暗躍編10話 医療忍者、蛭神真蛭



新しい仲間はすぐに薔薇十字に馴染んだ。まひるちゃんは人懐っこくて可愛いし、鬼女郎さんは礼儀正しく包容力のある女性だったからだ。お母さん力の高い鬼女郎さんはとても綺麗な人だけど、怖さもある。ちびっ子忍者のお転婆が過ぎた時には、"まひる様……"と低~い声で呟きながら、指先に仕込んである単分子モノフィラメントウィップを蜘蛛の糸みたいに伸ばすのだ。


「きじょろー、まひるは反省ちまちた!反省ちたのでつー!」


午前中に行う予定だった礼儀作法の授業をサボったまひるちゃんは、罰として中庭の木に蓑虫みたいに吊されている。


「鬼女郎さん、まひるちゃんが可哀想だよ。もう降ろしてあげたら?」


建物の影からまひるちゃんの様子を窺っている鬼女郎さんにボクはそう言ってみたけど、厳しい乳母役は首を振った。物腰は柔らかいんだけど、厳しさもある鬼女郎さんを薔薇十字の兵士達は"鬼子おにこさん"と呼んでいるらしい。


「いえ、まだです。今日は単分子鞭の本数を減らしてありますから、地走秘伝の剛力術を使えば、引きちぎれるかもしれません。さあ、気付くのです……幼き身であろうとも、まひる様には先代様と同じ力があるのですよ……」


罰ではあるけど、訓練でもあるのか。忍者の世界って厳しいんだなぁ……


「ふんぬー!ごーりきのー……じゅつぅぅぅー!」


わっ!ホントに単分子鞭を引きちぎっちゃったよ!拘束する糸を引きちぎり、庭に降りたまひるちゃんは、片膝をついて荒い息を吐いている。不慣れなのもあるのだろうけど、かなり負担の大きい術みたいだ。物陰から飛び出て主に駆け寄った鬼女郎さんは小さな体を抱き上げ、愛おしそうに頭を撫でる。


「お見事ですわ、まひる様!見事に剛力の術を修得なさいましたわね。」


「うん!おにくをいっぱい食べてるまひるは、力持ちなのでつ!」


見かけによらず、まひるちゃんはパワーファイターだったみたいだ……


そういえばファイトスタイルも、巨大硬質化した太郎ちゃんと花子ちゃんを両拳にくっ付けて、"殴り倒す"だったもんねえ。


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その日の午後、六歳児に戦闘能力で負けているボクとレーネは、アシェスを相手に剣術の訓練を行う。訓練剣を構えて二人がかりで打ちかかってみるけど、涼しい顔でいなされる。訓練を始めて30分、汗びっしょりのボクとレーネに対して、アシェスは汗をかくどころか、息の一つも切らしていない。少し離れたところでは、ヘルゲンが愛妻レナとザップ大尉を相手取っている。こちらも熟練兵のヘルゲン相手に全く歯が立たないようだ。


「レナ、ザップ大尉、もうお終いか?」


「まだです、まだ!」 「……私は長らく、いや、一度も前線勤務はないのです。……もうダメだ。」


レナはフラつく足でまだ戦おうとしているけど、ザップ大尉はバタンキューだ。


「ザップ大尉、頑張って!軍人でしょ!」 


人の事をどうこう言える状態じゃないんだけど、総帥としてハッパをかけておかないとね!


「姫姉様の言うとおりです!民間人のレナさんがまだ戦おうとしているのに!」


レーネにまで叱咤されたザップ大尉は、剣を杖にヨロヨロと立ち上がる。


「……仰る通りですな。これでも軍人、男の端くれ。女性より先にオネンネでは、沽券に関わる!」


そうそう、その意気だよ。前線にいなくとも、危険は常にある。自分の身を自分で守れるだけの備えはしておかないといけないんだ。……帝国の双璧と謳われるアシェスやクエスターと比較しちゃってたから頼りなげに見えていたクリフォードだけど、今思えば文武両道の立派な騎士様なんだよねえ。剣術を嗜み始めてみて、つくづくそう思えるよ。


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稽古でクタクタになったボクとレーネは、私室に戻って休む事にした。本当だったらとうに夕食の時間なんだけど、胃液を吐きそうになるまで鍛錬したせいで、食欲がまるで湧かないのだ。胃液を吐きそう、なんてのがまだまだ甘ちゃんなんだけどね。アスラ部隊に入隊した頃のカナタは毎日毎日、胃液すら吐けなくなるまで訓練していたそうだから。


