宿敵編8話 危険な推論
この世界では自分の無機質さに起因する鉄面皮に助けられるコトが多い。動揺から瞬時に立ち直ったオレはアスラ元帥と直接面識があり、立場的にはザラゾフ寄りの夫人から、アスラ元帥の人となりを聞き出すコトに成功した。難しいコトでもなければ、夫人を騙した訳でもない。以前から知りたかった(アスラ閥外の人間による)古き良き時代の同盟の話を聞かせてもらえば、自然とアスラ元帥のエピソードも聞けるだけだ。
ザラゾフ夫人はユーモアがあり、話術も巧みで、昔話をたくさん聞かせてくれた。碌でもない推論から少し距離を置きたかったオレとしては、大助かりだ。
「あら、もうこんな時間!ずいぶん話し込んでしまいましたわね。」
「楽しい時間は過ぎるのも早い。ザラゾフ夫人とはもっと早く知り合っておきたかった。」
お世辞ではなくそう思う。この世界に来てからも後悔するコトはあるが、良き人との出会いの遅れはその最たるものだ。
ガーデンマフィアと親睦を深めたルシアンマフィアが迎えに来たので、貴婦人一行をヘリポートまで見送りに行く。手当てを終えた昆布坂少年は先に大型ヘリの医療ポッドに運び込まれているようだ。
ザラゾフ家専用ヘリには、有翼獅子の紋章が描かれている。獅子は閣下のトレードマークであり、伝来の家紋なのだ。もちろん隠密飛行中は迷彩で隠されるのだが。
ザラゾフ夫人はグラサンマッチョに畳んだ日傘を預け、オレを軽くハグしてくれた。
「是非お時間を作って屋敷にいらしてくださいな。孫娘はとても可愛らしいのよ?」
「夫人のように実物は写真以上なんでしょうね。サンドラちゃんの将来が楽しみだ。閣下に顔が似なかったのは実によかった。」
「夫にもそう言いましたわ。サンドラの容姿は私の手柄ですわねって。」
悪戯っぽく笑った夫人は赤い絨毯を模したタラップを上り、ヘリに乗り込んだ。隔世遺伝、グッジョブ。でもハンサムなアレックス大佐は自分の手柄だと主張するだろうなぁ。
貴婦人を乗せたヘリは飛び立ち、オレは空に向かって敬礼する。鋼鉄の有翼獅子が豆粒のように小さくなってから、オレは踵を返した。
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官舎に戻る道すがら、オレは考えを巡らす。
日本人なら誰でも"本能寺の変"を知っている。稀代の英雄、織田信長は長きに渡って彼を支えてきたはずの腹心、明智光秀に裏切られて死んだのだと。それは歴史的事実だが、裏切られた信長にとっては"まさか光秀が!"だったに違いない。彼は功臣の裏切りを全く予見していなかった。そうでなければ、僅かな馬回り衆だけを連れて城でもない本能寺に宿泊するはずもない。後世の人間にとっては"常識"でも、当時の人間にとっては"青天の霹靂"だったのだ。
九曜技師長から世界昇華計画の全貌を聞かされた時に感じた違和感。あの違和感は昇華計画に関するものではなかった。温厚を絵に描いたような東雲中将が司令の冗談に過剰反応した時に、異常者としての勘が警鐘を鳴らしていたんだ。……"この男には動機があるぞ!"と。
勘に勘を重ねるのはよろしくない。だが、それでもあえて重ねる必要を感じる。災害閣下は軍隊戦術以外には論理的思考を用いず、己の直感を頼りにしている。そして、その直感は論拠を経ずに"八熾彼方は八熾羚厳の孫だ"という真実に到達した。勘の鋭い閣下がアスラ元帥を"大甘野郎"、"お砂糖男"と呼んでいた事実は軽く扱えない……
伝記を読む限り、戦術家、政治家としてのアスラ元帥は甘いどころか徹底した現実主義者だ。シビアな手法で戦争と政争を戦いながら、大衆に夢を見させるコトも出来る才能は稀有としか言えないんだが、その苛烈な現実主義の根底には、壮大な理想主義が根付いていたんじゃないか? 人間の本質を野生の嗅覚で嗅ぎ分ける災害閣下は、アスラ元帥の本質に気付いていた。だから、"甘い"と評したんじゃないか……
当初は世界統一機構からの独立を目指して戦い始めた元帥は、後見人だった御門右龍の息子で親友でもある御門儀龍と、恋人で後の妻となった白鷺深怜を通じて世界昇華計画の存在を知った。気宇壮大な英雄だった元帥は、"解放と独立"という歴史書にありふれた偉業ではなく、"人類の変革"という誰も為し得なかった壮挙に挑もうと考えた。
