宿敵編25話 蝙蝠議長のリトマス試験紙
「では議長、税制改革法案には賛成してくださるのですな?」
何が税制改革法案だね、自分達だけに適用される優遇税制を改革とは言わないのだよ。そう思った雲水だったが、心中の声などおくびにも出さずに鷹揚に頷いてみせる。
「もちろんだとも。竜胆子爵を始めとする照京貴族の粉骨砕身があってこそ、都の安寧が保たれているのだ。帝はまだお若いから、そのあたりへの配慮がお薄い。明日の議決に先だって私から諫言を差し上げ、ご理解を頂いている。万事問題なしだよ。」
御鏡雲水はかつて、御門我龍の治世を支えていた。そういった経緯で、提灯持ちの一番手であった竜胆左近とはそれなりに面識がある。悲劇の功労者を孫に持ち、その名声をテコに復権した左近が取り巻きを集めて暗躍しているのを半ば黙認しながら、ところどころで釘を刺す程度に留めておいたのは、ドラグラント連邦が成立するのを待っていたからである。政争を仕掛けるのは時期が肝要、雲水にはそれがわかっていた。
戦争は不得手だが政争は得意、御鏡雲水の実力を竜胆左近は甘く見ていた。甘く見ているというよりも、自分に都合が悪い事は考えない身勝手さと言うべきなのかもしれないが……
既得権益を持つ譜代貴族と改革を志す帝の間で苦悩する宰相、雲水の演技に市民も議員も騙されていたのである。
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「賛成の議員は御起立を!」
採決の声を受けて意気揚々と起立した左近は我が目を疑った。立ち上がったのは自分のシンパを除けば、30にも満たない数の議員しかいなかったからだ。
「竜胆議員の提出した税制改革法案は、反対多数で否決されました。本日の議会はこれまで。」
議長の雲水が閉会を宣言し、立ったまま放心する左近。彼には何が起こっているのか理解出来なかったのだ。
「竜胆先生!今日の議決はテレビ中継はなかったはずですが、市営放送が番組を変更して中継しているようです!」
側近議員がハンディコムを手に報告してくる。彼の言う通り、天井のカメラが呆然と立ったままの自分達の様子を余す事なく捉えていた。
「こ、これは何かの間違いだ!私が議長に掛け合ってくる!もう一度、審議をやり直すのだ!」
口から泡を吹きながら左近は議場を出た雲水の背中を追った。これでは優遇税制の成立を約束した子飼いの議員達に、顔が立たないではないか!
「議長!議長!もう一度採決を!どんな手違いがあったのですか!」
懸命に走って雲水に追いつき、その背中に再度の採決を懇願した左近だったが、振り返った雲水は昨日とは別人のように冷淡な顔をしていた。
「再度の採決? キミは何を言っているのかね?」
「議長こそ何を言っているのです!昨日、私と約束したではないですか!税制改革法案は必ず可決させると!」
「そんな約束などした覚えはないよ。今日の議会で明らかになったのは、"誰が市民の敵なのか"ではないかね?」
「わ、儂を
掴みかかろうとした左近だったが、議場警備兵に両脇を抑えられる。バイオメタル化はしているものの、"昇り竜"と称えられた孫の100分の1の身体能力すら持たない老人は、身動き一つ出来なかった。
「あんな法案に賛成する者がごく一部だったのは幸いだったよ。国賊は少ないに越した事はないからね。」
「おのれ、先々代の帝から直々に子爵号を賜ったこの儂を国賊呼ばわりするとは!待てぃ、雲水!その腐った性根を叩き直してくれるわ!」
政争に敗れた老人を抑え付ける警備兵は苦笑しながら論理のあべこべさを教える。
「竜胆子爵、確かに貴方は先々代の帝から子爵号を賜ったのかもしれませんが、身分を言うのなら御鏡議長は照京御三家で侯爵号を有するお方。初代帝にあらせられる神祖様から位を授けられた、照京きっての名門なのですが?」
「爵位云々を差し引いても、現帝から執権を任された議長に無礼は許しませぬ。それに子爵が国賊なのも事実でしょう。議事堂内でこのような狼藉に及んだのですからな。」
左右の兵士を怒鳴りつけてやろうにも、彼らの言は至極正論であった。そして正面に立った兵士がスタンバトンを取り出したので、左近の威勢はどこかに引っ込んでしまった。