お水を飲んでベッドに横たわり、擦り切れ、豆だらけになった手を宙にかざす。アシェスは面と向かって口にはしないけど、どうやらボクは"筋が悪い"みたいだ。まあボクも、自分がアシェスのようになれるとは思ってない。でも超一流になるのは無理でも、鍛錬次第で一流にはなれるかもしれないから、諦めないぞ!未熟さや非力さを味わうのにはもう慣れてる。凡庸さを嘆いたって才能は生えてこない、だから今ある自分で勝負するしかない。


「ローゼさま、お疲れでつか?」


ドアをノックしてるのはまひるちゃんみたいだ。


「ちょっとね。今から手当てをしようかと思ってるの。どうぞ入って。」


応急手当ファーストエイドも訓練の一環だ。何事も自分でやるし出来る。それが一流兵士の条件なのだから。


「あい!失礼するのでつ!」


元気よく入ってきたまひるちゃんを軽くハグしてから、戸棚の薬箱を取り出した。


「ローゼさまのおてての皮が擦りむけてるのでつ!ちょっとおててを拝借でつ。」


まひるちゃんはちっちゃな手でボクの手を取り、手のひらを合わせた。


「……あ、あれ!擦り傷が……治ってる!」


ボクに超再生の希少能力なんてないのに……


「新しい皮をはりまちた。だいたいひ……って言うんでちたっけ……とにかくローゼさまのひふが回復するまでのあいだ、だいこーするだけなのでつ!」


回復するまで代行……代替皮か……まひるちゃんがこんな能力まで持っていただなんて。


「スゴい能力だよ、まひるちゃん!」


「えへへ♪ まひるは"いりょーにんじゃ"でつから、きずをふさいだり、わるい血を吸ったりできるのでつ!ヒルの化身は伊達ではないのでつ!」


……医療忍者。"エイジア圏では、特定種のヒルを医療に使っている地域があるのですよ"と、家庭教師だったサビーナから教わった事がある。いくら特異な希少能力とはいっても、どんな傷でも治せる訳じゃないはずだ。でも、物凄く有用性の高い能力である事は間違いない。


「まひるちゃん、ありがとう。」


可愛い治療役の頭を撫でてあげると、ギュッとしたくなるような笑顔を見せてくれた。


「てへっ♪ ではまひるはレーネさまのちりょーにむかうのでつ!」


元気よく敬礼したまひるちゃんは、着物の袖をなびかせながら退出していった。


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少し遅めの夕食を終えたボクは、まひるちゃんをお風呂に入れてあげてから私室に戻った。


ヒルの化身を自負するだけあって、まひるちゃんは血の滴るようなレアステーキが大好きなんだね、覚えておこうっと。あ~んしているまひるちゃんに、キカちゃんがご飯を食べさせてあげてる光景は、写真に撮っておきたいぐらい可愛かったなぁ。


訓練で疲れてるし、今日はもう休もうかな。でも夜のお散歩に出掛けたタッシェがまだ戻ってこない。テレパス通信が届く範囲にいるはずだよね。呼んでみよう。


(タッシェ、どこにいるの?)


タッシェは返事の代わりに、視覚情報を送ってきた。バイオメタルアニマルとの感覚共有を可能にする戦術アプリ、"アニマルリンケージシステム"は誰にでも搭載可能な代物ではないのだけど、幸いな事にボクには適性があった。ALSを使えば、魔女が使い魔を使役するように、ボクとタッシェは視覚や聴覚を共有出来るのだ。タッシェは使い魔じゃなくて、家族なんだけどね。


タッシェは樹上から明かりの灯った部屋を見ているみたいだ。あっ、室内にいるのはクエスターとギン! 二人の雰囲気がちょっと変だよ。なんだか微妙な空気を感じるような……


むむ……クエスターは兄も同然、ギンも大切な仲間、つまりは家族のようなもの。覗き見はよくないってわかってるけど、ちょっと様子を見るだけならいいよね? だって家族なんだから。


(タッシェ、ボクがストップをかけるまで様子を窺って。)


(あいなの!)


真剣な顔のクエスターに、怪訝そうな顔のギン。どんな敵を前にしても怯んだ事がないクエスターが、こんなに緊張した面持ちを見せるのは始めてだ。一体なにが始まるんだろう?



う~、なんだかドキドキしてきたよ。ま、まさか喧嘩してる訳じゃないよね?


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