オレは世界昇華計画なんてもんが上手くいくとは思えない。だがそれは"凡人"の感想だ。"偉人"と呼ばれる類の人間はこう考える。
"誰も為し得なかった事でも、私なら出来る!"と。
そう、余人には不可能なプロジェクトを成功させた者が偉人と呼ばれる。偉業を支えるつもりだった凡人は、敬愛してやまない先輩が共に目指したはずの理想を変えたコトを知った。そして、新たな理想は凡人には理解不能の暴挙に思えた……
中将を凡人と評するのは過小評価が過ぎるのかもしれない。だが、東雲刑部は非凡ではあっても天才ではない。明らかに努力型の人間で、戦術も基本に忠実だ。無謀スレスレの離れ業で劇的な戦果を上げたアスラ元帥とはタイプが違う。
気になるコトはまだある。
戦争の天才である"軍神"アスラは同盟設立当初、神懸かった軍略で機構軍を圧倒した。しかし、ある時期を境に矛先が鈍った。"同盟が勢力を拡大し、基盤が安定してきたのでリスキーな勝利を目指す必要がなくなった"というのが史家の見解で、オレもそう思っていた。……ついさっきまでは、な。
攻勢の鈍化には、他に理由があったのかもしれない。世界昇華計画を発動させるつもりなら目先の勝敗にこだわる必要はない。戦争には強い兵士が必要で、必然的にどっちの軍も人類のバイオメタル化を促す。頃合いを見て殺人を禁じれば、それで勝ちだ。アスラ元帥はそう考えて、戦争をコントロールしていたんじゃないのか?
「深刻顔だね。また悪い事でも考えてるのかい?」
官舎の前には親友がいた。オレの部屋を訪ねて来たところだったのだろう。
「悪いコトじゃなく、不吉なコトさ。シュリ、オレの話を聞いてくれるか?」
誰かに相談したいが、コトがコトだけにかなりの負担になる。出来れば女の子に相談するのは避けたい。シュリに甘えるのもどうかと思うが、強い男だからな。
「聞くに決まってるさ。」
「あんがとな。話の前にバイクでも飛ばそうぜ。」
ガーデンの外で話した方が良さそうだ。
「じゃあ塩湖までツーリングだ。お酒もあるしね。」
シュリは手提げ袋から二本の酒瓶を取り出してみせた。辛口の銘酒・悪代官大吟醸と、甘口の銘酒・名奉行大吟醸はオレらの好みを端的に表している。性格も嗜好も正反対の二人、だけどオレ達は同じ志を抱いている。
オレとシュリは脳波誘導装置を使い、駐輪場からそれぞれの愛車を呼び寄せた。
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オレとシュリは酒だけではなく、バイクの好みも違っている。オレはタイヤ付きのバイクを好むが、シュリはホバーバイクが好きだ。タイヤの代わりに円形のジェット噴射機を搭載した愛車を駆るシュリと仲良く併走する。どうやら馬力はカブトGXに分があるみたいだな。
「やっぱ馬力なら従来型だな。」
「エンジンの差を考慮しないとアンフェアだ。カナタの専用バイクの動力は、そんじょそこらの炎素エンジンとはモノが違うだろ。」
ガワはいくらでも改良出来るけど炎素エンジンのコア、緋水晶の良し悪しだけはどうにもなんねえからなぁ。でもシュリの専用バイク"エスカルゴNS(ニンジャスタイル)"もかなりいい炎素エンジンを積んでいるはずだが……
「それもそうだな。でも機動性なら従来型のが上だぞ?」
接地している分、小回りが利く。スピンターンみたいな技はホバータイプだとやりにくいのだ。同盟最強のリガーである同志アクセルも、従来型をメインバイクに据えている。もちろん用途によって使い分けてはいるのだが……
「じゃあホバーバイクならではの強味を見せようか。」
塩湖に到着したシュリはオレを手招きした。リアシートに乗れってか。
「なるほど、確かに従来型には無理な芸当だな。だが、そこは乗り手がカバーする。」
オレが湖面に砂鉄の道を形成すると、シュリはやれやれとばかりに両手を広げた。
「希少能力持ちはこれだから。汎用性が高い磁力操作能力は、カナタにはうってつけだね。」
オレは砂鉄の道を、シュリは湖面に波紋を広げながらバイクを走らせる。塩湖の中央には小島があり、オレとシュリはその島に小さなログハウスを建てて、別荘みたいに使っているのだ。
危険な推論をシュリに話すコトまでは既定路線だ。問題は"司令に話すか否か"、相談したいのはそこだ。
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