復讐編3話 鎮魂歌は鳴り響く



息子の葬儀を済ませて数週間、巨大な邸宅に閉じ籠もったドンは、仕事に忙殺されていた。サンティーニだけならどうにでもなったが、ドンが恐れていた事態が起こったのである。アンチェロッティファミリーと首都の利権を二分する、グラゾフスキーファミリーまで抗争に乗り出してきたのだ。


仲立ちを期待したリグリット市長、エスパダス氏からは、"市街地での抗争は厳禁。一般人を巻き込んだ場合は内乱罪を適用し、軍を介入させる"という通告があっただけ。要は"マフィア同士は勝手に殺し合え"という最後通牒だ。"マフィアの抗争に市民が巻き込まれるなんて珍しくもない、綺麗事を抜かすな"と怒鳴りたかったが、グラゾフスキーファミリーは通牒を守っている。アンチェロッティファミリーが通牒を無視すれば、市長は軍を介入させるだろう。そうなればアンチェロッティファミリーの終焉は近い。


「ボス、市長の意向だかなんだか知りませんが、殺れるとこから殺っちまいましょう。戦争は殺ったもん勝ちです!」


血の気の多い幹部カポの進言にドンは首を振った。軍隊の戦争なら殺ったもの勝ちで通るかもしれないが、マフィアの戦争はそうはいかない。意味もなく戦線を拡大すれば、自滅するだけだ。エスパダス市長は他の都市からも応援の駐屯軍を呼び寄せている。コネのある軍幹部にも"市長は本気だ。私にはどうする事も出来ない"と言われた。この状況で市民の犠牲が出るような攻撃をかければ、軍まで敵に回す。


兵隊の強さだけで言えば、アンチェロッティファミリーはグラゾフスキーファミリーより上だった。ロッシは失ったが、彼の教練した兵隊は健在だからだ。銃の撃ち方の基本さえしらないグラゾフスキーファミリーのチンピラどもよりはるかに強い。だが情報戦ではグラゾフスキーファミリーの方が上だった。こちらの隠れ家や、武器の集積所を的確に襲い、戦力を削いでくる。


諜報力は相手が上、戦闘力がこちらが上、おのずと抗争は拮抗し、打開策は見当たらない。その諜報力はグラゾフスキーのものではない。この抗争を仕組んだ敵対者、のリークなのだろうが、その影すら踏めない。長年の宿敵で犬猿の仲のグラゾフスキーとは、直接会談も出来ない。八方ふさがりの窮地を脱する手を見出せないまま、時は過ぎてゆき、抗争は激化してゆく。見えない敵の思惑通りの状況に、ドンは歯軋りを繰り返した。


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ドン・アンチェロッティは抗争を続けながら軍、政治家、財界人、同業のマフィアにまで仲介の労を取ってくれる人間はいないかと探し回ったが、火中の栗を拾おうという物好きはいなかった。そして軍とマフィアの戦争の違いが浮き彫りになってくる。軍は兵隊さえいれば、戦い続ける事が出来る。彼らの兵站を支えるのは"税金"だからだ。だがマフィアは自給自足、そして抗争が続く間はビジネスにならない。いつマシンガンの弾が飛んでくるかわからない賭場や娼館に足を運ぶバカはいない。市長からの通牒は公にされている訳ではなく、仮に公にされていたとしても、市民は抗争中のマフィアとの関わり合いを避けるだろう。麻薬密売だけはそれなりの売り上げを上げているが、ジャンキーからの上がりだけでは屋台骨は細る一方だ。


そして、破局の時が訪れた。抗争には常勝、手早く手際よく相手を制圧してきたドンのファミリーは長丁場に慣れていなかった。そして、アンチェロッティファミリーの下部組織にはサンティーニファミリーのように、かつての敵が多く混じっていた。"抗争の強さ"が失われたファミリーを見限って、裏切る者が出たのだ。


数人の幹部が示し合わせてファミリーに造反すると、後は雪だるま式だった。リグリットだけではなく、各自由都市に根付いた組織でも同じ事が起こり、アンチェロッティファミリーは見る見る弱体化した。造反者はねじ伏せてきた組織だけではなく、譜代の組織にまで広がったからだ。長引く消耗戦でグラゾフスキーファミリーも弱体化したが、アンチェロッティファミリーの弱体化はそれ以上だった。自前の武力に自信があるファミリーがこぞって反旗を翻し、ドンはかつての部下にまで狙われる身になった。


……もう、首都にいるのは危険だ。ドンは一時、身を隠す決断をせざるを得なかった。


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一代で巨大犯罪組織を作り上げた男、アドリアーノ・アンチェロッティ。彼は計算高く、用心深い男だった。成功の絶頂期にあっても、万一の備えは怠らなかった。


ドンは絶対に信用出来る側近数名を連れ、秘密裏に用意していた絶海の孤島に潜んだ。何重にも保険を掛けた連絡方法で組織に命令を下し、状況の推移を見守る。最悪の場合、この隠れ家に移しておいた財産だけで、出直しをしなければならないかもしれない。小さな衛星都市なら丸ごと買えるだけの金は、いつの時代にも価値の変動が少ない金の延べ棒として蓄えてある。


