡さんは、全大人を代表するみたいに謝った。


「いえ……」

 巻き込まれたっていえば、一緒にゲームをしてた相手とオフで会おうとして、そこに戦車の文香が来たときから、俺は思いっきり巻き込まれてる。

 でも、そのこと自体にはそれほど悪い気はしていない。

 っていうか、おかげで、普通の高校生ならあり得ないような経験を、色々させてもらっていた。


「こうやって君を巻き込んじゃうことには、あおいも後悔してるの。彼女も、すごく心を痛めてると思う。本当は、ここに君を連れて来たくはなかったんだと思う。それでも、こうやって君を連れ出してる。碧も難しい立場なんだよ」

 碧、っていうのは月島さんのことだ。

 篠岡さんと月島さん、普段は憎まれ口とか叩いてるけど、ホントはお互いがお互いのことを想っている関係なんだって思った。


「だから、私からもお願い。もう少しだけ、碧に付き合ってあげて。碧も君に危害が加わるようなことは絶対にしないし、させないし、私も、微力ながら君を守るために全力を尽くすから」

 篠岡さんはそう言って、前の席で親指を立てて見せる。


「はい」

 俺も親指を立てて答えた。

 こんな戦闘機を縦横無尽に操る人に守ってもらえるなんて、心強い。


 だけど、篠岡さんにあらためて言われるまでもなく、俺はそのつもりだった。

 月島さんを助けたいし、それになんといっても文香を助けたい。

 遠く異国の地で震えている文香の元へ、すぐにでも行ってやりたかったのだ。


「よし、碧に協力してくれたら、お姉さんが、君のいうことなんでも一つ聞いてあげる」

 篠岡さんが思わせぶりに言う。


「ああ……」

 思わずそんな声が漏れてしまった。


 また、だ。

 ここでもまた一つ、女子からの「なんでも」の貯金が増えた。

 こんな富豪ふごうは、ざらにはいないと思う。


 でもまあ、俺、勇気がないから、なかなかその貯金を下ろせないんだけど。



 篠岡さんとそんな話をしてると、夜の海の上に光の塊が見えてきた。

 真っ暗な海で、そこだけお祭り会場みたいに明るくなっている。

 島っていうか、ちょっとした街が海上にあった。


「空母『しなの』と、その随伴ずいはん艦だよ」

 俺の疑問を先回りして篠岡さんが教えてくれる。

 「しなの」っていえばこの国で最大の空母だ。

 確か、篠岡さんのお母さんが艦長をしてた艦だと思う。


「今から、あそこに着艦するから」

 篠岡さんがそう言うと、このF-3戦闘機のスピードが徐々に落ちていく。

 月島さんが乗る後ろの機体も、同じように減速した。


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