第52話 新居

 花巻先輩と月島さんから逃げて、俺は文香の中に立てこもっている。


 久しぶりに二人で「クラリス・ワールドオンライン」をやろうってことになって、ゲームの画面に、ララフィールのアバターの文香が現れた。


 アイスブルーの髪に透き通った白い肌、つぶらな瞳で俺を見上げる文香。

 ララフィールは大人でも幼い姿をした種族で、俺の背丈の半分くらいしかない。

 その姿の文香がトコトコ歩くのはちょっと危なっかしくて、庇護欲ひごよくを刺激される。


 最近、戦車の姿の文香しか見てなかったから、出会った頃の文香はこうだったって思って、その姿にしばらく見入ってしまった。


「なんか、恥ずかしいな」

 そんな俺の視線に気付いたのか、文香が言う。

 照れてワンピースの裾をいじる文香。


「でも、恥ずかしいとかおかしいよね。私達、結婚してるんだもんね」

 文香がそう言って薬指の結婚指輪を見る。


 ああ、そういえばこのゲームの世界では俺と文香は結婚してたんだった。



「ねえ、俺達の家に行ってみようよ」

 俺は言った。

 結婚祝いにギルドマスターからこの世界に家をもらったのに、それ以来訪れることがなかった。


「うん、行こう行こう!」

 文香がぴょんぴょん跳ねながら言う。

 その仕草はゲームのエモートだけど、文香にぴったりだった。



 俺と文香の新居は、海が見える岬にこぢんまりと建っている。

 そこは結婚式の日のまま、そのままで時が止まっていた。

 二階建ての家の各部屋はほとんど空っぽだ。


 結婚祝いにもらった家具とかインテリアもあるから、それを倉庫から出して飾ればよかったのに、まだなにも手を付けてなかった。

 そんなことをする前に、俺達は現実の世界で出会ってしまったのだ。

 オフで出会って、今、こんなことになっている。



「よし、ここをちゃんと綺麗にしよう」

 俺が言うと、

「うん、賛成!」

 やっぱり文香がぴょんぴょん跳ね回る。



 まずはこの家に合う絨毯じゅうたんと壁紙から選んだ。

 倉庫の中をスクロールして、無数にある候補の中から探す。

 二人ともやりこんだゲームでアイテムはたくさん持ってるから、見るだけでも一苦労だ。


 それでも二人で話し合いながら、なんとか最後の二枚まで候補を絞った。

 一方はピンクの絨毯と花柄の壁紙で、もう一方はパステルブルーの絨毯と青空の壁紙だ。


「冬麻君、どっちがいいかな?」

 文香が訊く。


「奥様の望むままに」

 俺は言った。


 そしたら、アバターの文香の顔が真っ赤になる。


「もう! 奥様とか!」

 手をバタバタさせながら家中を走り回る文香。

 これもエモートだって分かってるけど、すごくカワイイ。


「もう! 奥様とか! 奥様とか!」


 こんなふうにして、俺と文香は新居に置く家具やインテリアを一つ一つ決めていった。

 基本的に文香の決定に従ったから、全体的にパステル調のふんわりとした雰囲気の家になる。

 こういうふうになるのは、俺が文香の尻に敷かれてる、ってことなんだろうか?


「むこうの世界でも、こんな家に住めたらいいのに…………」

 文香が独り言のように言う。


 それが、どことなく寂しく聞こえた。



 俺達が久しぶりのゲームを楽しんでると、コンコンって、現実の世界で文香の装甲を叩く音がする。

 無視しててもそれがしばらく続いた。


 また、花巻先輩か月島さんだろうか?

 いい加減しつこいと思う。


 仕方なくゲームを中断して、文香の外部カメラの映像をモニターに映した。

 すると、月島さんが真剣な顔で文香の車体をノックしている。


「ちょっと、あなたたち」

 マイクの音声を拾うと、月島さんが小声で呼びかけていた。


 月島さん、ふざけてるふうではなかったし、いつになくあせってる感じだったから、俺は頭上のハッチを開ける。



「あなたたち、なにかしてるの? 今、上から連絡があって、何者かに遠隔操作されて通信衛星が一つ応答しないって言われてるんだけど、なにかしてないでしょうね」

 車長席に顔を突っ込んだ月島さんが訊いた。


 月島さん、お酒臭いのに、すっかり酔いが醒めてるみたいだ。


 文香ってば、ここでゲームをするために人工衛星一つ乗っ取ったのか……



「ごめんなさい」

 俺は文香と二人で謝った。

 さすがに、軍用の通信衛星を使ってオンラインゲームするのは、まずかったかもしれない。


「まったくもう……」

 月島さん、頭を抱えながら自分のスマートフォンを手に取った。

 もしかしたら、これからまた各方面に頭を下げて回るのかもしれない。


「悪いことしちゃったね」

 画面に映る文香のアバターが可愛く舌を出した。


「今度は分からないようにハッキングしないと」

 文香、全然反省してなくて、俺は思わず吹き出してしまう。


 ここでの最後の夜は、こんなふうに終わった。




 翌朝は、朝ご飯を食べたあとで旅館を立つことになった。

 俺達は荷物を持って旅館の玄関に並ぶ。

 二泊三日の温泉旅行も、これで終わりだ。


 帰り支度をする俺達の横で、自衛隊の施設部隊の人達による旅館の修復作業が始まっていて、重機がうなりを上げていた。

 来たとき地面に落ちていた「渓泉庵」っていう木の看板は、綺麗に磨かれて、玄関の引き戸の脇にしっかりとくくりつけてある。


「それでは、お世話になりました」

 花巻先輩が頭を下げて、俺達もそれに従った。


「いや、こちらこそ、あんた達には世話になったね」

 お婆さんが笑顔で言う。


「露天風呂も直してもらったし、部屋も片づけてもらったし、本当に色々世話になった」

 いい笑顔で、お婆さんの皺々の顔の中に目が隠れてしまっている。


「いえいえ、こちらこそ。良い温泉においしい食事、十二分に堪能たんのうしました」

 花巻先輩が、艶々になったほっぺたをさすりながら言った。

 早朝にも温泉に入ったし、ここにいるあいだ温泉漬けで、女子達のお肌はすべすべになっている。


「また来なさい。その頃には建物も直って部屋も使えるだろうから、もっといいもてなしが出来るよ。あんた達なら、他の客を追い出してでも泊めてやるからね」


 いや、追い出すとかはしなくていいですから……


 そしてお婆さんは、俺だけに向き直った。

「若者、ここの温泉は、私の目が黒いうちは、ずっと混浴を通すつもりだから、安心しなさい」

 お婆さん、そう言って俺にウインクする。


 お、おう……


 なんかそれだと、俺が混浴大好きみたいじゃないか。

 まあ、大好きなんだけども。


「文香ちゃんも、来たくなったら遠慮なく来なさい」

 お婆さんは文香にも笑いかける。


「はい!」

 文香がいい返事をした。

 いや、ほかのお客さんがびっくりするから、ちょっとは遠慮しよう。



 お婆さんと自衛隊の人達の見送りを受けて、俺達は宿を後にする。


 明日からまた学校に戻るのが、ちょっと億劫おっくうだった。

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