第十章 宿敵編
宿敵編1話 一芸を極めるのに、易き道なし
アジフライにウスターソースをドバッとかけて、白米と一緒に豪快にかき込む。極上の飯を咀嚼しながらタクワンを口中に追加し、ポリポリと噛み砕いて滋味を楽しんだ。……この世界にも沢庵和尚がいたのかねえ?
「メンチカツお待ち!カナタさんは相変わらずいい食いっぷりだねえ。」
磯吉さんが揚げたてのメンチカツを皿に追加してくれたので、マヨネーズを盛った皿にウスターソースをかけてかき混ぜる。オレはメンチカツはマヨソースで食する主義なのだ。
「カタッ苦しい食事にはもう飽き飽きだ!……こういうのでいいんだよ。」
やっと麗しの薔薇園に帰って来れたオレは大食堂に駆け込み、庶民飯を堪能している。
「赤シソと鶏そぼろのふりかけも頂戴!」
庶民飯に飢えていたナツメもドンブリ飯をかき込んでいる。うむ、赤シソと鶏そぼろはご飯の友。よくわかってるな。
「少尉とナツメが小市民なのは知ってたけど、がっつき過ぎよ。みっともない。」
柿の葉寿司を上品に食すリリスさんは呆れ顔だが、オレらは育ちが悪いんでね。……ん? ナツメは資産家の令嬢だったはずだが……
「磯吉さんの作ってくれたご飯を食べると、ガーデンに帰って来た実感が湧きますね。あ、おひつのお代わりをお願いします。」
シオンさんは綺麗な早食いを特技としている。結婚してからも昼は大食堂で働いているリカさんが、シオンのリクエストに応えておひつのお代わりを持ってきてくれた。
「お母様に習ってうるかを作ってみたんですが、皆さんいかがですか?」
塩辛の入った陶器の壺が卓上に置かれ、争奪戦が始まった。うるかは酒のつまみにもいいが、ホカホカご飯の上に乗っければ、とにかく飯が進むのだ。
「揚げ物の次はぶり大根だ。いい醤油を見っけたんでね、レシピを改良してあるんだぜ?」
脂身の乗ったぶりの切り身に箸を伸ばすオレらを尻目に、リリスは大根を小皿に取った。出汁の良し悪しを判別するには、大根が適しているからだろう。
「……このお醤油、山荘の晩餐会でも使われていたわ。機構領の産品なの?」
毎度のコトながらよくわかるよなあ。神の舌を持つ少女が同じ品だと言うんだから、間違いないんだろうけど。
「いや、同盟領だよ。神楼の衛星都市にある醤油工房で造られた"蔵正・相伝"さな。」
「そう。まあ醤油に限らず高級品目は輸出も認可されてるから、機構軍でも入手可能でしょうね。」
死神も悪代官大吟醸を愛飲してたからな。あれも同盟領の銘酒だ。
「しかし蔵正・相伝はこないだ樽から出されたばかりの逸品だ。それにもう目を付けてるたぁ、その料理人はただ者じゃないねえ。その腕っこきはなんて名なんだい?」
「亡霊戦団料理長・土雷の魅猿よ。料理長にして、戦団の幹部な訳だけど。」
「おでれえたねえ。料理だけじゃなく、切った張ったまでやれんのかい。オイチャンはこの道しか知らねえからなぁ。シゲみてえに墨絵が描ける訳でもねえし……」
料理人の磯吉さんと鍛冶屋の茂吉さんは、イソ、シゲと呼び合う仲だ。なんでも磯吉さんが照京一の割烹料亭"磯銀"で板前修行をしていた頃からの付き合いらしい。たぶん、茂吉さんは研ぎ師として料亭に出入りしていたんだろう。武器に限らず、刃物ならなんでも研げる人だからな。
「一芸を極めるのも立派です。私は磯吉さんの料理が大好きですよ。」
シオンが微笑むと、磯吉さんも相好を崩した。
「嬉しい事言ってくれるねえ。オイチャン、張り切っちまうぞぉ。デザートは特製抹茶アイスだ、楽しみにしててくんな。」
トレードマークの捻り鉢巻きを締め直した磯吉さんは、厨房に戻っていった。
