第164話 反則

 立て付けの悪いドアがギイッと鳴る。

 おもむろに脱衣所のドアが開いた。


「はぁ、さっぱりした。風呂上がりにぐーっと一杯、いきたいよね」

 お風呂に入っていた月島さんが中から出てくる。


 俺は一旦、目をつぶった。


 ネグリジェ姿の月島さんを見る前に、一呼吸置いて気持ちを落ち着ける。

 目を開いたとき、そこに見える光景すべてを脳裏に焼き付けるために、目に力を溜めた。


「やっぱり、カワイイ男の子に入れてもらうお風呂はひと味違うね。こんなお風呂に毎日入れたらいいのに」

 月島さんが軽口を叩く。


 さて、そろそろいいだろう。


 俺はゆっくりと目を開いた。

 目蓋を開く筋肉が千切れるくらい、大きく目を開けて。



 っていうか…………



 月島さんは、スリップにパンツっていう格好をしている。

 胸元に花の刺繍ししゅうが入った黒いスリップに、同じ刺繍の柄の黒いパンツ。

 透けたスリップ越しに月島さんの控えめなおへそが見えた。

 上気した肌がピンク色に染まっていて、スリップの裾から覗く太ももがまぶしい。

 濡れた髪にはタオルをまいていて、うなじに数本の後れ毛が張りついていた。

 シャンプーの良い匂いが居間に広がる。



 ネ、ネグリジェじゃないんかいっ!



 俺は心の中で盛大に突っ込んだ。



「先生! なんて格好してるんですか!」

 今日子がちゃぶ台に足をぶつけながら立ち上がった。


「小仙波君、見ちゃダメ!」

 隣りに座ってた伊織さんが、手の平で俺の目をふさぐ。


 目の前が真っ暗になったことより、伊織さんの手が冷たいことにびっくりした。

 その細い指は、冷たくて、どこまでも柔らかい。

 俺の両目の眼球が喜びを感じていた。

 目が塞がれてなんにも見えないのに、天国が見えた気がする。


 女子に手で不意に目隠しされるって、男子が女子にやって欲しいこと、9位くらいに入ると思う。


「ほら、これ着てください!」

 今日子が月島さんにパーカーを被せるのが、伊織さんの指の隙間から見えた。


「何よぅ、別にいいじゃない。お風呂上がりだし」

 月島さんがちょっとふくれる。


「生徒の前ですよ」

 今日子が注意した。


 だけどそれは、月島さんがいつも家の中でぶらぶらしてるときの服装だ。

 毎朝、隣の家の窓から俺に「おはよう」って言うときの服装でもある。

 俺はほとんど毎日、月島さんのその姿を見ていた。


 でも、確かに考えてみれば、スリップとパンツっていう格好は、ネグリジェよりも遙かに露出度が高い。

 布が二枚しかない。

 それなのに俺は、ちょっとドキッとするくらいで、今まで普通に見ていた。

 その格好で家の中を歩き回る月島さんの横で、部屋の掃除とかしてた。


 なぜ、冷静に見られたんだろう?

 そして、なぜネグリジェにこれほどまでにドキドキしてたんだろう?


 俺は、ネグリジェっていう言葉の響きに翻弄ほんろうされていたんだろうか?

 それに浮かれていたのか。


 これが、ネグリジェマジックか…………



「ほら、あなた達も順番にお風呂に入りなさい。後がつまるでしょ?」

 タオルで髪を拭きながら月島さんが言った。


「伊織さん先にどうぞ」

「ううん、今日子ちゃんが先に」

 伊織さんと今日子が譲り合う。


 結局じゃんけんで順番を決めて、今日子が先に入ることになった。


「お先に」

 タオルと着替えを持った今日子が脱衣場に向かう。



 やがて風呂場から水音が聞こえた。

 シャワーの音とか、洗面器の水をこぼす音が聞こえる。

 でもまあ、今日子の風呂場を想像しても、別になんとも思わなかった。

 今日子とは小学生くらいまで一緒にお風呂入ってたし。


 俺の心は平穏なままだ。

 さざ波程度も立っていない。

 いや、白波くらいは立ってるかもしれない。

 いや、サーフィン出来るくらいの波は立ってたのかも。


 やがて今日子が脱衣所から出てくる。


 まあ、見てやらないこともない。

 乱暴な今日子も、ネグリジェを着れば少しは色っぽく見えるかもしれない。

 今日子もあれから少しは成長してるんだろうし。


 ショートカットの髪をタオルでゴシゴシ拭きながら出てきた今日子。


 今日子は確かにネグリジェを着ていた。


 だけど……


「は?」


 思わず声が出てしまった。


 今日子は、スケスケの黄色いネグリジェの下に、Tシャツを着て短パンを穿いている。

 体のラインが見えないようにガッチリとガードしていた。


「へへへ、残念でしたぁ」

 今日子がそう言って舌を出す。


 その場でくるっと一回転して見せる今日子。

 Tシャツと短パンの上で、黄色いネグリジェがふわっと広がる。


 その時の俺は、某カ○ナシより無表情だったと思う。


 なんか、スカートの下にジャージ穿いてる女子と同じずるさを感じた。

 「スカジャー」というそのスタイルには一部熱狂的なファンがいるけど、それについて俺は多分に懐疑的だ。

 防寒以外でその格好をするのは反則だと思っている(異論は認める)。


 っていうか、今日子に心をもてあそばれたのがくやしい。



「さあ、次、伊織さん入って」

 今日子が言った。


「じゃあ、入って来るね」

 いよいよ、伊織さんが風呂場へ向かった。


 果たして、伊織さんはどんなネグリジェの着こなしをしてくるんだろう。

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