宿敵編26話 古武士と野武士の報復劇



竜胆子爵邸は爵位に比しても大きな、いや、巨大な屋敷である。邸宅の規模と権力は往々にして比例するものだが、かつては孫の手で、今日は雲水の策略によって失脚した彼は例外に転落した、というべきであろうか。


主の栄枯盛衰えいこせいすいを見守ってきた屋敷の大広間には左近と彼のシンパ達が集結していた。言うまでもなく、今後の方策を話し合う為である。


左近の指導力が低いのか、それとも集まった面子が彼の精神的従兄弟だったからか、今すべきはずの未来の話ではなく、終わった事への責任追及に余念がない。


「子爵!税制改正法案は必ず可決させると大見得を切られましたな!」 「どうしてくれるのです!これでは赤っ恥をかいただけだ!」


「………」


息子ほどの歳の議員二人に詰めよられたが、左近には返す言葉がなかった。事実を有り体に言えば、"雲水にこれ以上ないほど綺麗に欺かれ、多くの市民を敵に回した"だけであったからだ。失態を喫した領袖としては、周りを囲んで好き勝手な事を言う族議員達が落ち着くのを待つしかない。


ガス抜きは一通り終わったと見た左近は、ゆっくりと説き伏せにかかる。


「……皆の言う事はもっともだが、儂を責め立てても事態は打開出来ぬぞ?」


左近を囲んで責任を追及していた彼らも、自分達の糾弾が状況を好転させる役には立たないのにようやく気付いた。


「子爵の仰る通りだな。今後はどうすべきだろうか?」


示し合わせておいた腹心議員が予定通りの台詞を述べ、集まった者達は考えを巡らせ始める。


「まず認識すべきは、御鏡雲水には栄えある照京貴族の未来を憂う気持ちなど微塵もない事じゃ。」


御鏡雲水も世襲貴族であるからには、税制改正法案によって恩恵を受ける身。しかし、他人が自分と同じ価値観で動くと考えるのは浅慮である。己が栄誉と富にしか関心がない左近には、雲水の心中は推し量れなかった。先帝の治世の下、今一つ腹の据わらぬ名門の当主として活動してきた雲水の姿を見てきた左近は、忠誠と良心の狭間で苦しむ宰相の葛藤にまるで気付いていなかったのだ。


しかし、昼の議場で雲水の意想はハッキリ示され、左近一派は状況を認識した。いささか遅きに逸した感は拭えないにしてもだ。


先頭に立って糾弾していた貴族二人が愚にも付かない事を言い出す。


「帝に諫言するのはどうだろう?」 「いや、新帝の意向を踏んでの猿芝居だったのかもしれぬぞ。」


諫言が無駄なのは左近にはわかっている。新帝は義弟の言いなりであり、あの小生意気な若僧が少しばかりの武功を鼻に掛けて、国政を壟断しているのも知っているからだ。八熾の当主を気取る少尉風情は孫の功績を横取りし、我々譜代貴族をないがしろにしようとしている。


……ただ幸いな事に、あの若僧は都を離れている。雲水さえいなくなれば、功臣筆頭である儂が議会を掌握出来るだろう。ならば、かつて成功した方法を踏襲するしかあるまい。問題は、前回や前々回と違って"帝の御墨付き"がない事だが……


「皆、よく聞いてくれ。儂も色々方策を考えはしたが……やはり"君側の奸"を討つより他あるまい。」


とにかく既成事実を作り上げ、新帝を押し切るしかない。あの若僧が愚かな点は、軍を議会の下に置いた事だ。先帝のように照京軍を帝の直属組織にしておけば、我らも打つ手に窮したに違いないものを……


「雲水を排除し、議会を掌握する。軍が議会の指揮下にある以上、軍監だろうが議会の命令には逆らえん。文民統制などと痴れ言を抜かした愚かさの報いを受けてもらおうではないか。そして我ら譜代貴族の手で都のあるべき姿、"選民統制"を実現させるのじゃ!」


手練れの軍人である龍弟侯どころか、根っからの文民である雲水が聞いても失笑するであろう絵空事を大真面目に宣言する左近。しかし、この場においては絶大な説得力があった。


「左内殿が鍛え上げた"竜騎兵"を使うのですな!」


古株の貴族が興奮した面持ちでそう言ったが、竜胆左内の直属部隊であった"竜騎兵団ドラグーン"を左近は動かす事が出来ない。なぜなら竜騎兵団は、竜胆家に代々仕えてきた身でありながら左近を裏切り、左内の当主就任を支持した者達だからだ。身分が軽い者達とはいえ、主君への反抗は決して許されない。当然の戒めとして、左近は竜騎兵の帰参を認めなかった。認めないのではなく、竜騎兵達は旧主への帰参など求めてはいない、が正確な表現ではあるが……