楽しげな顔で安全装置を切った兵士の顔に、"どうぞ遠慮なく暴れてください。スタンバトンをお見舞いしますので"と書かれているような気がしたからだ。
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議長室に戻った雲水は、議場の様子をテレビで見ていた娘に声をかける。
「稲穂、これが政争だ。よく覚えておきなさい。」
甘言を弄すところから手酷く裏切るところまで、雲水は謀略の一部始終を娘に見せていた。
「はい。どっちつかずの顔を見せておき、斬る時は一刀の下に斬り捨てる。稲穂は謀略のなんたるかをお父様の姿から学びました。」
「うむ。誰が市政を壟断する者であるか、市民の目にも明らかになった。彼らにとって次の選挙は厳しいものとなるだろう。せっかく私が機会を与えたのに、見事にフイにしたものだな。」
現在の市民議会議員は、帝の信任を得た雲水の指名で議席を得ている。しかし、次回からは市民による選挙を経なければ議席を獲得出来ないのだ。ほぼ全員が共犯となる予定だった税制改革法案は、雲水が仕掛けた罠だったのである。
「お父様、今夜のパーティーなのですが、雷蔵も伴ってもよろしいですか?」
「そうするといい。故郷を離れてまで稲穂を守ってくれる小さな護衛役をお披露目するのにいい機会だ。」
「雷蔵の故郷はここですわ。射場家は先祖代々、この都に住んでいたのですから。お父様、次の一手を稲穂に教えてくださいませ。」
娘は自分の後を継ぎ、いずれ政争を戦わねばならない。まだ早いのかもしれないが、教えられる事は全て教えておこう。雲水は政治家の顔のまま、娘に政争の戦い方を伝授する。
「手始めに今夜開くパーティーで、私の蝙蝠ぶりを憂慮していた議員達とじっくり語らう。」
改革派の議員達は雲水の一貫した対外政策には諸手を挙げて賛成していたが、内政においては世襲貴族に過度な配慮を見せる姿勢を疑問視していた。外交◎、内政△、差し引きして〇、それが雲水の政治姿勢への評価だったのだ。
「もう配慮の必要はありませんものね。当然ですわ。」
「いや、市政に関与させないだけで、世襲貴族への心付けは規模を縮小してだが継続する。既得権益の全てが害悪という訳ではないのだ。それに稲穂、私達も世襲貴族である事を忘れてはならない。急進的な改革ではなく、徐々に段階を踏みながら特権を解体してゆくべきなのだよ。」
改革派の議員にも世襲貴族の出身者は多い。行き過ぎた敵視政策が招く結果を雲水は熟知していた。貴族への配慮と市政改革を両立させる。今はそういう時期なのである。
「なるほど。稲穂はまだ考えが浅いようです。」
「左近のような己が権益しか考えない輩は排除するしかない。だが、全てを排除するのも悪手だ。我こそは古都の名門、貴族に課せられた誇りある義務として帝と市民の為に尽くしたいという気概のある者には、是非とも協力を仰がねばならん。」
「私は昼の議場で謀略を学び、夜の社交界でバランス感覚を会得しましょう。御鏡稲穂は帝の鏡、培った力をミコト様の恩為に役立てます!」
帝の心を映す鏡たらんとする娘に向かって、父親の顔に戻った雲水は微笑んだ。もし、この気構えが若き日の自分にあれば、御三家は今でも都に健在であっただろうと思い、後悔の念がよぎる。
「稲穂、まだミコト様の御世は始まったばかりだ。先は長いぞ。」
「心得ております、お父様。」
そう、まだ始まったばかりであり、決して終わってはいないのだ。八熾家は都に帰参してくれた。残るは叢雲家、その帰参が叶うまで、御鏡家は尽力せねばならない。年端もゆかなかった頃に起きた八熾の変は防ぎようがなかったかもしれないが、御鏡家当主となっていた時に起こった叢雲一族の粛清は止められていたかもしれない。
「……叢雲家の先代、斬魔殿と私が意を同じくしてお諫めしていれば、我龍様があんな最期を遂げられる事もなかった。父の姿を学ぶだけではなく、反面教師とするのだ。」
「……はい。稲穂は八熾の当主様と心を一つにし、ミコト様をお支え致します。」
