第62話 地獄に堕とせ

 部屋の中に、チャイムの音が鳴り響いた。


「誰だ、こんな時間に」

 男は不機嫌そうに呟くと、居留守を決め込むことにした。愉しみの時間を誰かに邪魔させてやるつもりはなかった。

 床の上には雑誌が高く積み上げられ、その横に小さなケージが置かれている。

 ケージの中には黒い塊があった。

 まるで闇を猫の形に切り取ったかのような「それ」は、微動だにせず静かに伏せていた。


「おい」

 男はケージを強めに叩き、口元に薄ら笑いを浮かべる。

「次は何がいい?」

 しかし、黒い塊は男の方を見ようともせず、じっとしているばかりだ。

「つまんねぇな」

 男が舌打ちをした時、再びチャイムが鳴った。

 ほとんど物が無いその部屋に、チャイムの音は不気味なほど大きく響いた。


「あ?」

 男は苛立ったように扉を睨み付け、ドアスコープから外を伺った。しかし、そこに人影はない。

「誰もいねぇじゃねぇか」

 男は眉間にしわを寄せ、台所の引き出しから道具箱を取り出し、ケージの前まで運んできた。その中には金属製の刃物が入っており、蛍光灯に反射してギラギラと光っていた。

 彼はその中身をひとつひとつちらつかせ、恍惚とした表情を浮かべる。


「よぉ。お前はこのなかでどれが好みだ? ハサミか? カッターか? ペンチやニッパーもそそるよな。ナイフとかライターもあるぜ」

 それでもゲージの中の黒い塊は何の反応もない。

「お前も黙ってばかりいないで命乞いくらいしてみせろよ。まあ、いつまで黙ってられるか試すのも面白そうだな」

 男は箱をがちゃがちゃといわせ、道具をあさり始めた。


 その時、またチャイムの音が響いた。

「……ったくどこの馬鹿だよ」

 男は立ち上がると、静かに扉の前に立った。やはりドアスコープからは何も見えない。


 彼は取っ手をつかむと、勢いよく扉を開いた。

 やはり人影はない。

 舌打ちをして扉を閉めようとしたその時、足元から鳴き声がした。


「ニャア」

「ん?」


 視線を向けると、そこには一匹の猫が座っていた。

 どこにでもよくいるような縞模様だった。

 男は急に上機嫌になり、口元に笑みを浮かべた。

「なんだこいつ。まあ、どうでもいいか。お前も一緒に遊んでやるよ」


 男が手を伸ばそうとすると、猫は驚いたように少しだけ避けた。

 首輪はついていないが、野良猫にしては体格がよく、人間に対する警戒心も薄いように見えた。


「ほーら、恐くない、恐くない。こっち来い」

 男が近寄ると、猫はまた小走りで少し距離を置いたが、遠くまで逃げる様子はなかった。


「腹が減ってるのか? 何か喰わせてやろうか?」

 男は猫を追いかける。

 階段下まで追いかけ、あと少しで手が触れそうになったその時。

 闇の中に鋭い号令が聞こえた。


 ――地獄に堕とせ。


 男の耳には、確かにそう聞こえた。

 次の瞬間、彼の視界は襲い掛かる猫たちで埋めつくされた。

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