宿敵編27話 才女と忍者のブスバカ合戦



スペック社との折衝は、薔薇十字相談役の桐馬刀屍郎の仕事である。あまり働き者ではない、言葉を飾らずに言えばものぐさ太郎のトーマだったが、タフネゴシエーターであるスペック社役員・九重紅尾ここのえべにおとの交渉だけは自ら請け負っていた。飛ぶ鳥を落とす勢いの役員様は、若干17歳のリーダー、ローゼ姫の経験不足につけ込みかねない狡猾さを持った女だからである。


機構軍と共生関係にあるスペック社は龍ノ島にも利権やインフラを持っていた。ただでさえ面倒な女との交渉なのに、話題が損切りの後始末となれば、さらに面倒な話になるのは必定。いくら腰が重い相談役でも、今回ばかりは首都に赴いて膝詰め交渉に臨まねばならなかった。龍ノ島での停戦は薔薇十字によって成立した話であり、知らぬ顔は決め込めない。


程々の妥協で無事に交渉をまとめた相談役は、2週間ぶりに任地であるマウタウへと帰還してきた。この男にしては珍しく、官舎に直帰して午睡を貪らずに亡霊戦団のアジトに向かったのは、もしかすると留守を任せた幼なじみに配慮したのかもしれない。


「コヨリ、俺の留守中、変わりはなかったか? そうそう、こいつは土産のワッフルな。」


紙袋を渡された百目鬼どうめきコヨリは珍妙な生き物でも見たかのような眼差しのまま、(一応の)上官に礼らしき言葉を返す。


「あら、トーマにしては気が利くじゃない。じゃあお茶でも淹れましょうか。」


幼なじみが茶ではなく酒を欲している事は承知の上でコヨリはそう言った。彼女は"子分を極めすぎて、もはや自分"などと吹聴する狐目男のようにトーマを甘やかしたりしないのである。


「発令所に来る前に皆の顔を一応見てきた。兵馬と弾正の姿が見えなかったが、何か言い付けたのか?」


「休暇を取ってるわ。トーマのものぐさが伝染したのかもね。」


「結構結構。働き過ぎは体に毒だ。」


「トーマが働かなさ過ぎなのよ。面倒は全部私に押し付けるんだから。留守中の出来事をまとめておいたから目を通してね。」


勤勉を美徳と思わぬ男は渋々、タブレットの電子書類をチェックする。休暇届の欄を見たトーマの顔が曇った。異変の兆候を嗅ぎ取ったのだ。


「コヨリ、休暇を取ってるのは兵馬と弾正だけではなく、鷺宮の旧臣全員なんだな?」


「そうだけど、それがどうかした?」


"まさか"という懸念はすぐに、"しまった"という後悔に変わった。彼の留守中に弾正が手配した特殊兵装の数々が、推測を裏付けていたからだ。


「どうやら念押しが足りていなかったらしい。……もう少し、アイツらの心情を思いやるべきだった。」


「何よ、深刻な顔しちゃって。」


休暇の申請日から手遅れと判断したトーマに焦りはない。再発を防止をするべく、幼なじみの副官に忠告する。


「コヨリ、どんな些細な事であっても、いつもと違う事象が起これば、細心の注意と想像力を働かせろと言ったよな? 今まで鷺宮の旧臣全員が一斉に休暇を申請した事はなかったはずだ。」


「旧知のお仲間が揃って休暇を楽しむなんて、別に不自然でもないでしょう?」


「すぐに二人と繋ぎをつけろ。……もう間に合わんだろうが……」


いつもは飄々とした態度のトーマが見せる真剣な顔。自分は失態を犯したらしいと気付いたコヨリだったが、何が起こるのかまではわからない。ただ、兄妹同然に育った男の信頼に応えられなかった悔しさだけが心に滲む。


