暗躍編11話 剣はマスター、恋はビギナー



窓に面した大木の枝葉に潜んだタッシェから送られてくる視覚、聴覚情報を、自室のベッドで毛布に包まりながら受信する。ボクが隠れる必要はないんだけど、なんだか無性に毛布をかぶりたい気分なのだ。


無言のクエスターに我慢出来なくなったのか、ギンが口を開いた。


「クエスター、こんな時間に呼び出しておいて、ダンマリはないだろう。俺になんの用なんだ?」


固い表情のクエスターが答えを返す。


「……ギン、実は君に重要な話があるんだ。」


「重要な話……軍事機密か?……まさか、姫の身に危機が迫っているとか!」


「い、いや!軍事機密ではないし、ローゼ様の身に危機が迫っている訳でもない。……そ、その……個人的な相談事なのだ……」


「なんだ、ビックリさせるな。相談というのは"また叔母上が縁談を持ってきた"とかじゃないだろうな? 女にはモテるんだから、サッサと恋人か婚約者でも作ったらいいんだ。そうすれば、叔母上殿も安心するだろう。」


「……実はそうしようと思っている。」


!!……クエスターはギンに……頑張って!ボクが応援してるよ!


「ほう。相手は誰なんだ? やっぱりアシェスか?」


「ち、違う!アシェスは家族同然の親友で、とても大切な存在ではあるが、そういう気持ちはない。」


「じゃあどこぞの貴族のご令嬢か? 社交界に出たがらないクエスターが、どこでそんな令嬢と知り合ったのかはわからんが……」


ギンってひょっとして……ニブいのかな? 剣を極めたボクの騎士、"剣聖"クエスターも初めての恋には戸惑い気味だけど……


「……貴族や名士の娘ではない。」


「あのなあ、俺を相手にクイズを出してる暇があるんなら、その女に電話するなり手紙を書くなりした方がいい!クエスターがその気になったら口説けない女なぞいない、勝ったも同然だろう!」


部屋を出ようとしたギンの肩をクエスターが掴んで引き留める。


「わ、私がその気になったら口説けない女性はいない。……本当にか?」


「そこの姿見を覗き込んでみろ!金髪碧眼の男前、おまけに背丈も身分も金もある!女には優しく、男からは信頼される、好感度モンスターの姿が映るはずだ!」


ギンはイラついた口調で返答しながら、壁に掛けられた大鏡を指差した。


「………」


「わかったなら俺はもう行くぞ。なんだって何もない俺が、全部持ってる奴の相談相手をやらなきゃならないんだ。アホくさいったらないね。じゃあな、お幸せに!」


肩に置かれた手を払ったギンは踵を返そうとしたけど、クエスターは細い腰に手を回して振り向かせる。


「な、なんだよ、まだ用が…」


「私が口説きたいのはくろがねギン、君なんだ!」


きゃ~~~!!言った!言っちゃったよ!


「なにぃ!? 冗談も…」


「冗談ではない!……ギン、私の恋人になってくれないか?」


「バカな事を言うな。俺は貧民街の孤児、その上、元ヤクザだ。……名門貴族の御曹司との男女交際なんて、周囲が許すはずもない……」


「周囲の事など聞いていない。君の気持ちが聞きたいのだ。」


「………気持ちだけ、受け取っておくよ。ありがとう、こんな俺を好きになってくれて。俺が貴族の娘だったら、喜んでクエスターの恋人になっていただろう。貴族とまでは言わなくても、せめて元ヤクザじゃなければな……」


「何が問題なのだ? 周囲が許さないのなら、私が家を捨てればいいだけだろう。」


「そんな事をさせられないから、諦めようとしているんだ!おまえに会いさえしなければ、孤児に生まれた事も、ヤクザをやってた事も後悔せずに済んだんだぞ!それでも……ただ一緒にいられるだけで……俺は満足していたんだ。……なのに……」


……そっか。ギンはニブかったんじゃなくて、"許されない事だ"と思って、心に蓋をしていたんだ。


「家を捨てるなんて何でもない事だ。私は君の為なら……全てを捨てられる!」


うん。クエスターはそういう人だもんね。見栄えがする好男子だけど、何よりその中身が、心が素晴らしいの。


「……いいのか、俺なんかで……」


ギンの瞳に浮かぶ涙。"殺し屋に涙はいらない"って言ってたけど、ギンはもう殺し屋じゃないんだから、泣いていいんだよ?


