7 甘いキスは悪魔から
私は、冷たいトロピカルジュースを飲み干して、気を落ち着けた。
気を逆立てていても事態は好転しない。
いまできるのは推理だけだ。
「起こったことを整理しましょう。ナイトレイ伯爵邸に、英国警察が入ってきた理由は心当たりがあって?」
「くだんの『眠り姫』が、我が家でもよおした夜会の参加者だということは知っているよ。加えて、ティエラ嬢も眠りについたから、どちらにも関係ある俺が疑われたんだろうね」
「事件については、どれだけ調べがついているの?」
「君と同じだと思うよ。犯人は悪魔か、
「…………そう」
少女たちを覚めない眠りに就かせるなんて、人間業ではない。
悪魔か、
彼の言葉を信じてしまいたい。けれど、リデル
思い詰めている私の顔を見て、ダークは軽妙に笑った。
「犯人より、まずは眠り姫たちを目覚めさせることを第一に考えよう。長くなると死んでしまうからね」
人間は、眠っている間も呼吸をして体中に血液を巡らせている。食事や水分を取れなければ失調状態におちいり、動かなければ筋力が落ちて衰弱していく。
眠り続けるということは、死に近づいていくということだ。
取り乱すサイラント夫人を思い浮かべて、ぽつりとこぼす。
「おとぎ話の姫君なら、王子様のキスで目覚めるわ……。私、眠った令嬢は、あなたに恋していたように思うの。試す価値はあるんじゃないかしら」
「俺に、眠り姫たちとキスしろと?」
指先で振り向かされて、私は目を見開く。
思ったより近くにあったダークの美貌は、焼く前のバターパンみたいにふっくらとむくれていた。
「アリス。君はひどい。遠からず俺の花嫁になるんだから、こういうときは『他の女の子とキスするなんて嫌!』って言ってくれないと困る」
「まだ決まってません! これ以上くっつかないで!」
私は慌てた。ただでさえ露出の多い服装なのに、こう密着されてはかなわない。
真っ赤になって体を反転させると、床に落ちる影が目についた。
あちこちで反射する光に薄まった、二人分の影。
ダークの頭には、ウサギのような二本の角がある。
そして今は、私の頭にも。
「悪魔がいるわ!」
腰元を探ったが、ポシェットがない。
着替えたときに外してしまったのだ。
丸腰の自分にぞっとする私の後ろで、背筋が冷えるほど低い声がした。
「邪魔されたくなかったな」
ダークは、床に腕をズブリと差しこんでいた。
魔力を使っているせいで、頭には二本の角が顕現している。手の周りには青い光が広がり、彼を中心にして三日月の紋章が浮かび上がる。
(ヒスイ殿の
ジャックたちに焼き付けられた薔薇のような毒々しさはない。
鋭いのは月の切っ先くらいで、散らばった星は白い光を放ち、足元に夜空が広がったようだった。
ダークはぎゅっと何かをつかんで、床から腕を引き上げた。
手には、グリフォンのような影が握りしめられていた。ダムとディーが見たら飼いたいと大騒ぎしそうな、デフォルメ調のフォルムをしている。
「ずいぶん可愛いけれど、それが低級の悪魔なの?」
「低級のなかでも下の、上級の悪魔に仕える使い魔だね。なんの用だい?」
ダークの問いに、使い魔は「キーキー」と甲高い声で鳴く。
「ああ、すまない。君らの言葉は分からないんだよ」
ダークが無情にも両手で押しつぶすと、使い魔の体は穴の空いた風船のように萎んで、最後には四散した。
「怪我はないかい。アリス?」
「平気よ。あなたって、ほんとうに悪魔なのね……」
私は、ダークの本性をまじまじと見た。
頭に尖った角を生やし、血管の浮き出た手先には鋭い爪が伸びている。
端正な顔と銀色の髪は変わらないが、魔性を帯びた分、周りから浮き出たように魅力的にみえる。
「実際の角を見られるのは初めてだね。怖いかな?」
「いいえ。尖がっていて、すこし個性的だけれど、悪くないと思うわ」
大真面目に答えると、ダークはきょとんとした後で、ぷっと吹き出した。
「そうか、君にかかると、『悪くない』になるのか」
「どうして変なタイミングで笑うの。初対面の時もそうだったわよね。私、そんなにおかしなことを言っている?」
「君はすぐに撃つし、角を見ても怯えない。すこし個性的な女性だけど、『悪くない』よ」
「褒めてるのか
自分で言っておきながら、ひどい台詞だと思った。
おかしくなって笑う私の肩を、ダークは爪の先で引き寄せた。
甘い雰囲気に、少しの期待を込めてダークを見上げる。
近づく彼の顔が傾ぐ。
私はキスの予感に目を閉じた。そのとき。
「ここか、お嬢っ!!」
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