第49話 大掃除

「本当にごめんなさい」

 伊織さんが、まだ言っている。


 伊織さん、寝相が悪くて俺の布団に潜り込んだこと、相当気にしてるみたいだ。

 そんなの俺にとってはご褒美ほうびでしかないのに。

 一生の想い出になるくらいのご褒美なのに。


 っていうか、こうして一緒に露天で朝風呂してるだけで、こっちが土下座してごめんなさいしたいくらいだ。



 起き抜けた俺達は、お婆さんが用意してくれた朝ごはんを食べたあと、こうして露天風呂で朝風呂を堪能たんのうしている。

 湯船の中には、伊織さんも、花巻先輩も、月島さんも、今日子もいた。


 もちろん、女子が湯船に浸かるまで固く目をつぶるっていう約束で、俺も一緒に入ることを許可されている。


 そして、この朝風呂には六角屋も一緒に入っていた。

 女子達の中に余計なヤツが、とも思ったけど、六角屋が入ったおかげで昨日より湯船が狭くて、女子達との間隔が近かった。

 さっきから、お湯の中で絶えず誰かの足と俺の足が触れ合っている。


「もう! 狭いんだから、あんた縮こまりなさいよ」

 今日子が俺に文句を言った。

 隣同士で、俺の腕と今日子の腕はくっついている。


「変なとこ触ったら許さないからね」

 今日子、今日は朝から機嫌が悪い。


 一体、なにを怒ってるんだろう?



「この露天風呂、ホント、やされるよぇ」

 月島さんがしみじみと言った。


 天をあおぐと、そこには雲一つない濃い青の空が広がっている。

 その青さの中で、山々の赤や黄色がより鮮やかに見えた。

 温泉で火照ったところを、朝の冷たい空気がでてくれて気持ちいい。



「昨日、来たときはどうなることかと思いましたけど、ここで正解でしたね」

 六角屋が言う。


 最高の露天風呂に、お婆さんが作ってくれる美味しい料理、そして、伊織さん完備のオフトゥン。


 確かに、ここで正解だった。



「さて、諸君、そこでだ」

 それまで目をつぶって温泉を味わっていた花巻先輩が、カッと目を見開いた。

 その勢いで、先輩の立派なモノがお湯の中で激しく揺れて、大波を起こす。


「我々の力でこの旅館に手を入れて、もう少し部屋が使えるようにしたらどうだろうか?」

 先輩のことだからなにか変なこと言い出すんじゃないかと思ったけど、やっぱりだ。


「いいですね、それ」

 六角屋が頷く。


「いいんじゃない。あのお婆さんも喜ぶよ」

 月島さんも乗り気らしい。


「そうだよね。ここに私達しかお客がいないなんて、もったいないもんね」

 今日子まで言った。


「私も賛成です」

 伊織さんも笑顔で言う。


 俺は、昨日、この露天風呂を直して体中が筋肉痛だし、そんな気力はなかった。

 確かに、お婆さんの手伝いをしてあげたい気持ちはあるけど、俺達はお客なんだし、そこまですることはないと思う。


「あのご老体が息災そくさいでこの旅館が続けば、これからここを我が委員会の行事の打ち上げ会場に使うことも出来るだろう。このいい露天風呂に、また、浸かりに来られるぞ」