「ドン、幹部のアルレッキーノが殺されたようです。報復にグラゾフスキーファミリーの幹部、メジコフを殺りました。」


「……アルまで死んだか。グラゾフスキーファミリーの資金源は割れたか?」


「やはり巽が支援しているようです。」


「巽征士郎も火遊びにうつつを抜かしていると、足元を救われかねんというのにな。」


「それから神難のヤクザボス、堂間氏から"仲介の労を取ってもいい"、と連絡がありましたが……」


「見返りに何を要求してきたんだ?」


「自由都市プラナブリーと、その周辺都市の利権の全て、です。」


シガーカッターで葉巻を切りながら、ドンは鼻を鳴らした。


「ふん!田舎ヤクザが吹っかけてきおる。ワシも安く見られたものだな。」


「断りますか?」


「いや、"是非ともお願いする"と答えておけ。神難にしか勢力を持たないヤクザの仲介など、グラゾフスキーも笑い飛ばすかもしれんが、探り針にはなる。面子を潰されたと堂間が怒れば、もうけものだしな。」


ジジッと音を立て、壁の監視モニターの映像がダウンする。白黒の砂粒が流れるモニター群は、ドンの背筋を凍りつかせた。


「ドン、私が様子を見てきます!」


ボディーガードは銃を抜き、ドンは暖炉の上に置いてあった拳銃を手に取った。


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階下で口ずさまれるレクイエム、ドンはボディーガードが戻って来ない事を悟った。屋敷の屋根裏には脱出用の小型ヘリが格納されている。ドンは居間を飛び出て屋根裏への階段を駆け上がろうとしたが、足が止まった。階段の上から、自分を見下ろす男がいたからだ。


久しぶりに持った銃を男に向かって乱射したが、念真障壁で弾かれる。欠伸をしながら男は、ドンを嘲弄する。


「今、何かしたのかね? 荒事はロッシに任せきりだったとはいえ、もう少し鍛錬はしておかないといけない。38口径では虫も殺せんよ。金細工を施し、宝石を散りばめようが、弾丸の威力は上がらんからな。芸術品としては価値が高い銃なのだろうが、殺傷力は子供だましだ。」


不遜で不敵な面構えに高い知性を感じさせる目。間違いない、この男が影で糸を引いていた"敵対者"なのだ。


「貴様は何者だ?」


「アンタの敵さ。何千と子分を抱えていた割りに、この隠れ家にいたのはたったの4人。せっかくこんな孤島にまでやってきたのに、歯応えがないにも程がある。」


男の目が銀光を帯び、ドンは耐え難い頭痛に襲われる。転がるように逃げ出しながら、ドンは考えた。これが噂に聞く邪眼能力か!……あの顔、思い出したぞ!睨んだだけで人を殺せる軍人、「剣狼」が黒幕だったのだ!だがどうして、どうして同盟軍の軍人がワシを狙うのだ!軍に敵対するような真似はせず、高官達に賄賂も渡していたワシをなぜ殺そうとする!いや、同盟軍がワシを狙う理由など今はどうでもいい!とにかく、とにかくこの場を逃れなくては!


階下から聞こえたレクイエムは、剣狼の声ではなかった。階下にも別の敵がいる、屋根裏からは脱出出来ない。2階の居間から中庭に飛び降り、クルーザーが隠してある洞窟までたどり着くのだ!そうすれば脱出…


居間に飛び込みドアに鍵を掛け、唯一の脱出路であるバルコニーに目をやったドンは、驚愕し目を見開いた。バルコニーと居間を隔てるカーテン、そこには背の高い男の影が映っている。絶望が心というハンカチに黒インクをぶちまけたように広がってゆく……


「うおおおぉぉぉ!!」


手にした銃を影に向かって乱射してみたが、無駄である事はわかっていた。それでも、それ以外に出来る事がドンにはなかったのだ。


弾を撃ち尽くし、カシンカシンと鳴る銃を投げ捨てた瞬間、蹴り破られたドアごと、ドンは吹っ飛ばされた。厚い樫の木のドアの下敷きになったドンの前に、ガラスの割れた掃き出し戸を開けた長身の男が歩み寄ってくる。


「13年ぶりですね、アドリアーノ・アンチェロッティ。バーナード神父を覚えていますか?」


「バーナード神父!? あ、あの時教会にいた人間は、神父もろとも皆殺しにしたはずだ!」


「ええ。ですから貴方を殺す為に地獄からまかり越しました。」


「その顔……神父が育てていた孤児の生き残りか!死んではいなかったんだな!」


「リコにも言いましたが、"死体の確認はしっかりしましょう"ね? 腕を破砕されて、腹にも弾丸を喰らってるからって、死ぬとは限らないんですよ。」


額に突き付けられた銃口。ドンは身をよじって銃口から逃れようとしたが、復讐者の相棒に、背中に乗った分厚いドアを踏まれて身動き出来ない。


「待てっ!!取引しよう!この屋敷の地下には大量の金の延べ棒がある!小さな街なら丸ごと買えるだけの金だ。私を殺したら金は手に入らないぞ。」


「取引ですか。ではクイズを出しましょう。正解したら……」


「見逃してくれるのだな!さあ言え!どんなクイズだ!」


「では、"貴方の犯した間違い"とは何ですか?」


ドンは懸命に考えた。このクイズには自分の命が懸かっているのだ。


「……地上げに応じなかった教会を襲い、神父と子供達を殺めた事だ!それについては本当に悪かったと思っている!せ、正解だろう?……正解だと言ってくれえ!」


「……ブッブー!残念でしたね。♪♪♪~」


鎮魂歌を口ずさみながら、親指で撃鉄を起こす復讐者に、アドリアーノ・アンチェロッティは心底恐怖する。息子を奪われても、組織が壊滅寸前にまで追い込まれても、彼は真の痛みと恐怖を知らなかった。彼にとって本当に大切なものとは、自分自身しかなかったから。……そして今、真の恐怖は目の前にある。


「何が正解だったんだ!正解を教えてくれ!!」


虚構を剥がれ、哀願する男に、復讐者は冷たく言い放った。




「正解は……"生まれてきた事"ですよ。棄教した私が言う台詞ではありませんが……アーメン。」


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