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腹ごしらえを済ませたオレは法務室にいるヒムノン室長に帰還の報告を行い、御門グループの方針なども話し合う。ヒムノン室長はグループの副代表でもあるのだ。
「連邦基本法の改正も進めねばならんね。私としては人権項目を強化したいと思っているのだが……」
同盟憲章の理念に基づいたドラグラント連邦基本法は、雲水代表(の名を借りた教授)と、法律のスペシャリストであるヒムノン室長をリーダーに据えた特命チームが草案を作った。かなり大変だっただろうに、よくやってくれたよなぁ。
「改正が必要なら着手してください。オレを通さず、雲水代表と話してくださって結構ですから。」
法律の条文を読んでいると目眩がする。これはオレの学生時代からの持病なのだ。バイオメタル化しても治ったりしない。
「委任されるのは嬉しいが、チェックするのを嫌がっているようにしか思えないのだがね?」
「ソ、ソンナコトハナイデスヨ。」
「それが機構軍から"ペテン師"呼ばわりされてる人間の顔芸なのかね。本当にカナタ君はよくわからない男だな。」
「セロリとブロッコリーの次ぐらいには法律書が苦手なんです。」
ヒムノン室長はどじょう髭を指先で弾きながら嘆息する。
「セロリとブロッコリーのニンニク炒めが好物の私に喧嘩を売るのはよしたまえ。」
「え、リカさんはそんな料理が得意なんですか?」
「ニンニク料理に限らず、料理全般が上手なのだよ。そうだ!カナタ君もリカのニンニク炒めを食べればセロリとブロッコリーの美味しさが理解出来るだろう。今夜、官舎に招待するから…」
「所用があるので失礼します!お招きはまた今度で!」
意地でもセロリとブロッコリーを食いたくないオレは、法務室から逃げるように退出した。
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不得意なコトの次は得意なコトをやるか。司令棟を後にしたオレは商業エリアに向かった。商店街の一角にある鍛冶屋"鍛冶茂"の暖簾をくぐって店内に入る。
「おう、カナタさんじゃないか。龍の島から戻ったんだな?」
帰投したウチの隊員から依頼されたのだろう。作業台には見覚えのある無数の刀剣が置かれている。
「やっとこね。ここまで長く留守にしたのは初めてだなぁ。」
「スケアクロウの奮戦ぶりがよくわかる。この刀剣達が武勇伝を語ってくれるからな。」
研ぎ師は研磨の終わった刀を丁寧に拭いて木箱に収めた。激戦を終えた刀剣達も暫しの休息か。彼らも茂吉さんの手で大いにリフレッシュしただろう。その切れ味は次の戦いでも、みんなの命を守ってくれるはずだ。
「ウチの連中の研ぎの腕前はどんな感じだ?」
「ガーデンでも上の方だね。シュリさん程の腕前ではないが。」
シュリは茂吉さんが"自分と同等"と認めるぐらいの研磨の達人だ。オレも刀の手入れはシュリに習った。
「シュリと比べるのは酷だよ。アイツは手先が器用過ぎる。」
同盟屈指のモデラーが集うリグリット・ボトルシップ品評会でもぶっちぎりで優勝したからな。全審査員が満場一致で最優秀に選んだ作品はと言えば、司令のプライベートルームに飾られている。その出来栄えを見た司令が、"どうしても欲しい"と懇願(たぶん脅迫に近かったろう)して、シュリから譲られたのだ。ビリヤードでもトッププロ数人と勝負して全勝したコトがあるってホタルが自慢してたし、どんだけ手先が器用なんだ。しかもあんニャロウときたら、そんな戦歴を隠して初心者のオレをカモってやがった。勝てる訳ねーだろ、トッププロを負かす名手によ!