 花巻先輩が言った。


「やりましょう!」

 俺は秒で返す。


「いやあ、実は俺も、お婆さんの力になれないかって、夜、寝ながら考えてたんです。花巻先輩が言い出してくれて良かったです!」

 俺が言ったら、今日子が肘で俺の脇腹をついた。

 肘がいいところに入りすぎて、俺はむせる。


「まったく、分かりやすいんだから」

 今日子が言って、みんなが笑った。




 お風呂から上がると、さっそく俺達は旅館内を見て回った。

 俺達が泊まった部屋と、ご飯を食べる囲炉裏いろりの部屋、そして、お婆さんが暮らしてる部屋の他に、一階に六部屋、二階に十部屋がある。


 俺達が泊まった部屋以外は、どの部屋もかび臭い匂いがして、ジメジメしていた。

 二階はほとんどの部屋が雨漏りしてるみたいで、天井と壁にシミが浮いている。

 そして、なんか平衡へいこう感覚が狂うと思ったら、部屋が微妙に傾いていた。


 中から部屋を見た後は、外に出て旅館をぐるっと一周してみる。


「雨漏りの原因は、これだな」

 それを見上げて花巻先輩が言った。


 旅館の山側の壁の一面に、みんなが乗ってきたハイエースくらいの細長い大岩がもたれ掛かっている。

 それが、太い柱を押して、建物全体をゆがませているのだ。


「いつぞやの大水のときにこれが山から転がってきて、ここで止まったのさ」

 お婆さんが大岩を叩きながら説明した。


 その岩が押してるせいで、柱やはりが全体的に歪んでいる。

 そのゆがみで屋根や壁に隙間が出来て、雨水が染みこんだのかもしれない。

 その状態で長年放置されて、建物全体が痛んでいたのだ。



「とりあえず、この岩をどけようか」

 月島さんが言った。


 そうなると、当然活躍するのは文香だ。


 俺は岩にワイヤーロープを通して文香に繋いだ。

 昨日、露天風呂を直したときにもやったから、その作業も慣れたものだ。


「いいよ!」

 俺が合図すると、文香がエンジンをフル回転させた。

 排気口から黒煙を吐いて、岩と文香を結んだロープがピンと張る。


 最初、大岩は抵抗した。

 文香の履帯りたい砂利じゃりを巻き上げて滑る。

 空回りして、車体が左右に揺れた。


 でも、その抵抗は長くは続かなかった。


 文香がじわりと加速すると、大岩は、ミシミシと下の小石を砕きながら動き出した。

 表面にびっしりと貼り付いていたこけが、バラバラと落ちる。


 岩はそのまま文香に山裾まで運ばれて、二度と動かないよう、くぼみに落とされた。


「はえぇ、この文香ちゃんは、大したもんだ」

 お婆さんが目を丸くしながら文香の砲塔を見上げる。


「働き者だし、うちにも一人欲しいよ」

 お婆さんは言うけど、文香の元になった二十三式戦車は一両十一億円くらいだし、文香はAIをはじめ特別な装備のかたまりだから、いくらになるのかは見当も付かない。



「さすがに、建物自体を直すのは、我らでは無理だな」

 建物の状態を見ながら花巻先輩が言った。


 確かに、これだと工務店とか大工さんを呼んで来ないと難しそうだ。


「せめて、お掃除だけでもしましょうか?」

 伊織さんが言う。


 さすが、次期生徒会長最有力候補。

 伊織さんは人格者だ。



 俺達は、分担して旅館の部屋全部を掃除した。

 中だけじゃなくて、外回りも、外壁を張っているつるとか、雨樋あまどいに積もっている落葉も取り払う。


 温泉旅行に来てなにしてるんだって感じでも、お婆さんが目を細めて嬉しそうな顔をしてるのを見ると、やって良かったって気がした。



「さあ、みんな、休憩休憩」

 しばらく作業して、十一時を過ぎた頃、お婆さんがお茶とお菓子を持ってきてくれる。

 お菓子は、この山の栗で作ったっていう、栗きんとんだ。


「いただきます」

 俺達は、日だまりの縁側の中でお茶をいただく。

 疲れた体に、きんとんのねっとりとした甘さが効いた。

 取れたての栗はほこほこで歯ごたえがいい。



 だけど、俺達のそんなゆっくりとしたおやつの時間は、招かれざる闖入者ちんにゅうしゃによってさえぎられた。


 突然、上からバラバラと連続的な破裂音がする。

 それが静かな谷間に反響した。


 外に出て空を見上げると、空からヘリコプターが下りて来るところだった。

 2ローターの大きな輸送ヘリが下りてくる。


 ヘリコプターは、狭い谷間に河原の僅かな土地を狙って着陸した。

 中から迷彩服の大勢の男達が出てくる。


 それと同時に、狭い山道を通って、何台もの軍用トラックが旅館の前に乗り付けられた。


 旅館が、迷彩服の男達と車両に囲まれる。

 物々しい雰囲気で、静かな山中が騒がしくなった。


 何事かとみんなが身構える。


 気付くと俺は、頼るように文香に寄り添っていた。

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