「……ごめんなさい。何かしくじっていたのね?」


「俺のミスだ、気にするな。ミザ!いるか!」


「あいよ。なんかあったのかい?」


呼ばれる前に土雷衆里長名代は参上していた。子分を極めし男に隙はないのだ。


「マズい事態になるかもしれん。化外アウトサイドのアジトに連絡を取れ。場合によってはコードブラックの発動があり得る。」


コードブラックとはコードレッドを超える最終プランである。ミザルは当然、驚いた。


「コードブラック!? 少佐、マジでか!今はいけねえよ、おひいさんはどうすんだ!」


「その姫の信任に応えられなかったって事態になりかねないのさ。」


「何があったってんだよ!事情を説明してくれ!」


「地獄の釜がちょっぴり開いただけだ。……たぶん、血の池地獄になってるだろう。ミザ、コヨリ、今から出す指示に従ってすぐ動け。まず…」


手早く必要な指示を出し終えたトーマは最後に、"鷺宮衆が戻ったらすぐに自分の下へこさせろ"と言い付けて、発令所に隣接した書斎に向かう。


「ちょっとトーマ!事情ぐらい説明してよ!」


ミザルは幼なじみの背中を追おうとしたコヨリの肩を掴んで制止する。


「少佐は一人になりてえんだよ。俺より付き合いが長えってのに、あの"孤高の虎オーラ"が見えねえのか?」


そんなオーラが見えるのはミザルだけである。これを才能と言っていいものか、人によって評価は様々であろう。


「私がしくじったのよ!外野はすっこんでなさいな!」


「おうおう、しくじったのはオメエだ、メスゴリラ!俺が外野ならオメエは補欠でグランドにも立ってねえよ!」


コヨリとミザルは"マイナースポーツ愛好会"のメンバーとして活動しており、野球もその一つである。ピッチャー・コヨリ、キャッチャー・ミザルは、"世界一仲の悪いバッテリー"として一部の界隈では有名なのだ。


ちなみにトーマは代打の切り札で、"場外ホームランしか打てない男"と呼ばれている。身体能力ならチーム1の彼が代打なのは、投手をやらせれば、"打者殺し(物理)"だからだ。守りに就かせても、物理的に人を殺せる剛速球が味方殺しの送球に化けるだけ。誰だって遊びで洒落にならない怪我などしたくない。DH制の導入が待たれるところである。


「前からゴリラゴリラって言うけど、動物顔っていうならアンタの方がよっぽどでしょ!狐目の狐顔の癖に!」


「誰が狐ヅラだ!少佐の落ち着きをちったぁ見習え、瞬間湯沸かし器が!」


「瞬間湯沸かし器って、アンタがそれ言う?」


確かに、"戦団一の短気者"と評される土雷の魅猿にだけは、言われたくない台詞である。


「口があんだから言うに決まってらぁ!メスゴリラが嫌なら女チンパンがいいのか? オラオラウータンってのもあんぞ!」


癇癪を起こしたコヨリは性格が"オラオラァ!"に豹変するが、顔の方はゴリラやオラウータンには似ても似つかない。結構な美人を相手に酷い言い草もあったものである。ちなみにミザルの方は、動物に例えれば間違いなく狐に似ている。