はぁ……シュリはもちろん、リリスといい、ギャバン少尉といい、オレの周りにゃ多芸多才な奴が多すぎるぜ。
「光輪天舞、宝刀斬舞、ご苦労だったな。出来る限りの手入れはしたつもりだが、本職にしっかり磨いてもらってくれ。」
オレは腰に提げた二本の刀を名匠に手渡した。至宝刀と宝刀を鞘から抜いてじっくり眺めた茂吉さんは、うんうんと頷く。
「カナタさんはシュリさんの直弟子だけあって、研ぎ師としてもいい腕だな。刀を握って1年半という期間の短さを考えれば、天才的だと言えるかもしれん。」
時間の長短はさほど問題じゃないのさ。オレは20年の地球暮らしより多くのコトを、この星で過ごした2年足らずで学んだんだ。
「茂吉さん、お世辞を言っても何も出ないぜ?」
「研磨に関して世辞など言わんよ。もうカナタさんの研ぎの腕前は、人に教えていいレベルだ。」
剣術の腕に比例するように手入れの技術も向上したみたいだな。本職が"指導も可"と言うのなら、結構いい線までいってると考えても良さそうだ。
「じゃあ今度、白狼衆候補生にでも指導してみるよ。」
「そうするといい。目的意識もなく学んでも、大したものは身に付かない。戦場は目的意識どころか、危機意識を持って臨む場だ。極限の真剣さがあれば、短期間で驚く程の技術が身に付くという良い事例になるだろう。」
「じゃあオレはこれで。」
「替えの刀は持っていかないのか? いくらガーデンでも敵が出ないとは限らない。」
オレは袖の隠しポケットから垂らした砂鉄を刀に形成した。
「なるほど。カナタさんは早く自前の至宝刀を見つけた方がいい。帝の証である光輪天舞をいつまでも借り受ける訳にもいくまい。」
姉さんは"この刀はカナタさんにこそ必要なものです"と言ってオレに至宝刀を預けてくれてるけど、光輪天舞は本来、帝の腰に提げられるものだからなぁ。
「探してはいるんだが、なかなかね。由緒ある名刀と言っても、玄武鉄で出来た物じゃなきゃ現代戦では使えないし……」
玄武鉄とは天然の高精製マグナムスチールだ。いや、純度において玄武鉄は高精製マグナムスチールをも上回る。それだけに希少で、そんな希少素材が名匠の手によって、名刀に加工されていなくては至宝刀にはなり得ない。至宝刀となれば市場に出回るコトもないから、入手は極めて困難なのだ。
「そうだ!ないなら造ればいい!至宝刀の原材料、玄武鉄なら手に入るかも!」
玄武鉄だって超貴重品だけど、至宝刀より入手難易度は低いだろう。名匠はここにいるんだからな。振り返ったオレの視線に、茂吉さんは苦笑いを浮かべる。
「俺に至宝刀を打てってのか?……やってみたい気持ちはあるが、力不足な気がするな。」
「ガーデン一の刀鍛冶が何言ってんですか!茂吉さんに打てなきゃ誰が打つってんです?」
「俺の師匠なら。死神トーマの差し料、宝刀武雷も師匠が打った。」
茂吉さんは五代目鉄斎の弟子だったのか!道理で腕がいいはずだ。
「現代最高の刀匠と謳われる五代目鉄斎が茂吉さんの師匠だったんですね。」
「現代最高じゃない、史上最高だ。先生より腕のいい刀鍛冶は過去にも存在していないのだからな。」
茂吉さんは脚立を持ってきて、作業場の神棚に飾ってある刀を手に取った。
「その刀は?」
鞘から抜き放たれた見事な刀……玄武鉄製ではないが、これは相当な業物だぞ。……いや、相当で済んでるか?