「イナホ様、そろそろお話は終わりましたか!侍女殿からパーティードレスに袖を通して欲しいと言伝を預かったのですが!」
ノックを忘れて控室から飛び込んできた少年に、雲水は任務を命じる。
「雷蔵君は元気がいいな。今夜の夜会だが、キミも出席したまえ。もちろん、稲穂の護衛も兼ねてね。」
「はいっ!射場ライゾー、護衛任務を拝命しましたっ!」
「よろしい。稲穂、雷蔵君の衣装はおまえが手配しなさい。」
「はい、お父様。雷蔵、私に付いていらっしゃい。」
「ははっ!」
仲良く議長室を出てゆく二人を雲水は見送り、一人になってから影の参謀に通信を入れる。
「テレビ中継を見ていたよ。炙り出しとはこうやるのだとお手本にしたくなる、見事な手並みだった。」
「税制改革法案というリトマス試験紙を用意した教授も共犯だよ。とはいえ、少し頭の回る者ならこんな手には引っかかるまい。教授が面従腹背と睨んだ議員のリストを送ってくれたまえ。罠を回避した狸も、いずれ始末をつけねばならん。」
「今から送る。あくまで私の予見に基づいたリストだから、人物の真贋は代表に見てもらうしかないのだが……」
「自分の目で確かめた訳でもない人間を罠に掛ける訳にはいかんよ。その者の政治生命を絶つ事になるのだからね。」
「政治生命で済ませてやるのだから、代表の優しさに感謝すべきだろう。左近とそのシンパは恨み骨髄だろうがね。彼らをどうするつもりかな?」
「どうもしない。彼らの口座は表も裏も把握しているのだろう?」
「もちろんだとも。不明瞭な出金があれば、ソイツの身柄を抑える手筈も終えている。そうなった場合は政治生命では済まさないがね。」
プロの暗殺者は口約束など信用しない。十分な前金が振り込まれなければ、決して仕事を始めないのだ。
「左近やそのシンパが召し抱えている兵士では、教授の差配してくれた護衛兵の相手にはならない。外部から人間を雇おうとした場合にのみ対処すればいいだろう。今夜あたり雁首揃えて話し合いになるだろうが、紛糾した挙げ句に肝心の結論は出せまいよ。」
雲水は左近とそのシンパ達の性格をよく見知っているがゆえに、彼らのやる事などお見通しだった。
「だろうな。左近の責任追及から始まって、どうすれば自分達…というより自分だけでも生き残れるのか、ない知恵を搾るのに汲々とするだけだ。例え報復を唱える者がいたとしても、では誰がリスクを負うのかと、なすりつけ合うに決まっている。」
「そういう事だね。カナタ君への報告は、彼らを型に嵌めてからでいいだろう。プライドだけは高い左近は意地を張って突っぱねるかもしれないが、シンパどもは本領安堵を約束してやれば、政界から身を引くはずだ。」
数を頼んでも脅威ではなかった左近が一人になれば、完全に無力化する。目に見える国賊と潜在的国賊を釣り上げる活き餌、彼の役割は終わったのだ。
「左近は孫娘を利用した復権に賭けると思うね。彼女を使って身を引かせるのも手だな。」
失脚した自分の代わりに孫娘を傀儡に仕立て上げる。いかにも左近が考えそうな事だと雲水は思ったが、だからといって彼女を逆用し、説得にあたらせるのも気が進まなかった。竜胆椿の分別と弁舌に期待は持てないと知っていたからだ。
「
能力的にも難しかろうし、心情的にも功労者の妹を政争に巻き込みたくない。ミコト様も幼少の頃から一緒だった彼女を気に掛けておられる。
それにしても……気位は高いが能力は低く、志は皆無で、心にあるのは我欲だけ。そんな祖父を見限って引導を渡し、家督を奪い取った左内君はやはり慧眼だったなと雲水は思った。
左近は孫の"昇り竜"左内を出来のいい道具としか思っていなかったに違いないが、その一点だけでも、あの老人の"人を見る目のなさ"を物語っている。
「わかった。左近一派に関しては代表にお任せする。協力が必要なら声をかけてくれ。」
「頼りにしている。それでは教授、また連絡するよ。」
通信を終えた雲水も、画面の向こうの教授も期せずして同じ事を考えていた。
……竜胆左内が健在であれば、こんな事にはなっていないだろうに、と。
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