彼らを束ねているのは孫娘の椿で、現在の竜騎兵団は軍教官として新兵の教練に従事しているのだ。


椿は政治に疎く、照京の未来を憂いての壮挙と言えども、御鏡家当主の暗殺には賛同するまい……この点においてのみ、左近の予測は正鵠を射ていた。


「いや、外部の者を雇う。皆で資金を供出して…」


「…線香代にでもするがいい。八熾、叢雲だけでは飽き足らず、御鏡にまで刃を向けるとは呆れて物が言えん。」


招かれざる客は古風な侍を思わせる風貌であった。侵入者に向かって議員達が一斉に誰何すいかする。


「貴様は何者だ!」 「誰の許しを得てここへ入ってきた!」 「突っ立っておらぬで平伏せんか、無礼者めが!」


侍が薄笑いを浮かべながら首を振ると、後頭部で纏めてある長髪が馬の尾のように揺れる。


「拙者は鷺宮家旧臣、戦場兵馬いくさばへいま。亡き奥方様に成り代わり、貴様らの首級を頂戴すべく推参した。おのれらは誰一人、ここから生かして帰さぬ!」


背中に背負った愛用の長刀"四尺酒呑よんしゃくしゅてん"を居合い抜きした兵馬、首が刎ねられた死体が二つ出来上がる。その名の通り、四尺(120センチ)の刀身を持つ長刀は、切れ味も抜群であった。


恐慌を起こし、一番近い出口に殺到する貴族達。しかし、扉を開ける必要はなかった。扉の方から先に開いてくれたからだ。


「おまえらがよぉ、ちっとでも反省した素振りを見せてりゃ俺も兵馬も見逃してやるつもりだったってのに、馬鹿に付ける薬はありゃしねえな!おっと、一応名乗っておいてやるぜ。俺も鷺宮の旧臣でよ、轟弾正とどろきだんじょうってもんだ。」


手にした金棒、"岩砕棒手がんさいぼて"を※棒手振ぼてふりのように無造作に振った弾正の前にも撲殺死体が出来上がる。


「兵馬に斬殺されるか、俺に撲殺されるか、好きな方を選べ!行く先は同じ地獄だがな!」


二人から離れた位置にある扉に駆け寄った貴族は絶望に打ちひしがれる。おそらく外側から仕掛けが施してあるのだろう、扉は固く閉ざされ、開こうとしない。扉が無理ならバルコニーだと掃き出し窓に駆け寄った貴族も同じであった。慌てて駆け寄る逃亡者を嘲笑うかのように、侵入者防止用の非常シャッターが降りてきたのだ。竜胆屋敷のセキュリティーシステムは、鷺宮家旧臣の手に落ちていたのである。


「叢雲一族の粛清に関わった貴族と兵士のほとんどは照京動乱で戦死か刑死、わずかに生き残った残党は今夜、雁首揃えてここに集まっている。これを天の配剤と言わずして何と言おうか。」


血塗れた長刀を構えた兵馬は、冷ややかな視線で仇の群れをグルリと見渡す。


「天網恢恢、疎にして漏らさずってえのは、こういうのを言うんだろうなぁ。兵馬、遠慮はいらねえぞ。」


「元より遠慮なぞするものか。弾正、此奴らに武器を渡してやれ。」


「おう。心得のある奴は得物を取んな。2対40だ、勝てるかもしれんぜ?」


刀を詰め込んだ背嚢を左近達に投げてやる弾正。手を汚した事がない40人…既に3人殺されているので37人と、死線をくぐり抜けてきたツワモノ2人とでは、獅子と猫以上に力の差がある。これは尋常な勝負の為の礼儀ではなく、葬送の…いや、報復の儀式なのだ。


「鷺宮の痩せ犬と野良犬が頭に乗りおって!返り討ちにしてくれるわ!」


左近一派の中で最も腕が立つ中年貴族が背嚢の刀を手にして打ち掛かったが、四尺酒呑の前にあっけなく胴体を両断される。実戦知らずの道場剣法が、戦場で鍛えられた殺人剣法に敵う筈もない。臓物をぶちまけながら肉塊に変わった貴族の姿が、彼らの末路を示していた。


「ま、待て!いや、待ってくれい!儂が排除しようとしたのは叢雲一族であって、鷺宮家ではないのじゃ!それとて帝の命に従っただけで、儂の本意ではない!全ては先帝が…我龍めが悪いのじゃ!」


