第234話 ロシアンティー
一瞬、会場全体が固まった。
さっきまで手を上げたり拍手をしてた人達が、その姿勢のまま止まる。
うるさいくらいだった声援や指笛がピタリと止んだ。
フリフリの可愛いドレスでキャッキャウフフしてた五人組みがいきなりぶっとい音を出してるんだから、そんな反応になるのも分からなくはなかった。
「午後のお茶会」がデスメタルバンドだって知ってるうちの学校のコアなファン以外は、まさしく凍り付いている。
俺の右隣の席にいる他校の生徒が口をあんぐりと開けたままになってるし、南牟礼さんをおいて左隣のおじさんは目が点になっていた。
俺の前の席の小学生くらいの男の子は、このまま音に乗ればいいのか、泣けばいいのか分からずに戸惑ってるように見える。
その可笑しさに我慢できなかったらしく、隣で南牟礼さんが声を殺して笑った。
アイドルみたいな衣装で揃えてステージに立った伊織さん達の作戦は、ものの見事に成功する。
完全に観客の度肝を抜いた。
「ボゥーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
デスボイスが講堂中に響く。
伊織さんはステージに置いてあるスピーカーに片足を乗せて、マイクを短く持って
スカートの中が見えそうな、はしたない姿勢なのに、伊織さんがするとなぜかカッコよく見えるから困る(ちなみに伊織さんは、中にちゃんとスパッツみたいのを穿いていた)。
伊織さんはデスボイスで呪文みたいに言葉を連ねた。
なんて言ってるのか、歌詞は全然聴き取れない。
だけど、とにかく迫力がある。
伊織さんのあの可愛い口からどうしたらあんな野太い声が出るのか、未だに分からない。
他のメンバーも、伊織さんに負けず劣らずカッコよかった。
伊織さんの後ろで、ドラムの女子は長い髪を振り乱しながらスティックを叩きつけていた。
ギターの女子はヘッドバンギングしながら超絶技巧を見せつけている。
ベースは直立不動のままぶっといベースラインを正確に刻んでいた。
キーボードが打ち鳴らしてる不協和音が段々耳に馴染んで、メロディアスに聞こえてくる。
伊織さん達五人は、そうやって、観客を置き去りにしたまま一曲目の「血塗られたスコーン」を最後まで演奏しきった。
すると、間髪入れずに二曲目の「鮮血と血糊のロシアンティー」の演奏が始まる。
と同時に、ステージの先端に並んだ伊織さんとギター、ベースの三人が大きくヘッドバンギングを始めた。
三人とも長い髪を振り乱しながら、前後に大きく首を振る。
客席前方に陣取った元からのファンが同じように首を振り始めた。
前の方だけ客席が激しく波打つ。
一曲目が始まったときみたいにもうみんな固まってはいないけど、盛り上がってるのは一部だけだった。
そこだけは熱狂的に盛り上がってるのに、他は白けている。
席に座る人もちらほら見え始めた。
俺と南牟礼さんが座ってるのは最後列の席だから、館内の状況がよく分かる。
なんだか心配になってきた。
伊織さん達、奇をてらいすぎてやらかしちゃったんじゃないだろうか。
このステージ失敗か、なんて、頭によぎった。
この文化祭の一番大きな会場であるこの講堂は競争率も高くて、そこでパフォーマンスをしたいっていうグループは幾らでもあっただけに、盛り上がらなかったグループがあったなんてなったら文化祭に傷がつく。
すべてにおいて完璧な伊織さんの評判にも傷がつくかもしれない。
二曲目が終わって、三曲目の「悪魔と胡瓜のサンドイッチ」が始まったタイミングで、俺のスマートフォンが振動した。
本部の花巻先輩から電話が掛かってるらしい。
俺は南牟礼さんに目配せして、二人でこっそりと講堂を抜けた。
外に出て、電話がとれるところまで移動する。
「どうだ小仙波、なにか問題はないか?」
花巻先輩が訊いた。
先輩は、見回りの俺と南牟礼さんに校内でどこか問題がないかを訊いたんだろう。
だけど俺の頭には伊織さんのバンドのことがよぎる。
もしかして先輩は、その超人的な嗅覚で、講堂の惨状を嗅ぎつけたんだろうか、なんて、そんなことも考えた。
「いえ、今のところ、どこも問題はありません……」
俺は答える。
嘘ついたから声が震えてたかもしれない。
「そうか、ならば、南牟礼と文香君を交代してくれ。文香君にも生の文化祭を感じさせたい。次は小仙波と文香君で見回りをしてくれ」
先輩が言った。
「はい、分かりました」
俺は答えて電話を切る。
南牟礼さんにそのことを伝えた。
すぐに戻ろうとして、でも、俺は後ろ髪を引かれている。
講堂がどうなってるのか心配で、最後まで見届けたかった。
その時、講堂の方からは、四曲目の「天使の羽根を
音漏れが講堂全体を振動させている。
俺が南牟礼さんを見ると、彼女も同じことを考えてたみたいで、俺に目を合わせて頷いた。
俺達は二人で講堂に走る。
祈るような気持ちで、その扉を開けた。
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