「俺が一人前の刀鍛冶と認められた時に、先生から渡された"試練刀"だ。試練刀の授与は
千年以上の歴史がある刀工一門の中で……たった5人だと!? 五代目鉄斎ってネーミングセンスはアレだけど、とんでもなく凄い人なんだな。
「どうやって超えたか否かを判断するんです?」
一門の人間に目利きをさせたら、鉄斎を名乗れなかった者が嫉妬で邪魔しかねないよな。
「簡単な話さ。力量の釣り合う剣客二人に頼んで、自分の刀と試練刀をかち合わせる。ガーデンだったらトキサダ先生とシグレさんに頼む事になるだろう。その時代に鉄斎がいれば鉄斎本人が、そうでなければ一門の長老衆が立会人を務め、刃の食い込み具合で勝負を見極める。」
より刃が食い込んだ方が勝ち、か。実にシンプルだな。
「試しに一度、鉄斎チャレンジをやってみたらどうですか?」
機構軍との一年契約が切れた五代目鉄斎が、今どこにいるのかわかんないけど。
「軽々に行えるものじゃないのさ。試練の儀は生涯に一度しか許されない。見事に鉄斎となるか、破門廃業かの二択だ。」
「試練に失敗したら破門なんですか!」
厳しすぎないか、それ?
「フフッ。"一芸に一命を賭けよ"とは、初代鉄斎のお言葉だ。昔と違って刀工生命を賭けるだけな分、優しくなったと言えるだろう。三代目が誕生した頃だと、試練の儀にお招きした剣客は、介錯人を務める事も多かったそうだからな。」
介錯……つまり、失敗=切腹かよ!
「……昔の話とはいえ、なんてヤバい試練なんだ。」
「刀工としての腕だけではなく、目利きをも試される。試練刀を超える作を打ったと思っても、刀工生命が懸かるとなれば、おいそれとは挑めない。挑戦者には絶対の自信と、全てを賭ける覚悟が求められるのだ。鉄斎とはそれほど重い称号なんだよ。」
鉄斎武器が引っ張りだこになる訳だ。そんじょそこらの尊号とは、格が違う。
「刀工の世界も厳しいんですね。」
「一芸を極めるのに優しい道などないさ。長老の話では、若き日の先生は白装束で儀式に臨んだらしい。そして、刃を食い込ませるどころか、試練刀を斬り折る作品を披露したそうだ。歴代鉄斎の中でも、試練刀を折って見せたのは五代目鉄斎だけだ。史上最高と言ったのは、それが理由さ。五代目鉄斎に並ぶ者がいるとすれば開祖である初代、多々良鉄斎だけじゃないかな。」
五代目鉄斎の代表作は五振り。"宝刀武雷"と"絶滅しかくれない"だ。宝刀武雷は死神トーマ、絶一文字は司令、滅一文字は朧月セツナ、屍一文字はクソ野郎のアギト、紅一文字はマリカさんの差し料になっている。奇しくも完全適合者専用武器になってんな。
シュリの紅蓮正宗は初代鉄斎が親友だった火隠の初代里長に贈った物らしい。伝来の宝刀を譲られるほど、シュリはマリカさんに信頼されてるってコトだ。
「でも茂吉さんなら、必ず六代目鉄斎になれますよ。」
「ハハハッ、俺を廃業に追い込むつもりか? 金槌を置いたら絵筆でも握るかな。」
茂吉さんが墨絵師に専念したら、ガーデンに出入りしてる美術商が喜ぶだろうな。
「縁起でもないコトを言わないでください。そうだ、暇が出来たら狼が描かれた掛け軸をよろしく。八熾の庄の屋敷に飾りたいんで。」
マリカさんの屋敷に飾ってあった蜘蛛の掛け軸はすっげーカッコよかった。オレもあんなのを客間に飾りたい。
「引き受けた。幹事長、久しぶりにガーデンに部隊が集結するとなれば、臨時党大会を開くんだろ?」
「鬼のいぬ間にと言いたいんですが、獅子神楽と凛誠の帰投予定日は同じなんですよねえ。」
「同志バクラをハブにして党大会は開けないか。しかし凛誠がいるなら、またガサ入れを食らうかもな。」
「今度は捕まらないでくださいよ。それじゃ。」
お暇するつもりが、思わぬ長話になっちまった。でも、面白い話を聞けたな。
死神の愛刀だけじゃなく、ローゼの愛剣"ヒンメルヴォルフ"も五代目鉄斎が打ったものだ。あのお転婆姫は稀代の刀匠にも気に入られたんだろう。
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