左近は懸命に言い逃れようとしたが、鷺宮家の旧臣二人は冷笑するだけだった。


「聞いたか、兵馬。我龍めが悪い、だとさ。」


「拙者はここまで醜悪な人間を見た事がない。仇でなくとも生かしてはおけん。」


「まったくだぜ。せめてもの慈悲だ、四尺酒呑の錆びになんな。一瞬で楽になれっからよ。……俺の岩砕棒手で死ぬのは痛えぞ?」


唯一出入り可能な大扉の前には無精髭を生やした筋骨逞しい野武士、部屋の中央へ歩むのは長髪痩身、一分の隙もない古武士。左近一党にとって、悪夢の時間が始まったのである。


───────────────────────


数分後、叫喚地獄が終わり、血の池地獄と化した広間に数人の男が入ってきた。


「終わったか?」


兵馬の問いに、戦装束を纏った刺客の頭が頷きながら報告する。


「ハッ!兵舎にいた兵士どもは残らず始末を終えました。竜騎兵は如何致しまするか?」


「竜騎兵は叢雲一族の粛清には関わっておらぬ。まだ年端もゆかぬ少年だった頃の暴挙を咎める訳にもゆくまい。これにて復讐は終わりだ。皆、よくやってくれた。これで拙者も十三年前に散った同胞はらから達に顔向け出来る。」


主君・鷺宮永遠から授かった愛刀を背中の鞘に納めながら兵馬は部下を労った。暗殺という仕事の特性上、四尺もある長刀は使うべきではないのはわかっていた。世にありふれた武器ではないからだ。しかし、戦場兵馬は主君ゆかりの四尺酒呑で仇を討たねば気が済まなかったのだ。


「これで仇討ちは無事完了だ。問題はこの後だぞ。」


無精髭を撫でる莫逆ばくぎゃくの友に兵馬は頭を下げた。


「……すまぬ、弾正。おまえは仇討ちには反対だったのに、拙者の我が儘に付き合わせてしまった……」


「仇討ちに反対だった訳じゃねえよ。討魔様の下知に逆らうのは気乗りしなかっただけだ。おまえがどうしてもってんなら付き合うまでさ、気にすんな。」


「お館様はさぞお怒りになるであろうな……」


亡き主君の一子、叢雲討魔も事情は重々承知しているとはいえ、"都でいざこざを起こすな"という下知を破ったのは事実である。


「討魔様はそういうキャラじゃねえって。だが、覚悟がいるのは間違いねえ。仇の首を刎ねた後は、俺らが首を洗う番だ。……兵馬、仇討ちの前にも言ったが、若からどんな罰を下されようとも、お恨みする事は許さねえ。」


年寄りじみた言動行動が目立つ叢雲宗家の嫡男だが、兵馬と弾正にとっては"若"なのである。


「お恨みなどするものか。勝手な真似をしでかしたのは拙者だ。」


「わかってるならいい。事も済んだし、マウタウへ戻るか。……この件の始末、俺らの首で済めばいいんだが……」


弾正の懸念は友の共感を呼ばなかった。


「皆は拙者の命令に従っただけだ。お館様も鷺宮衆には寛大な仕置きを下されるだろう。」


「そういう事を言ってんじゃねえ。兵馬、おまえは旧主の事ばっか考えてねえで、今の主君をおもんばかれ。そんなだから時代錯誤の侍もどきなんて言われんだよ。」


「拙者は若の為なら喜んで死ねる!それに誰が侍もどきだ!戦場家は正真正銘の武家だぞ!」


そんな事は同じ家格の轟家に生まれた弾正だってわかっている。彼の言いたい事は、一本気は美徳ばかりではないという事なのだ。


「わかったわかった。とにかく間抜けが作ったバレバレの隠し通路を使ってここを出るぞ。若に会えばおまえも俺の言ってる事の意味がわかるさ。」


隠し通路は、細心に細心を重ねて作られねばならない。でなければ今回のように、刺客を呼び込む抜け道にもなり得るのだ。


「昔からおまえは、何かにつけて拙者を小馬鹿にする!確かに轟弾正は目端が利くが、拙者とて何も考えていない訳ではないのだぞ!」


仲はいいのに、口喧嘩が絶えない二人であった。幼少の頃から変わらぬ姿に、付き従う鷺宮家臣団は含み笑いを漏らす。



こうして竜胆左近とその一派、かつて八熾、叢雲一族にあだなした者達は全滅した。地球の小説家、レイモンド・ソーントン・チャンドラーはその著作に"撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ"と記したが、左近とその一派には"討たれる覚悟"などなかったに違いない。


※棒手振り

天秤棒に荷を担いで売り歩く行商人。時代劇だと、長屋でシジミやアサリなどを商っている威勢のいいお兄ちゃんと言えばわかりやすいかもしれません。魚の棒手振りが主人公の時代劇に「一心太助」があります。


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