第140話 犬猿

 空から、キーンって、耳の奥を突くようなジェットエンジンの音が聞こえてくる。

 前にも聞いたことがあるエンジン音だ。


 同時に、上から吹き付ける風を感じた。

 見上げるとそこに、空にとけ込むようなグレーの飛行機がある。

 敵のレーダーから逃れるために、折り紙で折ったみたいな直線基調で作られた機体。

 自衛隊のF-3戦闘機だ。


 垂直離着陸機のその戦闘機が車輪を出して、学校のグラウンドめがけてゆっくりと降りてきた。


 グラウンドを囲む木々がしなって、落ち葉が舞い上がる。

 乾いたグラウンドで、土煙がもうもうと上がった。

 グラウンドにいた野球部とかサッカー部なんかの運動部部員が、一斉に端に避ける。


 F-3戦闘機は、まるでここが滑走路か空母の甲板かのように、堂々と着陸した。

 ジェットエンジンの音が静かになって、キャノピーが開く。


 ヘルメットを脱いで見えたその顔は、やっぱり篠岡さんだった。

 航空自衛隊のパイロット、篠岡しのおか花園かえん二尉。


 コックピット脇から折りたたみの梯子はしごが伸びる。

「久しぶり!」

 梯子を使って篠岡さんが降りてきた。

 たぼたぼのダークグリーンの飛行服に身を包んだ篠岡さん。

 ポニーテールの髪と、頬の笑窪えくぼが相変わらずチャーミングだ。


「ど、どうしたんですか?」


「うん、訓練中だったんだけど、ちょっと抜け出して来ちゃった」

 授業がつまんないから抜けて来ちゃった、みたいに簡単に言う篠岡さん。


「そんな、戦闘機を原チャリ感覚で使わないでください!」

 俺は思わず正統派の突っ込みを入れてしまった。

 それでなくても、この学校には戦車の文香が登校してて、色々とややこしいのだ。


「だって、小仙波君が呼んだんじゃない」


「それは、そうですけど……」

 戦闘機で来るとか、訊いてないし。


「戦闘機、こんなことに使っちゃっていいんですか?」


「いいのいいの。これが戦闘機の一番正しい使い方でしょ? 可愛い男の子に会いに来るっていう、これくらい有用な戦闘機の利用法は他にはないよ」

 篠岡さんが言ってウインクする。

 あまりにも当然のように言うから、思わずそうですねって頷きそうになった。



「それで君は、なんでお姉さんを呼び出したのかな?」

 篠岡さんが俺の目を覗き込んで訊いてきた。


 そんなの、訊かなくても知ってるくせに。 


「あの、バレンタインデーに頂いた、チョコレートのお返しをしようと思って」


「あらやだ、そんなのいいのに」

 言いながらぺしぺし俺の肩を叩く篠岡さん。

 近付くと篠岡さんからは、ライムみたいな柑橘かんきつ系の爽やかな香りがした。


「これ、どうぞ」

 俺はリボンが結んである包みを渡す。


「ありがとう、開けていい?」

「どうぞ」


 俺が篠岡さんのために用意したのは、首のマッサージ器だ。

 篠岡さん、俺より小柄で華奢きゃしゃなのに、戦闘機ですごいGに耐えてて、首にすごい負担が掛かって大変だろうって思ったし。


「ありがとう!」

 篠岡さんが、一段高い声を出した。

「これ、欲しかったんだよね」

 そう言ってプレゼントしたばかりのマッサージ器を首に当てる篠岡さん。


「こら! あんた達!」

 俺達がそんなふうにやり取りしてたら、校舎の方から走って来る人がいた。

 パリッっとしたスーツをひるがえすその人は、月島さんだ。

 月島さんはものすごい勢いで、土煙が上げながら走って来る。


「あんたは! また、うちの学校の生徒、たぶらかして!」

 月島さんが篠岡さんを指さして言った。


「別にたぶらかしてないけど、小仙波君に呼び出されただけだし」

 篠岡さんが肩をすくめる。


「もう! 一度ならずも、二度も戦闘機で学校まで来て!」


「いえ、あんただって学校に戦車を通わせてるじゃない!」


 二人が顔を近づけて睨み合う。


「まあまあ」

 なんとか収めようとするけど、大人の女性二人を前に、俺がなにか出来るわけもなく。


「小仙波君、気を付けなさい。学生時代からの付き合いだけど、こいつに泣かされた男は数知れないよ」

 篠岡さんが月島さんのことを言った。


「冬麻君、気を付けて。こいつ、交流訓練で行ったアメリカ空軍で、向こうのパイロット達をたぶらかして、一つの飛行団を壊滅に追いやったような奴だから」

 月島さんが篠岡さんのことを言う。


「…………」

 なんか、覗いちゃいけない二人の深淵しんえんを覗いたような気がする。


「ほら、小仙波君引いちゃったじゃない! ドン引きしてるじゃない!」

「時間をかけて口説いてたのに、どうしてくれるのよ!」

 いがみ合った二人は、今にもキャットファイトでも始めそうだった。


 こういうの、犬猿の仲っていうんだろうか?



「とにかく、二人とも落ち着いてください。俺、なんでもしますから」

 俺は、言った。

 どうにか二人を落ち着かせようと思って、無意識に言ってしまう。


 言ってから、しまったと思った。


「花園、聞いた?」

「ええ碧、聞いたよ。確かに聞いた」


「男子高校生のなんでもしてくれる権って、一番のプレゼントだよね」

 篠岡さんが言って、月島さんが頷く。

 さっきまでいがみ合ってた二人が、したり顔でハイタッチした。


 マズい、一番言質げんち取られたらいけない人達に、言質取られたかもしれない。


 もしかして俺、められたのか…………



「じゃあ小仙波君、ありがとう。私、戻るね」

 篠岡さんはそう言って、ヘルメットを被った。

 梯子を登って、コックピットに戻る。


「わざわざ、すみません」

 俺が言うと、篠岡さんは投げキッスで答えた。


 ジェットエンジンを始動させた篠岡さんは、来たときとは逆にふわりと空に浮かび上がった。

 学校の上空で一周輪を描いてから、空の向こうに消えていく。


 まったく、嵐みたいな人だった。



「冬麻君、いいこと? これ以上あいつと関わったらいけないよ」

 月島さんがそんなことを言う。


「まあ、私が今まで付き合ってきた中で、一番信じられるヤツなんだけどね」

 月島さん、戦闘機が飛んでいった空を見上げながら、そんなことを言った。


 結局この二人、滅茶苦茶仲がいいのかもしれない。



「さあ、それじゃあ部室に行きましょうか」

「はい」

 月島さんに背中を押されて、部室に行く。




 部室では、花巻先輩と今日子、伊織さん、そして文香が待っていた。

 それに月島さんが加わる。


「さあ、小仙波よ、他の用事は全部済ませてきたな。ならば我らに、思う存分、ホワイトデーのお返しをしてくれるがいい」

 玄関で仁王立ちしている花巻先輩が言った。


「小仙波のことだから、さぞ、素晴らしいお返しを用意してくれたのだろう、楽しみだ」

 先輩が続ける。


 先輩、そんなにハードルを上げられると困るんですが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る