第129話 航空便

 ジェットエンジンの耳に突き刺さるような音を響かせながら、それが下りてきた。

 まるで折り紙で作ったみたいな、角張った多面体。

 二枚の大きな三角形の翼と垂直尾翼が、その多面体から生えている。


 つや消しのライトグレーで塗られたその大きな鉄の塊は、重力を無視したみたいにゆっくりと下りてきた。


 もうもうと立ち上る砂埃すなぼこりで、しばらく辺りが見えなくなる。

 風圧で横にいた今日子がこっちに倒れかかってきたから、俺はそっとその肩を抱いて受け止めた。

 そのまま、背後にいる文香の転輪に寄りかかって耐える。


 やがて砂埃が収まって見えたのは、俺もよく知ってる戦闘機だった。


 自衛隊の最新鋭戦闘機、F-3だ。


 垂直離着陸できるってことは、前に俺が乗ったF-3Cじゃなくて、F-3Bなんだろう。


 なぜかそんな戦闘機が、我が校のグラウンドに停まっている。

 コックピットを覆うキャノピーは金でコーティングされていて、中は見えない。


 ジェットエンジンが止まって、周りからだんだんと音が戻ってきた。


 グラウンドにいる運動部員が、ざわざわと話しながら戦闘機を遠巻きにして様子を窺っている。


 俺に抱かれてることに気付いた今日子が、顔を真っ赤にして、

「ちょっと、なによ!」

 とか言いながら俺からスッと離れた。


 いや、なによって言うか、倒れそうになった今日子を支えてあげたんだから、非難されるどころか、感謝の言葉があってもいいくらいなんだが。



 すると突然、F-3のキャノピーが開いた。

 操縦席から折りたたみの梯子はしごが出て、ヘルメットを被ったパイロットが降りてくる。

 深緑のだぼだぼのパイロットスーツを着てるけど、その人が細身で女性っぽい体のラインをしてるのが分かった。


 その人は俺達の方に真っ直ぐ歩いてくる。


 やがて俺の前に立ったその人がヘルメットを脱いだ。

 ヘルメットを脱いでまとめていた長い髪をふりほどく。


「小仙波君、久しぶり」

 そう言って微笑むのは、篠岡さんだった。

 篠岡しのおか花園かえんさんだ。


 そう、俺を乗せてアメリカまで飛んでくれた、あの戦闘機乗りだ。


「…………」

 俺は呆気にとられていて、返事ができない。


 校舎の方から、一直線にこっちに走ってくる人がいた。

 こっちも砂埃を上げる勢いで走って来る。


 いつもはきっちりとまとめている髪を振り乱しながら走ってきたのは、月島さんだった。


「まったく! 戦闘機で学校の校庭に下りてくるとか、非常識にも程があるでしょ!」

 月島さんが篠岡さんを指さしながら言った。


 ああ、そういえばこの二人、知り合いだった。

 なにやら、浅からぬ仲だみたいなこと、篠岡さんから聞いた気がする。


「ホントに、なに考えてるのよ!」

 月島さんが声を荒げた。


「いえ、戦車が学校に通ってることよりは、常識的だと思うけど」

 篠岡さんが俺の背後の文香を見ながら言い返す。

 見られて文香がビクッとした。


「まったく、もう!」


「おやおや、お二人は知り合いなのですか?」

 二人の間に花巻先輩が割って入る。

 先輩、グラウンドの騒ぎを聞きつけて、部室から出て来たんだろう。


「我が校の講師と、航空自衛隊のパイロット、中々、興味深い組み合わせですね」

 花巻先輩が、月島さんをジト目で見た。


「ま、まあね」

 月島さんがしらばっくれる。


 月島さんが自衛隊の将校だってことは、一応、秘密になっていた。

 ここでは、プログラミングの講師ってことになっている。


「彼女は学生時代の古い知り合いなの」

 月島さんは花巻先輩に目を合わさないで言った。


「ほう、そうなのですね」

 先輩が頷く。

 でもたぶん、花巻先輩には全部バレてると思う。



「それで、なにしに来たのよ」

 月島さんが腕組みで訊いた。


「今日は二月十四日だよ。当然、小仙波君にバレンタインデーのチョコレートを手渡しに来たんじゃない」

 篠岡さんが肩をすくめる。


「そ、そんなことで…………」

 月島さんが言葉を失った。


「ちょうどアップデートでこの機体を三石の工場へ運ぶところだったし、ちょっと寄り道しただけだよ」

 篠岡さんは悪びれずに答える。


 戦闘機を手足のように操って、曲芸飛行みたいなことまでしちゃう篠岡さんは、流石、度胸があるというか、肝が据わっていた。


「それに、そんなことって言うけど、可愛い男の子にチョコレートを渡すってことくらい重要な用事は、この世の中に他にはないでしょ?」

 篠岡さんがそう言って俺に向けてウインクする。


「まあ、それもそうか」

 月島さんが頷いた。


 いや月島さん、納得しないでください!



「さあ、小仙波君。私からのチョコレート、受け取って」

 篠岡さんがハートの形をした小箱を差し出す。


「頂いていいんですか?」


「もちろん、二人で密室に何時間も籠もって、一緒に汗を流した仲じゃない」


 いや篠岡さん、その言い方、多分に誤解を生む物言いだと思うのですが。

 確かに、戦闘機のコックピットは密室ですし、アメリカまで長時間の空旅で、汗も流しましたけど(俺の場合は冷や汗だ)。


「それじゃあね。小仙波君、ホワイトデーのお返し期待してるよ」

 篠岡さんはそう言うと、もう一度ヘルメットを被ってF-3に戻った。

 来たときと同じように、砂埃を巻き上げて去っていく。


 学校の校庭に戦闘機で降りるとか、問題にならないんだろうか?

 まあ、戦車が学校に通ってるし、問題はないんだろう。



「で、冬麻」

 腕組みした今日子が、俺の前に立つ。


「密室で汗を流したとか、先生、その辺の事情聞きたいな」

 眉間に皺を寄せた月島さんが言った。


「小仙波、もう洗いざらい話して楽になれ」

 花巻先輩まで言う。


「冬麻君」

 文香は一言だけ言って、120㎜滑腔砲の砲口を俺に向けた。


「さあ、篠岡さんと密室に籠もって、なにしてたのかな?」


 そのあと俺は、このバレンタインデーという幸せな日に、なぜかグラウンドに正座させられて、小一時間、事情を説明することになった。

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