第42話 花園愛子

 一度作ったカクテルは止められないし止まらない。夢中になって作っていたら、空の瓶がカウンターを埋め尽くしていた。

「ふふふふ……」

 変な笑いが込み上げてくる。カクテル作りがこんなに楽しいものだとは思わなかった。小学生が初めてカブト虫を見つけた気分だ。

「何の笑いだ」

 足音すらなくフロアに入ってきたルイは、疲れきった顔をしている。スーツケースを横に置き、リボンを解くとストレートの髪がふわりと広がる。

「へい、お客さん! ご注文は?」

「大将、得意なものを」

「あいよ!」

 炭酸水とコーヒー・リキュールをそれぞれ適量を氷の入ったタンブラーに注ぎ、撹拌する。混ぜるときは氷を持ち上げ、溶けないように。

 ついでに野菜のたっぷり入ったスープと軽く焦がしたフランスパンも添えた。

「なぜこれを?」

「そりゃあ初めてルイに振る舞うんだし? 一番想い出深いものにしようと思って。カルーア・ソーダは何度もユーリさんに習ったんだ。混ぜ方一つにしても難しいな」

「しっかりと混ざっているし、悪くない」

「店に出せる?」

「まあ、これなら」

 とりあえず一つ合格点はもらえた。嬉しい。

 ルイは何度か俺とカクテルを見比べ、もう一口飲んだ。

「お前が望んでいるのなら、エレティックにいてほしい。そう言おうとしたんだ」

「ん? この前の話?」

「そうだ。誤解を生んだな」

「いやいや、聞いてなかった俺が悪かったんだし。ご飯も食べてよ」

 ルイはご飯の食べ方もきれいだ。スープを飲んでも音は絶対に立たないし、肉を焼くときの手つきもきれい。そういえば、最近ふたりで焼き肉を食べていないな。今度誘ってみよう。

「明日、客人がうちの店に来る。カクテルを振る舞ってみるか?」

「え? ルイの知り合い?」

「間接的に私が知っていて、今日会っていた。私よりも志樹に会いたいそうだ」

「誰だろう?」

「聞きたいことがあるなら、明日がチャンスだ」

 それっきり、ルイは誰が来るのか口を割らなかった。二杯目はどくだみ茶を出すと、そこでようやく野菜スープも美味しかったと噛みしめるように漏らした。

 翌日の夕方、店を開けるために外に出ると、女性が階段上から覗いていた。

 一段飛ばしで駆け上がると、女性はたじろいだ。

 長い髪をそのままに、虚ろな目が俺を捉えると色づいた。生きた目になった女性は、別人に見えた。

「バーですが、よろしければ入っていきます?」

「え……あ、はい……」

 どこかで見た記憶があるが、様子からして初めて店に入る人だ。バー慣れしている様子もない。

「すっごく美形の、外国人の方っています?」

「ルイですね。中にいますよ」

 中に誘うと、女性は戸惑いながら一歩一歩階段を下りていく。ルイはよそ行きの顔で女性を出迎えた。

 女性は辺りを見回して、開いた口が戻らない。初めてのバーは緊張する気持ちはよく分かる。

「きれいな店でしょう? 店長はそれ以上にきれいですよ」

「あなたが花岡さんですか?」

「そうですけど……」

「噂に聞いていた通りの人ですね」

 何を噂していたのか、ルイは知らないふりを決め込んでいる。あとで問いただそう。

「もしかして、ルイと昨日会ってた方?」

「花園愛子です。ありがとうございます」

「こちらへどうぞ」

 花園さんは椅子に腰かけると、カウンターに並べられているリキュールの瓶を眺めた。

「なんだかすごいですね。バーだからなんでしょうけど、場違いって感じ」

「お好きなカクテルはございますか?」

「うーんと……お酒は好きですけど、カクテルはあまり飲まなくて。ビールならよく飲みます」

「炭酸は平気そうですね」

 俺の好きなカルーア・ソーダか思ったが、ルイは棚から新しいリキュールの瓶を出した。

「クレーム・ド・カルテット。カシスやブルーベリー、フランボワーズ、ストロベリーの四種類のリキュールだ」

 俺にラベルを見せ、簡単な説明を付け加える。

「カルテットって音楽でも使われるよな。確か四って意味だった気がする」

「その通り。フランス語だ」

 氷を入れたタンブラーを注視すると、入れ方がユーリさんと似ている。やっぱり二人は師弟で親子だ。

「ルジェカルテット・ソーダでございます」

「きれい……宝石のルビーみたい」

「ピアスと同じ色でございますね」

「ああ、これはピアスじゃなくてイヤリングなんです。仕事柄、ピアスは禁止なので」

「ピアスが禁止な仕事……?」

「花岡さんにもお世話になりました。私が攫われたと思って、いろいろ動いてくれたんでしょう?」

「え? もしかして……メイドの?」

 言われてみれば、人気ナンバーワンのあいにゃんに面影がある。服装や化粧でこれほど変われるのかというほど似ていないが、ルイから譲り受けたチラシの笑顔にそっくりだ。

「メイド喫茶ってピアス禁止なんですか?」

「場所によると思うけど、私の働いてるところは禁止。お客さんはほぼ男性でしょ? 清純を求めてくるの。ピアスは清楚のイメージとは真逆だからって言って、嫌だって駄々こねる人もいるんです。他のメイド喫茶はライバル店ですから、気に入らないと他の店舗に流れていってしまうんです」

