第185話 椅子地獄

 俺の目の前には、パイプ椅子がうずたかく積まれている。

 折りたたんだパイプ椅子が、俺の背丈を超えるくらい重ねてあって、それが壁みたいに並んでいた。

 さらには、その壁が列になって、何重にも、講堂の奥まで続いているのだ。

 広い講堂が見渡す限りパイプで埋まっていた。

 学校中のパイプ椅子が集まってるから、それは千とか二千とかそういう単位になる。

 だけど、正確な数が分かると気が遠くなりそうで、それ以上は考えないことにした。


 俺はそれらのパイプ椅子を磨いて、磨き終わったやつを反対側に並べる。

 バケツの水で濡らした雑巾ぞうきんで、椅子の座面と背もたれを丁寧に拭いた。

 ほこりがついた鉄パイプの部分も一通り磨いておく。

 座面や背もたれのビニールが破れてるところがあったら、そこをビニールテープで補修して、開きが悪い椅子があったら、可動部分に油を差す。


 それを繰り返した。

 それを繰り返して、また繰り返す。

 それを繰り返して、また繰り返して、それをまた繰り返す。

 それを繰り返して、また繰り返して、それをまた繰り返して、また、繰り返す。


 もう多分、百脚以上の椅子は処理したと思う。

 そう思いたい。


 それだけやっても、まだまだ終わりは見えなかった。



 なんでこんなことになったかといえば、それは例の件に端を発している。

 俺と花巻先輩が、二人だけで部室に泊まったあの事件だ(泊まったっていっても、俺がすぐに寝ちゃって、まったく何もなかったわけなんだけど)。


 あれ以来、花巻先輩以外の女子からの視線が、なんか冷たい。

 文化祭の準備で普通に作業しながらも、みんなとの間に少しだけ溝が出来たみたいに感じた(花巻先輩だけは、いつもと変わらず、みんなにげきを飛ばしてたけど)。


 それでもやもやしていた。


 今日の放課後は、文化祭の最中にどこでも大活躍するパイプ椅子のチェックをするってなってて、講堂に集めた無数の椅子を目の前にしたところで、今日子が、

「これ全部あんたがやりなさいよ。そしたら、例の件も許してあげる」

 そんなふうに言ったのだ。


みそぎよ禊。それだけやったら、もきれいさっぱり忘れてあげる。許してあげるよ」

 含み笑いしながらそう言った。


 到底この量を一人でできるわけないし、今日子としては、いつもみたいに俺をからかうつもりで言ったんだろう。

 あのネタで俺をからかって面白がっていたのだ。


 だけど、こっちも売り言葉に買い言葉で、

「分かったやってやるよ」

 そう言ってしまった。


「できもしないくせに」

「やるって言ったらやるし」

「もういいから」

「いい、とかじゃないし」


 こんなやりとりがあった。

 今考えると、俺も今日子も子供みたいだ。

 二人とも、子供の頃からまったく成長してなくて、恥ずかしい限りだった。


「小仙波君、一人じゃ無理だよ。みんなでやろう」

 伊織さんが困った顔で言ってくれた。


「そうですよ先輩。私もやります」

 南牟礼さんも気遣ってくれた。


「冬麻君、私は細かい作業苦手だけど、でも、頑張るから」

 文香も言った。


 だけど、そんな女子の前だからこそ、余計に意地を張ってしまって、


「大丈夫です。俺が一人でやれば、みんなが他の作業に集中できるから、そうしましょう」

 そんなふうに言ってしまった。


 するとそこで花巻先輩が、

「うむ。その意気やよし! 小仙波がやる気を出してくれて、私は嬉しいぞ! さあみんな、ここは小仙波に任せて、別の作業に移るとしよう。仕事はまだ山のようにある」

 そう言った。



 そんなわけで、俺は今、こうしてパイプ椅子に囲まれているのだ。

 まあ、一言でまとめると、自業自得だ。



 俺が果てしない作業で途方に暮れてると、


「お、やってるやってる」

 講堂に顔を出したのは六角屋だった。


「なんだよ。からかいに来たのか?」


「いや、手伝おうと思ってさ。これ一人でやるのは、小仙波があまりにも気の毒だから」

 六角屋はそう言って、ミネラルウォーターのペットボトルを投げて寄越した。


 ちょうど喉がカラカラだったから、すごく助かる。

 六角屋はこんなふうに、女子だけじゃなくて男の気持ちも分かる奴なのだ。


「さて、やるか」

 六角屋はそう言って、バケツの水で雑巾を絞って、椅子を拭き始める。


「ありがとう」

 これは素直に言えた。


「いいって」

 六角屋が照れ笑いする。



 それから二人で黙々と椅子を拭いた。

 外はしとしと雨が降ってて、蒸し暑い。

 もうすっかり夏なのだ。



 そうして、一時間も過ぎただろうか。

 まだ全然減らない椅子に四苦八苦してると、

「なあ小仙波」

 六角屋が話し掛けてくる。


「ん?」


「俺さ、告白しようと思ってる」

 突然そんなことを言う六角屋。


「はっ? 告白」

 告白って、好きな女子に好きって言う、あの告白。

 俺なんかには縁がない、あの、伝説の告白のこと?


「うん、文化祭の最中にしようと思っててさ。ほら、ああいう盛り上がってるときって、勢いで普段言えないことも言っちゃえるだろ? だから、そのときと思って」


「ふうん」


 ずいぶん思い切ったって思った。

 俺には絶対できない。


 だけど、六角屋が告白される相手はきっと幸せになると思う。

 だって六角屋は女子の気持ちが手に取るように分かる奴だし。

 女子を不快にさせることは絶対しないし。


「で、誰に?」

 俺は訊いた。

 六角屋が、たくさんの女子達の中から選んだ相手って、誰だろう?


「源に」

 六角屋が言った。


「はぁ?」


「源って、今日子のこと?」


「ああ」


、今日子のこと?」


「うん」


 なんか、一瞬、頭の中が真っ白になった。

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