「うっさいシスコン狐!それともブラコン吊り目かしら!」


この罵詈雑言も、難癖とは言えない。ミザルが弟妹を溺愛しているのは事実だからだ。


「口の減らねえ女だ、まったく!このブース、ブース!」


「私がブスならアンタはバカでしょ!このバーカ、バーカ!」


「ブスブスブスブス、どブスのブス子!」


「バカバカバカバカ、おバカのバカ男!」


この二人の口喧嘩はだいたいブスバカの応酬で終了する。いい大人二人が、大人げのなさを極めているのだ。


「……ふん。ちったぁ元気になったじゃねえか。その調子で頑張んな。」


「……アンタ、私を気遣ってくれたの?」


「そんな気持ちが小指の先ほど、いや、耳掻きに乗せられる程度にゃ、いやいや、電子顕微鏡で見りゃわかるぐれえはあったかもしんねえが、開幕早々にぶっ飛んだよ。」


「順調にサイズダウンしてるわね。……ありがと、ミザル。アンタ、年下だけどいい男になってきたわよ?」


コヨリはトーマと同い年なので、ミザルより2つ年長なのだった。


「よせよ。世辞を言っても旨い飯ぐれえしか出ねえぞ。」


「旨い飯は出るんだ……」


手を振りながら背中を向けたミザルは上官の命令を遂行すべく、発令所を後にする。その背中を見送ったコヨリは、パンッと頬を叩いて気合いを入れ、自分も動き出した。


──────────────────────────


「若、拙者にはどんな仕置きを下されてもお恨みは致しませぬ。しかし弾正と配下の者には寛大な処置を!」


戦団アジトの地下広間には、主君の前に平伏する鷺宮衆の姿があった。


「若、俺も兵馬と同罪です。いえ、俺の方が罪は重い。機材の調達から侵入、襲撃、脱出に至る全ての手筈をつけたのは、この俺ですから。」


「………」


畳の間から一段高い上座に胡座をかいた叢雲家当主は、黙ったまま下座の家臣達を見据える。沈黙に耐えかねた陪臣二人が兵馬達の弁護を始めた。多神たがみ平八郎と片叢かたむら丈ノ進、亡霊戦団ではたてがみ、片牙と呼ばれる叢雲家家人けにんである。この場には鷺宮衆だけではなく、叢雲一族も召集されているのだ。


「鷺宮衆が下知を破った事は事実。しかしながらお館様、本来ならば、我らが為すべき事でした。」


「平八郎の申す通り、鷺宮衆の心情は痛い程わかります。先代と奥方様への忠節に免じて、なにとぞ寛大な御沙汰を!」


平八郎、丈ノ進とて、主家と一族に仇なした左近一派を殺せるものなら殺したいと思っていたのだ。


「……その心情を俺はわかってやれなかった。我龍も左近も、親の仇だというのにな。俺は不肖の息子で、家人の心を解さぬ当主だ。……皆、すまぬ。」


轟弾正の危惧した通り、彼の主君は家人ではなく己を責めた。


「若!お止めくだされ!拙者が勝手な真似をしでかしたのです!」


友の言葉を理解した兵馬は、畳に額を擦りつけんばかりに頭を下げ、主命に背いた事を詫びた。これならば、自分が咎められた方が万倍もマシである。


「兵馬、弾正、終わった事はもうよい。おまえ達を責める気などないのだ。ただどうにも、自分の無機質さというか、乾いた心に厭気が差してな。亡き父母と一族郎党の御霊みたまに代わって、礼を言っておこう。……よくやった。」


これほど心が痛むお褒めの言葉は、鷺宮衆も初めてであった。本懐を遂げた事に後悔は微塵もないが、主君に己を責めさせた事には後悔しかない。


「少佐、真面目な話、どうすんだ?」


土雷衆を代表してこの場に立ち合うミザルが問い、叢雲討魔はゆっくりと答えた。


「……色々打つべき手はあるが、手始めに……相談役の返上を願い出る。」


「相談役を辞任!少佐、おひいさんを見捨てる気かよ!」


「身内すら統制出来ぬ者が相談役もないだろう。皆、そういう事だ。」


思いもかけぬ事を言い出した主に、家人達は動揺する。責任を一番重く自覚していた弾正がたまらず叫んだ。


「待ってくれ!俺と兵馬の首で始末を…」


「そんな事はさせられん。だが最悪の場合、おまえと兵馬は鷺宮衆と一緒に化外の隠れ里でほとぼりを冷ます事になる。ま、隠遁生活には俺も付き合うから、三人でのんびり酒でも飲もう。」


「隠遁するなら俺も付き合うぜ。酒の肴を作る奴がいるだろ?」


叢雲討魔の気分心情を推し量らせれば戦団一の忍は、無駄な説得など試みない。ただ、期待するのみである。



……少佐は本気で御役目返上を考えている。だったら止める方法はねえ。こりゃお姫さんの器量に乞う御期待ってとこだな。


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