「君でなければ駄目なのだ。私は鉄ギンを愛している。」


「俺……私が誰かを愛する事を許されるのなら、クエスター・ナイトレイドを選びたい。渡世の義理だと女を捨てて、殺し屋として生きてきた。捨てた女を……拾っていいのか?」


「君は女を捨ててなどいないよ。女である事を忘れようとしていただけだ。」


「……そうみたいだ。私はやっぱり女なのだろう。だって貴方が愛おしくてたまらない!」


抱きしめ合う金髪の美男と男装の麗人。二つの唇がゆっくりと近付いてゆく……


(タッシェ、ストップ!すぐ戻って。)


いくら家族でも、これ以上はダメだよね。ホントはもうちょっとだけ見ていたいけど……


「……さっき私の為なら全てを捨てられると言ったけど、姫はどうなのだ?」


野生の知覚力を持つタッシェの耳は、窓の傍から離れても中の会話を拾ってきた。ギン、そんな意地悪な質問をしちゃダメだよ?


「そ、それは……」


「フフッ、わかっている。姫の理想は私の夢だ。そしてそれは、貴方の夢でもある。そうだろう?」


「ああ。ローゼ様の想いを実現させる為に、共に戦おう。」


ありがとう、クエスター、ギン。二人の未来の為に、ボクも全力を尽くすからね!


───────────────────


翌朝の執務室、ギンはいつものように、壁に背を預けてボクの仕事を見守っている。隠し切れない微笑みの理由を、ボクが知っているとわかったら怒るだろうなぁ。先に謝っておこっと。


