慟哭編17話 陰と陽、二つの奥義



※今回のエピソードはカナタの師、壬生シグレの視点になっています


鏡水次元流においては、他者の戦いを見る事も修行だ。それはどんな流派でもそうかもしれないが、次元流では重みが違う。弱者の剣法だけに、返し技を基本に据えている。だから他流派の技を知り尽くしておかねばならないのだ。


師を超えた弟子は、闘技場で戦場の伝説と相対し、互角の戦いを繰り広げている。嬉しい気持ちが半分、口惜しい気持ちが半分、かな。師としての私は最強の弟子を持てた事が誇らしく、剣に身を捧げた武芸者としての私は、あの場に自分もいたかったという思いがある。


「……流石だ。継承位級の技を身に付けたカナタ君に、ほとんど※返しを打たせないとはな。」


私の隣で試合を見守る父上が唸った。静謐さにおいて類い稀な先代継承者が感情を露わにするのは珍しい。ド派手な豪腕に目が向きがちだが、ザラゾフ元帥の恐ろしさは、類い稀な戦闘技術にもある。誰にも師事せず、独学で独自の斧槍術を磨き上げた元帥閣下は、"ザラゾフ流開祖"とでも称するべきだろう。


「父上でも無理ですか?」


「無理だ。シグレならどうかな?」


「父上に無理なものが、私に出来るはずがありません。」


鏡水次元流継承者、壬生時雨。しかし、私は未だに先代を超えられない。いわば"仮初めの継承者"だ。


「そんな事はない。見切りの極意と緩急の妙においては、シグレは私を超えている。でなければ継承位を譲ったりするものかね。もし、私と同等の身体能力があれば、壬生時雨は壬生時定よりも強いのだ。」


「たられば話に意味はありません。私はたいに恵まれませんでした。」


「だからこそ、心技が強くなった。謙虚である事はとても良いが、己を卑下してはいけない。第一、親の前で"体に恵まれなかった"は、いささか酷な物言いではないかな?」


「フフッ、そうですね。私とした事が配慮に欠ける発言でした。ですが、父上の川柳ほど酷くはありません。」


「……私の詠む川柳はそんなに酷いかな?」


疑問符なのが恐ろしい。トゼンの剣術は"好きこそ物の上手なれ"だが、父の川柳は"下手の横好き"だ。


「頭から間違えていますよ。俳句は詠むものですが、川柳は吐くものです。壬生※観流斎の川柳は、控え目に言っても"川柳の残骸"ですね。」


正確に言えば"川柳への冒涜"だろう。兄弟子のセイウンも妹弟子のアブミも、困った悪癖と見做すぐらいなのだから。ジョニーの駄洒落より精神を蝕む悪句、悪柳に耐性があるのは、孫弟子のヒサメぐらいだ。


おっと、今は私の手の届かない場所にいる強者の戦いに集中しよう。緋眼、剣狼、災害、成就者、スタイルの異なる完全適合者の闘技だが、私が最も気になるのは……ジェダ・クリシュナーダだ。


速さに勝るマリカとカナタの攻撃に、何故ああも対応出来る。反射神経がズバ抜けているのだろうか……違う。反射の速さで回避する術は、マリカに散々見せてもらった。ならば読みの鋭さ……それも違う。先読み能力ならば、私も自信がある。だが、私はマリカやカナタの攻撃にあんな対処は出来ない。人知を超えた仙人だけに、予知能力でも会得しているのだろうか……


「………!!」


わかったぞ!予知能力ではない。攻撃の起点を凄まじい速さで捉え、決して見逃さないのだ。起点読みは私も行っているが、ジェダ師に比べれば断然遅い。モーションを見てから反応する私と違って、ジェダ師はモーションを起こすと同時に対応している。どうすればあんな芸当が出来るのだろう?


これ以上はない真剣さで戦いを見守ったが、ジェダ師の起点読みの秘密はわからない。しかし、勝負の流れは見える。カナタとザラゾフ元帥の顔、自分が決着を付けるつもりだな。


「いよいよだね。シグレ、どちらが勝つと思う?」


「自分以上の力を持つ者の戦いは、読めないものです。」


強い意志を宿す至玉の目。瞳に輝く至高の名玉の如く、磨き抜かれ、鍛え上げられた愛弟子の勇姿に胸が高鳴る。未熟で荒削りだった青年が、よくぞここまで辿り着いた……


「頑張れカナタ。新しい時代を背負ってみせろ。」


固唾を呑んで見守った狼と獅子の激突は、引き分けに終わった。……いや、引き分けに見えるが、勝ったのはカナタだ。ザラゾフ元帥の表情がそれを物語っている。戦場の伝説は、新たな伝説にさらなる成長を促す為に、ここで満足させてはならないと思ったのだろう。師の私も同感だ。


カナタを好ましく思っているのは、ザラゾフ元帥も同じ……こ、好ましさとはあくまで愛弟子への師弟愛であって、決して恋愛感情では……私は誰に言い訳しているのだ!馬鹿馬鹿しい!


