第166話 法被

 放課後、書き上がった招待状を投函しにいく。

 段ボール箱一杯に詰めた封書を、南牟礼さんと一緒に文香に乗って郵便局まで運んだ。


「文香先輩の中って、こんな感じなんですね」

 文香で道路を走りながら南牟礼さんが言う。


「包まれてる安心感っていうか、ここにいると無敵な感じがします」

 南牟礼さんが文香を褒めるから、文香が興奮していつもより余計にエンジンを吹かした。

 ガス欠で帰れなくなると困るから、褒めるのも浮かれるのもほどほどににして欲しい。



 南牟礼さんは、俺の膝に座っていた。


 文香の車内には座席がここしかないから、必然的にこうなった。

 狭い車内で、俺は南牟礼さんを抱っこしてる感じになる。

 南牟礼さんの後頭部が俺の顔のすぐ下にあって、髪が俺の鼻をくすぐった。


 っていうか、南牟礼さん、警戒心なさすぎだろ。


 俺にすっかり体を預けて、足をぶらぶらさせる制服姿の南牟礼さん。

 遊園地の乗り物に夢中な子供みたいだった。


 滑り落ちるといけないから俺が南牟礼さんの腰の辺りに手を添えてるけど、彼女はそれを全然気にしていない。

 狭い文香の車長席で、ここはある種の密室と言える。

 そこに若い男女が二人きりでいて、密着しているのだ。

 俺が豹変ひょうへんして襲いかかったらどうしようとか、考えないんだろうか?


 いや、襲わないけど。

 豹変もしないけど。


 ここは文香の中だし(外でも襲わないけど)。


 とにかく、まるで警戒心がない南牟礼さんを膝に乗せてると、妹の百萌の小さい頃を思い出した。

 百萌は、隙あらば俺の膝に乗ってきた。

 そんな百萌が南牟礼さんに重なる。


 その誘惑に耐えられなくなって、とりあえず頭をなでなでしておいた。

 なでなでするとふにゃってなる感じまで、百萌と一緒だ。



 大量の郵便物を一度に出したのにも関わらず、郵便局の人は嫌な顔一つせずにそれらを受け取ってくれた。

 この時期に実行委員が大量の郵便物を出すのは恒例行事になってるんだろう。


「文化祭、楽しみにしてるからね」

 帰り際、局員の人が声をかけてくれた。

 郵便局にもちゃんと文化祭のポスターが貼ってある。




 部室に帰ると、俺達抜きで、委員のみんなと月島さんがにわかに盛り上がっていた。

 なにかと思ったら、注文してた法被はっぴが届いたらしい。


 文化祭当日と準備期間に俺達委員が着るため、新たにしつらえた法被だ。


 それは臙脂えんじ色っぽい上品な赤で、下半分が紅白の市松模様になっている。

 黒い襟の部分には「文化祭実行委員会」っていう銀糸の刺繍ししゅうがしてあった。

 背中には、白抜きの「祭」っていう力強い一文字が入っている。

 ぱりっと糊がきいててカッコいい。


 その法被が、花巻先輩からみんなに配られた。


「着てみていいですか?」

 今日子が訊く。


「うむ」

 先輩が頷いて、各自それに袖を通した。


 今日子に伊織さんに南牟礼さんに月島さん。

 普段から凜々しいみんなが、より凜々しく見えた。

 六角屋や俺の男子陣も、なんとか様になったんじゃないだろうか。

 同じユニフォームを着て一体感が高まった気がする。


「皆、この法被を着ることの意味を再確認しておくように」

 花巻先輩が改まって言った。


「この法被に袖を通すということは、それほど重大な責任を負うということである。当日は無数の人が我が校を訪れる。なにかあったとき、人々はこの法被を羽織った我らを頼ることになるだろう。この法被を着るものは、祭を円滑に運営し、来場者から寄せられるすべての要望に答えられるよう、準備しておく必要がある。それほどこの法被を着ることの意味は重大なのだ」

 先輩が言って、みんなが「はいっ!」って小気味よい返事をした。


 なんか、自然と背筋が伸びた気がする。



「みんな、いいなぁ」

 盛り上がってる俺達を前に、中庭の文香がぽつりと言った。


 あ。


 そういえば、法被はみんなに配られたけど、中庭にいる文香はそれを着ることが出来ない。

 文香だけ、いつもの迷彩の外装のままだ。


「文香ちゃんの分、特注するってわけにもいかないよね」

 六角屋がすまなそうに言った。


「後で、法被をアンテナにぶら下げて、旗みたいにしたらどうかな?」

 伊織さんが言う。


「文香先輩を塗装してあげればいいんじゃないですか?」

 南牟礼さんが言った。


「塗装?」

 俺が訊き返す。


「文香先輩をみんなで法被と同じ色と模様に塗装するんです」

 南牟礼さんは得意顔で言った。


「先輩、どうですか?」

 南牟礼さんに訊かれて、文香が「うん! 塗って欲しい」って砲塔を何度も上下させて頷く。


「ぬぬ、塗って大丈夫なのかなぁ…………」

 月島さんが冷や汗を流しながら言った。


 最新鋭兵器に勝手に色を塗ったら、たぶん、月島さんは上層部の人からお小言をもらうと思われる。

 それも、迷彩色から目立つ赤になるのだ。

 月島さん、また、分厚い始末書を書くことになるだろう。


「よし! やろうではないか!」

 花巻先輩が言った。

 先輩が言えば、それはもう決定だ。


 さっそく、ホームセンターに塗料を買いに行く。

 市松模様の部分を丁寧にマスキングしてから、みんなで文香を塗った。


 面積が広すぎてペンキがすぐになくなる。

 夕方までかかって塗り終わる頃には、みんな手や顔がペンキまみれになった。


 俺達の法被と同じ赤で塗り上がった文香の前に、六角屋が脱衣所の姿見を持ってくる。

 鏡に全身を映してあげた。


「みんなと同じ!」

 文香が超信地旋回しながら自分の姿を確かめる。

 赤くなって、3倍くらい速く回ってるかもしれない。


 とにかくこれで、正真正銘、我が委員会が一体になった。



「法被を着て、ハッピーだよね」

 突然、文香が言った。



 ん?



 法被を着て、ハッピー?

 法被と、ハッピー。

 ハッピーと法被?


 初夏の蒸し暑い空気が一瞬で冷えて庭に霜柱が立った。

 存分に枝を伸ばしてた中庭の葉桜が、しおれて落葉が舞う。

 花巻先輩が、言葉を失って口をぽかんと開けたままだ。



「はは、ははは」

 六角屋が無理矢理笑った。

 六角屋、言ったあとで歯がガタガタ震えている。


「はは、ははは」

 部室の中庭に、湿度0%の笑いが響いた。


 とにかく、AIに笑いのセンスを求めるのは、まだ時期尚早なのは確かだった。

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