 たったピアスだがされどピアスだ。俺も、もしルイがベルナデット嬢からもらったリボンを外したら、どうしたのかと思うだろう。外してほしいなんて感情は俺の我儘だ。

「花園様は二杯目は召し上がれそうですか? よろしければ、花岡の入れたカクテルを召し上がってもらいたいのです」

「花岡さんも作るんですか?」

「お客様に作るの初めてで。でも、練習はいっぱいしました!」

 何がおかしいのか、花園さんは声に出して笑った。女性も笑顔がいい。さっきのような、死んだような目より全然素敵だ。

「じゃあお願いしようかな。あまり強くなくて、今度は炭酸の入っていないものを」

「かしこまりました」

 タンブラーに氷、ココナッツ・リキュールとパイナップルジュースを入れ、撹拌する。シンプルなほど技術がいる。いつかミモザをルイに振る舞いたい。

「マリブパインになります」

「甘い香りがする。……うん、美味しい」

 シンプルな言葉だが、高揚感で飛んでいってしまいそうだ。うれしい。

 花園さんカクテルに夢中になっている間に、ルイと目が何度か合った。それなりの付き合いをしていると、目での会話は何が言いたいのか分かるときがある。

「花岡さんって、将来はバーテンダーをずっと続けていくんですか?」

「え?」

 思いもよらない質問だ。

「視野には入れてます。大学生だし、そろそろ就活にも力を入れないと」

 再びルイと目が合った。あの目は聞いていないぞなぜ言わなかったという目だ。俺には分かる。

「私もいつまでもにゃんにゃんなんてできる年齢じゃないし、そろそろ新しいバイト先を考えないと」

「辞めちゃうんですか?」

「ふふ、寂しいですか?」

「えーと……えーと……はい」

「冗談に本気で答えないで下さいよ」

「すみません」

 寂しいですか、の言い方は、メイドのような朗らかだった。女性は声が高くなったり低くなったり自在に操れる。ルイも、俺と話すよりも穏やかに喋る。

「若くて綺麗だって言われるうちに辞めたいなあって考えてるんです。いつまでもできる仕事じゃないし」

「そういうもんかなあ……」

「若さイコール人気に繋がるところがあるんです。そういうのを求めてくるお客さんを相手にしていますから。あーあ、年なんて取りたくないなあ」

「憚りながら、それはあくまで喫茶内のことですね」

 穏やかな口調で、ルイはチーズを切っていく。

「年齢や見目で人生は決まりません」

 ルイはきっぱりと口にした。案の定、花園さんは不服の顔だ。

「この前も言いましたけど、本当に綺麗ですね」

 褒めるというより、八つ当たりをしたいがための言い草だった。

「私、普段はこんな顔なんです。目なんて家族で私だけ一重だし。仕事の後は裏口から出るんですが、ファンの方が待っていてくれたりするんです。一人のファンが私宛の手紙を持っていたのに、素通りでした。分かるでしょう? 化粧で顔なんて簡単に変えられますから。普段の私では誰も興味がないんですよ」

 まただ。こんな風に、お客さんから不毛な八つ当たりをされるのは。毎回毎回、ルイが何をしたっていうんだというほど、やっかみの交じる腹いせを浴びせられる。確かにルイは、どこかの国の王子様というほど優しいし綺麗だ。でもルイを見ていると、容姿に恵まれるのは必ずしもメリットになり得るとは限らない。ルイは何を言われても穏やかに笑い、またお越し下さいと頭を下げる。相手が相手だからこそ、俺も口を挟めない。

「私がこのバイトを始めたのは、整形代を稼ぎたかったのと男性にちやほやされたかったからなんです。親や姉といつも比べられ、見た目で何もかも判断されてきました。せめて勉強では勝とうと姉よりも言い大学を目指して合格しました。最初は気分が良かった。いつも可愛がられていた姉を下に見ることができて、心の奥にあった劣等感が軽くなった。でも姉とは疎遠になりました。失うものも大きかったです」

「整形のおかげで、人生が変わる可能性もあります。それは否めません。ですが、心の豊かさは顔に表れます。整形をする前に、きっと手に入れられるものがあるのではないかと思います」

「ルイさんはそういう感情ってあります? 整形したいとか。……あるわけないか」

「ほしいものならば、山のように積み重なっております。少しずつ穴埋めをしてくれる人がいるものですから、受け止めるのは大変です。人を傷つけるのも人、癒しをくれるのも人だと学びました。いい大学とおっしゃいましたが、いい大学の基準は人それぞれ異なります。せっかく勉強をできる環境にあるのだから、勉学に励むのも人生を変える一歩ではないかと」

 ルイの言いたいことは分かる。けれど、顔のいい人に言われても説得力がないのも事実。どれだけ花園さんの心に届いたのか分からないが、しんみりと三杯目のお酒を飲む姿を見ていると、少しは伝わっているのではないかと思う。そうであってほしい。

 帰り際、花園さんから紙袋を渡された。池袋駅のデパ地下で購入したちょっとしたお土産だという。ストーカーの重野氏のことで聞きたいことがあったが、他の客人もいたために聞くに聞けなかった。

 菓子箱の下に連絡先を書いた紙があると気づいたのは、翌日になってからだった。

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