「局長、少しお顔が赤いですが、興奮されているのですか? とても珍しい事ですね。」


桟敷席に同席していた玄馬ヒサメに顔を覗き込まれ、ドキリとする。


「ちょ、頂点の戦いを見れば、誰でも高揚するものだ!」


むむ、声がうわずってしまったぞ。これはいかん、父上の隣にはヒサメ、私の隣にはアブミがいる。凛誠幹部で桟敷席にいたのだが、頂点の戦いを間近で見たいとサクヤが席を立ち、お目付役としてコトネがサクヤに付いていった。案の定、興奮して試合後の闘技場に乱入しようとしたサクヤをガッチリと羽交い締めにしている。


フフッ、コトネは寿退社ならぬ、寿退役したアスナの役目をしっかり受け継いでくれているな。


「ふふふ、サクヤの落ち着きのなさは相変わらずですね。ささ、局長の為にお弁当を用意してきました。先生の大好きな煮染めもありますから、どうぞご賞味ください。」


風呂敷包みを解くヒサメ。重箱を開けた父上は満面の笑みを浮かべた。


「椎茸に竹の子、牛蒡に蒟蒻、それに蓮根に小芋。やはり煮染めはこうでなくてはね。」


煮染めを肴に昼酒か。父上もすっかりガーデンに染まっ……元からこうだったな。


「先生、基地に帰ったら洗濯物を出しておいてくださいね。そろそろ官舎のお掃除もさせて頂けると嬉しいです。」


聞き捨てならない事を聞いてしまったぞ。男鰥おとこやもめの父の世話は、本来ならば娘の私がすべき事なのだが、残念ながら私の家事スキルは壊滅状態。妻を早くに亡くした父は独り暮らしに慣れているだろうと安易に考えていたが、まさか孫弟子に身の回りの世話をさせていたとは!


「父上!身の回りの世話をヒサメにやらせていたのですか!」


「う、うむ。自分で出来なくはないのだが、ついつい甘えて…」


「ついついではありません!いかに師弟であっても公私はキチンと分けるべきです!ましてや、ヒサメは父上の弟子ではなく、私の弟子なのですよ!」


なおも問い詰めようとする私を、ヒサメが宥めようとする。


「局長、私が好きでお世話をさせて頂いているのです。ほら、副長も局長の身の回りのお世話をされているではありませんか。」


「うっ!そ、それは…」


私の私生活はいしゆみアブミなしには成り立たない。アブミが多忙な時は、親友のマリカに衣食を依存してしまっている私は、父の事をとやかく言える立場ではないのだ。マリカはそんな私の行く末を案じて、"一緒に暮らさないか?"と誘ってくれたのだろう……


「局長の好きな鳥釜おにぎりもたっぷり作ってきました。さあ召し上がれ。」


「おにぎりは後で頂こう。先に行くところがある。」


「では私もご一緒に。」


アブミが腰を上げたが、私は手で制しながら席を立った。教えを乞いに行くのに、同伴者は必要ないからだ。


─────────────────


ジェダ師にあてがわれた部屋の前に立った私はまず深呼吸した。意を決して木彫りのドアをノックしようとした瞬間、先んじて中から声を掛けられる。


「雷霆殿、遠慮せずに入って来られるがよろしい。」


初対面なのに、気配で誰だかわかるのか。大したものだ。


「御免。不躾ながらジェダ師に教えを乞いたいと思い、迷惑を承知でお邪魔させて頂きました。」


「迷惑ではない。儂も雷霆殿には会ってみたかったからの。」


瞑想を中断した成就者は、白濁した目で私を見据えた。一礼してからドアを閉め、御老体の前に正座する。ジェダ師の好みに合わせたのか、床の敷布は質素極まりないものだった。


「……うむうむ。思った通り、かなりの階位を上がっておるの。実に素晴らしい。」


未熟者の私は、評価されるとつい喜んでしまう。礼を失わないように、心に静謐を以て教えを乞おう。


「ありがとうございます。不躾ながら、なぜジェダ師は…」


「なぜ見切りの極意を会得した若い其方そなたより、老いぼれの儂が素早く攻撃に反応出来るのかを知りたい、じゃろう?」


「仰る通りです。ですがご自身の事を老いぼれなどと卑下されるのは謙遜が過ぎます。未熟な若輩者に、どうか秘伝をご教授願えませんか?」


ジェダ師はトーガしか纏っていない。肌の露出した腕のお陰で、簡単に動作は読めた。高速で繰り出される拳を私は拳で受け止める。


「お見事。筋肉の動きで動作を先読みされたようじゃな。」


「はい。ですがジェダ師の起点読みは、体の動きから動作を読むといったレベルのものではないと感じました。」


「いかにも。しかし予知能力でも勘でもない。其方に見えぬものが儂には見えておるに過ぎぬ。」


ジェダ師は丸めた拳を解いて手刀を作り、念真力を纏わせた。


「ま、まさか……」


「気付かれたようじゃな。其方達が念真力と呼んでおる力を、儂らはプラーナと呼んでおる。練達の武芸者ほど、動作より先にプラーナが湧き出る。剣であれ、拳であれ、念真波動プラーナを纏わぬ攻撃では、一流相手には有効打にならぬ以上、当然の事じゃ。心が肉体に命じる動作と、心そのものと言える念真力、どちらの初動が速いかは言わずもがなじゃろう。」