「……ゴメンね、ギン。」


「?……何がです?」


ストロークの長い足音が近付いてくる。蝙蝠よりも耳のいいキカちゃんだったら、高鳴るギンの鼓動を聞けていただろう。


「ローゼ様、お呼びですか?」


入室してきたクエスターは、ギンに少し視線を向けてから執務机の前に立った。


「ええ、お呼びですとも。クエスター、ギン、ボクに何か言う事はない?」


ボクはチラリと背後の窓から外を見てみた。窓の外では大木の枝の上に座ったタッシェが、指でハートマークを作っている。


「姫!いくら主君とはいえ、覗き見はよくありません!」 「………」


頬をほんのり赤くしながら怒るギンと、真っ赤な顔で沈黙したクエスター。笑っちゃいけないんだけど、やっぱり笑顔になっちゃうよね。


「ごめんごめん。ボクは二人を応援するけど、周りはそうもいかないでしょ。特にアシュレイは、絶対認めないと思うよ?」


「……どこまで聞いてらしたんですか?」


ギン、機嫌を直してよ。恥ずかしいのはよくわかるし、覗いたボクが悪いんだけどさ。


「え~と、貴方が愛おしくて…」


「台詞を聞いたまま、言わずともいいです!クエスター、黙ってないで、文句の一つも言ってくれ!」


「それは後にしよう。ローゼ様、実際、私達はどう振る舞うべきでしょうか?」


後からお説教されちゃうみたいだ。クエスターからお説教されるのなんて久しぶりだね。


「クエスター、ギン、二人は"すぐにでも結婚したい"とかじゃないんだよね?」


「ええ。私達は昨夜、恋人になったばかりですから。いずれ結婚するのは間違いありませんが、今は恋愛を楽しみたいと思っています。」


そんな歯の浮くような台詞を大真面目に言えちゃうあたりが、クエスターのクエスターたる由縁だ。聞いてるボクの顔が赤くなってきたよ。


「こ、恋人とか言わないでくれ。……恥ずかしいだろ。」


男装姿でテレるギン。真面目で誠実なクエスターは真顔で問い返す。


「恋人は恋人、他に言い様がないでしょう。」


「そ、それはそうかもしれないが……」


仲いいな~。羨ましいよ。ボクもカナタとこんな風に……おっと!今はクエスターとギンの事を考えないと。


「銀ザメ親分と相談してからの話ですが、ギンにどこかの貴族の養子になってもらうという手があります。その場合、鉄ギン准尉は失踪という扱いになりますね。」


別人になって貴族の養子になれば、家柄問題はクリア出来る。ギンの女性としての顔はごく一部の人間しか知らない。だったらやれない話じゃないはずだ。


「俺には姫を守る任務があります。養子先で花嫁修業などしている暇はありません。」


「ローゼ様、私はナイトレイド家の家督に興味はありません。従兄弟の誰かが継げばよいだけです。家より愛を選ぶ事を、亡き父母もきっと許してくれるでしょう。」


「アシュレイはナイトレイド家の領地を立派に治めています。ですが、従兄弟の誰が跡を継いだとしても、アシュレイのような公平さはありません。クエスター、領民の事はどうでもよいのですか?」


「そ、それは……」


「ですがギンを貴族の養子に入れるというのは、姑息な手でした。そんな手段を用いたのなら、ギンは実父以上の絆で結ばれた銀ザメ親分に隠れて会いに行かねばならなくなります。銀ザメ親分とギンの親子関係を壊さずに、クエスターがナイトレイド伯爵家の当主に就く、その方法を考えなければ……」


要するに、現当主のアシュレイだけを説得出来ればいいのだ。従兄弟達はギンとの交際を理由に、"クエスターには家督を継承する資格がない"と言い立てるだろうけど、有象無象の言う事など無視して構わない。領民は人望のあるクエスターを支持するに決まっているのだから。でも今は、アシュレイを説得する材料がない。


……独身のまま家督を継いで、クエスターが伯爵家を掌握してからギンを妻に迎えるというのはどうだろう? 騙し討ちのような手ではあるけれど、それなら……いや、それよりも先に考えるべき事がある。一番のネック、それは兄のアデルだ。兄上はクエスターの当主就任に反対するに違いない。アシュレイは立派に成長し、両軍に勇名を馳せる騎士となったクエスターに家督を譲りたがっているのに、ボクに勢力を拡大させないが為に阻止しようとする。ギンとの交際を公にする事は、兄上に口実を与えるだけだ。


「二人の交際は、しばらく隠しておきましょう。でも大丈夫。私が必ずなんとかします。」


アシュレイが兄上の側近なのが、そもそも問題なのだ。お目付役がいなければどんな暴走を始めるかわからない問題皇子とはいえ、父上も余計な事をしてくれた。私と兄の対立を煽るぐらいだ、叔母と甥の対立など、なんとも思っていないのだろう。


「私モードに入った姫は本当に頼もしい。クエスターもそう思うだろう?」


「ああ。この凛々しいお姿を、皇妃様にもお見せしたいよ。」


私も、夢に向かって羽ばたこうとする姿を母様に見て欲しい。いえ、母様はいつでも私を見守ってくれている。私に翼があるとすれば、それは天国にいる母からの贈り物なのだから。


「もう!おだてても何も出ませんからね。」


椅子から立ち上がって窓を開け、小さな友達を招き入れる。伸ばした腕を伝って肩まで上ってきたタッシェに頬を寄せると、いつものように頬ずりしてくれた。タッシェの温もりを感じながらそっと目を閉じ、揺れない意志を再確認する。



兄上との権力争いには必ず勝つ。"剣神"アシュレイは最後まで兄上の味方であり続けるに違いないけれど、身の立つように処遇しなければならない。早世した伯爵夫妻に代わって、クエスターを育ててくれた人なのだから。


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