第200話 賓客

「ようこそ、我が文化祭実行委員会へ!」

 部室の玄関で、花巻先輩が両手を目一杯広げる大袈裟な仕草をした。


「はじめまして、このたびは文化祭に呼んで頂き、ありがとうございました」

 佐橋杏奈ちゃんがそう言って頭を下げる。


 まだ信じられないんだけど、うちの部室に佐橋杏奈ちゃんがいて、先輩と顔を突き合わせていた。

 超人気アイドルと超人花巻先輩っていう、異種格闘技の決勝戦みたいな対面だ。


「ささ、とりあえず上がってください。汚いところですが」

 先輩がそう言って杏奈ちゃんを迎え入れた。


「お邪魔します」

 靴を脱いで上がりかまちに登る杏奈ちゃん。

 靴を揃えるっていう、そのなにげない仕草まで可愛いかった。


「ほ、ほ、ほ、本物の佐橋杏奈ちゃんだ…………」

 六角屋は、眼球が飛び出しそうなくらい目を見開いている。


「か、可愛い……」

 同性の南牟礼さんも、杏奈ちゃんに見とれて口をぽかんと開けたまま。


「あ、あの、いらっしゃいませ……」

 いつも冷静な伊織さんまで取り乱して、そわそわしている。


 杏奈ちゃんが他の生徒に見付かるといけないから、玄関の引き戸はすぐに閉めた。



 座布団を勧めてちゃぶ台の前に座ってもらう。

 俺達は、おそれ多くて近くに座れずに、ちょっと離れて、杏奈ちゃんを囲むように座った。


「なんのお構いもできませんが」

 すぐに先輩がお茶とお菓子を出す。

 先輩手作りの今日のお菓子は、すっきりとした喉越しの水ようかんだ。


「お忙しいところに突然お邪魔して、申し訳ありません」

 杏奈ちゃんが頭を下げた。

 それだけで虹色の粉が周囲に舞った気がする。


「いえいえ、こちらは一向に構いません。それより、ここまで一人で来られたのですか?」

 先輩が訊いた。


「いえ、マネージャーさんの車で参りました。目立つといけないので、マネージャーさんは駐車場の車の中で待機しています」


「なるほど。それで、どのようなご用件で?」


 そうだ。

 忙しい杏奈ちゃんが、突然、何しに来たんだろう?

 まさか、前乗りってこともないだろう。

 まだ文化祭の出番までには数日あるんだし。


「はい。文化祭当日のステージを確認しておきたかったので参りました。写真だけでは心配だったので、直接目で見て確認したかったんです。ちょうど近くで仕事があったので寄らせてもらいました」


「なるほど」

 先輩が頷く。


 まさか、わざわざステージを確認しに来たとか…………


 高校の文化祭のゲストっていう小さな仕事でも、杏奈ちゃんは万全の体制で臨もうとしてくれてるらしい。

 こういうのをプロ根性って言うんだろうか。

 彼女が、ただのアイドルじゃない、スーパーアイドルである理由の一端が、分かるような気がした。


「それに、文化祭の雰囲気を知りたかったんです。私、一応学校には通ってることになってますけど、仕事でほとんど通えてないし、文化祭っていう行事に、生まれてから今まで一度も参加したことがなかったので」

 杏奈ちゃんの顔が、少しだけ寂しそうに曇る。


 それだけで、こっちももらい泣きしそうになった。


 俺なんかひねくれてて去年まで文化祭なんかに参加したくないって思ってたのに、杏奈ちゃんみたいに行きたくても行けない人もいるのだ。


「講堂のステージを見に行くとなると、僕達で杏奈ちゃんさんを厳重に警備しないといけませんね」

 六角屋が言った。


 杏奈ちゃんがここにいるってなったら、学校中、上に下への大騒ぎになる。

 野獣の檻に子羊を放つ、って言ったら言い過ぎだろうか。


「文香にも協力してもらって、厳重に警備しましょう!」

 俺が言う。


「はい! 全力で守ります!」

 中庭から文香が言った。


「いや、それだと却って目立つだろう。それに、この佐橋さんはこの文化祭の雰囲気を感じたいと言っておられるのだ。厳重な警備などしていたら、生の雰囲気を感じることなどとてもできないであろう」

 先輩が言う。


「それじゃあ、どうするんですか?」

 南牟礼さんが訊いた。


「うむ、そこで私に考えがある」

 花巻先輩はそう言うと、唐突とうとつに今日子に向き直った。


「今日子君、今すぐ制服を脱ぎたまえ」

 先輩、なに言い出すんですか……


「今日子君の制服を、佐橋さんに貸して差し上げるのだ」


「はい?」

 今日子が眉を寄せる。


「見たところ、二人の外見はそっくりである。そこで、佐橋さんが今日子君に変装して、今日子君として校内を歩けば、誰にも騒がれずにステージの確認が可能であろうし、文化祭で盛り上がっている校内の雰囲気を感じることも可能であろう」


「でも、それは……」

 今日子は先輩に言い返そうとしたけど、目の前にいる杏奈ちゃんは自分を鏡を見てるみたいにそっくりだったから、その言葉が引っ込んだ。


「良い考えですね!」

 一方の杏奈ちゃんは目を輝かせている。


 ただでさえキラキラしてる彼女が目を輝かせると、もう、まばゆくて直視できなかった。


「そして、小仙波よ。君が佐橋さんを案内して差し上げろ」

 花巻先輩がまた、変なことを言い出す。


「えっ? 俺が、ですか?」

 俺は素っ頓狂とんきょうな声を出した。


「うむ。小仙波と源が並んで歩いていても、校内の皆は誰も不審に思わないだろう。ああ、また夫婦が歩いてるだけだと思って、気にも留めないであろう」

 先輩が言って、ニヤリと口の端で嫌らしく笑う。


「だから、夫婦じゃありませんって!」

「だから、夫婦じゃありませんって!」

 俺と今日子が、声を揃えて抗議した。


「ふはははは!」

 それを笑い飛ばす先輩。


 とにかく、こうして今日子に変装した佐橋杏奈ちゃんを、俺がエスコートして校内を回ることになった。

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