ジェダ師は肉体の動きではなく、念真力を見て反応していたのか!し、しかしそんな事が可能なのだろうか……


「私にも可能でしょうか?」


動作と念真力の初動の時間差は0,01秒あるかないかだろう。しかし成就者は、微差を大差に変える術を身に付けているのだ。


「儂は出来もせぬ事を教えたりせんよ。其方には出来る、いや、儂を除けば其方にしか出来まい。極限の見切りを会得した"雷霆"シグレならば、修練次第でプラーナの微動が見えるようになるはずじゃ。儂が三十年かけて身に付けた"波動読み"を、其方なら三年で修得出来よう。才気の欠片もない身でありながら、心の強さで超一流の域に到達した"真の探求者"ならば、の。」


「ありがとうございます!ですがそんな貴重な技の要諦を、どうして私に教えてくださったのですか?」


「鏡水次元流は弱者の剣法。即ち、"護身の剣"じゃ。それが証拠に、返し技を主体としておる。打ってくる者がおらねば、打つ事はない。其方のような"暴を制す武"を儂は好む。だから肩入れしたまでじゃよ。」


「本日より修練に励み、暴を制す武に磨きをかけます。ジェダ師の編み出した技を会得し、恩に報じたい。」


皺だらけの顔でにこやかに笑った老人は、何度も頷いてくれた。


「うむうむ。波動読みの他に、もう一つ伝えたい秘技がある。その技は激戦の真っ只中に身を置きながら、心の静謐を保った者だけに宿る。儂も滅多に使わぬ……いや、乱発不能の禁術なのじゃよ。」


「……禁術……それで先程はお使いになられなかったのですか。」


「然り。間違っても身内相手に使う技ではない。波動読みと違って、己をも滅ぼす諸刃の剣だけにのう。雷霆殿、しばらく儂と一緒に修行してみんかね?」


「喜んで!」


偉大な先駆者が伝えたい技、想いがあるのなら、感謝と共に受け継ぐのみだ!


「ではしばらくこの街に逗留する事にしよう。初対面の其方が儂の心を汲み取ってくれたというのに、弟子でありながら師の心をわかろうともせぬ粗忽者が来おったな。」


ドタバタと重く大きな足音を立てながら、ノックもせずに部屋に入ってくる巨漢。


「お師匠サーン!久しぶりなのデース!」


そういえばバム・ハッサンはジェダ師の弟子だったな。


「ハッサンよ、おヌシはまったく成長しとらんのう……」


成就者は弟子の顔を見ながら嘆息した。


「そんなコトないのネー!料理の腕はベリベリ上がってるのデース!お師匠サンに特製ドライカレーおむすびを作ってきたのネー!」


「相変わらず食業が深い男じゃ。食い道楽も程々にせぬと、いつまで経っても階位が上がらぬと以前から言っておるじゃろう。カッカッカッ!そうでもないようじゃな。」


食欲をそそるスパイスの匂いに反応してしまった私の腹が、盛大に鳴ったのを聞いたジェダ師は大笑いした。


……くっ、みっともない。鳥釜おにぎりを食べてから訪ねるべきだった……


「シグレサンもカレーおむすびをどうぞなのネー。」


腹に何か入れなければ、また"ぐうぅぅ~"なんて情けない楽曲を奏でる事になる。ここは好意に甘えるの一手だな。


「有難く頂こう。ジェダ師もせっかくハッサンが作ってきたのですから、たまには食い道楽もよろしいのでは?」


カナタの話では、ジェダ師は極端な粗食家らしいからな。


「やれやれじゃな。ハッサンよ、戦なんぞで死んではならんぞ?」


カレーおむすびを手にした"成就者"は、弟子の"闘神"に穏やかに語り掛けた。


「ガッテンなのネー!ミーは戦場ではなく、厨房に殉ずるのデース!」


ここにも師弟愛があるようだ。いささかピントがズレている気がしなくもないが……


今日も素晴らしい出会いがあり、貴重な教えを頂けた。ジェダ師に見えているものが見えるようになれば、私はまた強くなれる。


愛す……自慢の弟子であるカナタにも伝授出来ない技、波動読み。それに成就者ほどの超達人が禁術にしている技とはいかなるものだろうか?



どんなに困難でも必ずや二つの奥義を会得し、いつか……私と同じ、才気の欠片もない弟子を得た時に、"陰と陽の奥義"を伝授するのだ。その者こそが、次の鏡水次元流継承者となるだろう。


※返し 観流斎

鏡水次元流ではカウンターを返しと呼んでいます。観流斎とは壬生時定の俳号。周囲(主に弟子達)は頭を抱えていますが、時定先生は俳人を自称しています。

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