第18話 猫の目線、人間の目線
高架下に差し掛かると、視界が暗闇に沈んだ。
すぐに目が慣れて、最初に見えたのは前を歩くハチのしっぽだ。
彼は今日もご機嫌らしく、リズミカルにしっぽを揺らしている。
はるか頭上の方で、警報機がけたたましく鳴っている。
ほどなくして高架下は電車の轟音に満ちた。コジロウは思わず足を止めたが、どうやらハチは平気らしくどんどん先へ行く。
電車が通り過ぎ、警報機も鳴りやむと、辺りは嘘のように静まり返った。
「ほらほら、行くでやんすよ」
ハチに声をかけられ、コジロウは小走りでハチに追いついた。
高架下を抜けると、今度は光に包まれた。
何度か目を瞬かせると、しだいに風景がはっきりとしてくる。
遠くの方までブロック塀が続いている町並みは、コジロウがいた町とどこか似ていた。つい昨日の朝まで自分はあの町にいたはずなのだ。
そう思うと、もしかしたら帰って来たのではないかと錯覚してしまう。
コジロウはハチに遅れないよう気を付けながら辺りを見回した。
植木鉢に咲く真っ赤なベゴニアや、電柱の根元で鈍く光るペットボトル、放置されて錆びた三輪車などは、ここで人間が暮らしているのだということを雄弁に物語っている。
ハチは手頃な郵便受けに飛び乗り、それからブロック塀の上に飛び移った。そしてそのまま塀の上を歩いて行く。コジロウもすぐに後を追った。
ブロック塀は家ごとに幅や高さや材質が少しずつ異なっていて、歩きやすい場所もそうでない場所もある。その中からハチは歩く場所を何らかの基準で選んでいるらしかった。
この辺りは通行人も多く、中にはこちらに気付くなり「あ、猫だ」などと声を発する者もいた。
コジロウは首をすくめ、目を合わせないようにそそくさと通り過ぎた。
すべての人間が優しいわけではないことくらい、コジロウだって知っている。
「あの、ハチさん……もう少し高いところを歩きませんか?」
コジロウはそう言ってみた。
人間の目線よりも高い場所を歩けば、気付かれる確率は格段に減るし、そうでなくても手が届きにくくなる。
ふいに触られたり、ひげやしっぽを引っ張られたり、何の前触れもなく叩かれたりという心配もなくなる。
それなりに考えての進言だったが、ハチはにやりと笑った。
「ふうん? どうしてでやんす?」
「人間の目線の高さは彼らの住む範囲なんです。つまり僕らはその範囲を避けた方が安全に暮らせると思うんです」
「範囲ねえ……」
ハチは面白そうに呟いた。
彼の様子を見て、コジロウはようやく気付いた。
彼は、わざと人間の目線と同じ高さになる塀を選んで歩いているのだ。
コジロウは立ち止まり、そこから見える風景をしみじみと見渡した。
「そうか……。これは、人間が見ているのと同じ景色なんですね」
「そういうこと♪」
ハチは塀の上で機嫌良さそうにひげを揺らした。
「でもどうしてこんなことを?」
「お前さんは人間の棲む家に帰りたいんだから、人間の目に留まりそうな場所にいたり、人間の行きそうな場所にいる方が、家族と再会できる可能性が高いと思うでやんすよ」
「なるほど」
コジロウがすっかり感心すると、ハチは口の端をにっと上げた。
「なあんてね」
「はあ」
結局のところ彼の真意はわからないままだったが、ハチがまた歩き出したので、コジロウもまた後に続いて歩き出した。
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