8 嘘と罰

 扉をけり飛ばして、目を吊り上げたジャックが現れた。

 その後ろには、機嫌が悪そうなトゥイードルズとリーズもいる。


 怒りのためか、ジャックは両手に、ダムとディーはそれぞれの頬に『烙印スティグマ』を浮かび上がらせている。

 この調子では、リーズの舌にも同じ印があるだろう。


 彼らは、私と寄り添うダークが角を生やしているのを見て、それぞれの武器を抜いた。


「てめえ、悪魔だったのか!」


 ジャックにサーベルを突きつけられて、ダークは心外そうに片眉を上げた。


「俺が『悪魔』だったら、君に何か不都合があるのかい? 番犬くんの鼻がきくとしても、どうしてここが分かったのかな……」


 辺りを見回したダークは、水槽の柱に隠れるヒスイを見つけて、ため息を吐いた。


「ヒスイ? 俺はしばらく留守にするといったはずだ。追いかけて来てはいけないだろう?」

「ゴメンナサイ。ミンナ、心配してたカラ……」

「あまり困らせてくれるな。お仕置きだ」


 気まずそうに半身を出すヒスイに、ダークは人差し指を伸ばした。

 指先から伸びた青い光が彼を取り巻いたかと思うと、脇腹の烙印が光をはなった。


「っ、イタイ……!」


 ヒスイは、苦しげに呻く。

 ダークが指先を動かすと、彼の手先から水が勝手に生み出され、しゅるしゅると空中を移動して、ジャックたち四人を水のドームで包んだ。


「リデル家の『悪魔の子スティグマータ』たちも、そこで頭を冷やしたまえよ」

「くそっ、どうなってんだこれ!」


 ジャックは怒りに炎を燃やしてドームを破ろうとしたが、水に消されてしまった。

 ダークが私の腰に手を回したことも、彼をいっそう燃え上がらせた。


「悪魔のくせに、お嬢に触るな!」

「言葉の応酬は嫌いなんだが……。君の方こそ、『悪魔の子』のくせに、アリスといるのはおかしいんじゃないかい?」


「ふ、二人とも、やめて」


 不穏な空気を感じた私は、ダークにすがる。

 けれど彼は、こちらに視線をくれることはなかった。

 ダークの声は、冷徹に真実を明らかにする。


「前からおかしいと思ってはいたんだ。アリスのような『烙印』も受けていない少女に、君たちはふさわしくない」

「っ!」


 心臓が止まるような心地がした。

 戦慄して動けなくなる私とは対照的に、トゥイードルズは揃って首を傾げる。


「「なにを言っているの?」」

「伯爵はご存じないでしょうけれど、アタシたちリデル男爵家ファミリーは、みんな『悪魔の子』なのよ。お嬢もね」


「そんなはずはないさ。だって、アリスが受けるはずだった『烙印』は――」


 ダークの尖った爪の先が、炎を抱くジャックの方を指す。


「彼の手の甲にあるだろう。普通は一人につき一つ焼き付けられるもの。両手にあるのは、二人分の罪を一人で受けたからに他ならない」

「ダーク、お願い。もう、やめて……!」


 けげんな表情でダークが口を閉じたときには、全てが遅かった。

 ジャックは凍りつき、双子は顔を見合わせている。

 リーズは、疑うような視線を私に向けてくる。


「お嬢。あなたが『烙印スティグマ』を受けていないって本当なの?」

「それは……」


 言わなければ、不信感が強まる一方だ。けれど、喉が渇いて声が出ない。

 後ろ暗さから視線も上げられない。


 結局、私は叱られて口をつぐむ子供のように縮こまった。

 代わりに、ジャックが小さな声で明かす。


「……本当だ。オレは、お嬢をよみがえらせるとき、その分の『烙印』も受けた。だから、お嬢は『悪魔の子』じゃない。死んだら、地獄に落ちるオレたちとはたもとわかって、一人で天国に行く……」

「なんでそれを秘密にしていたの。アタシ、何も聞いてないわよ!」


「リーズ。ジャックを責めないであげて。私が、みんなに秘密にしてって願ったの。それには、ちゃんと理由があって――」

「「もう、いいよ」」


 必至に言いつくろう私を、悲しげな声がさえぎった。

 視線を上げると、ダムとディーが大きな瞳に溢れんばかりの涙をためていた。


「アリス、ぼくらにずっと嘘をついていたんだね」

「アリス、ぼくらはいっしょに地獄に落ちるんじゃなかったんだね」

「違うの、ダム、ディー。話を聞いて!」


「「聞きたくない」」


 双子は、両手で耳をふさいだ。

 拒絶の言葉に、私の胸は引き裂かれる。


 ダークが水のドームを解くと、二人は背中を向けて出口に向かっていく。


「アタシも、こんな形のウソは望んでなかったわ」


 リーズは私に向けて、悲しそうに微笑んだ。


「アタシは、お嬢と本物の家族になれたと思ってたのよ。何でも話せる、姉妹みたいな存在だって感じていたの。それは、アタシの方だけだったみたい」


 リーズは、踵を返しながら乱れたマフラーを巻き直した。


「……さよなら、お嬢。いいえ、リデル男爵家のアリス様」

「待って、みんな――きゃっ!」


 私は、彼らを追おうとした。けれど、震える足ではろくに進めない。そうこうしているうちに、布にからまって転んでしまった。

 遠ざかる三人に手を伸ばしながら叫ぶ。


「待って、私を置いて行かないで……」


 涙があふれてきて、視界が歪む。

 喪失感で、胸がぺしゃんこに潰れてしまったように苦しい。

 泣いているのに、出し切れなかった悲しみが、体のなかに溜まっていく。


 涙に、溺れてしまいそうだ。

 自分ひとりの力では立ち上がれない私は、背を丸めて泣き顔を覆った。


「アリス、どうして彼らに嘘をついていたんだい?」


 そばに膝をついたダークに、私は自失のまま答える。


「あなたは何も知らない人間に『自分は悪魔』だって言えて? それと同じよ……」


 私は『悪魔の子』である彼らに、自分は違うと伝えるのが怖かった。


 もしも、死からよみがえった私が『烙印』を受けていないと知ったら、彼らは、地獄に落ちない私を、憎んだり恨んだりするんじゃないかと不安だった。


 私は、結局、彼らを心から信じられなかったのだ。


 ――信じれば裏切られる。


 そう教えこんだ父は、私がこうして取り残される日が来ると、想像しなかったに違いない。

 おかげで私は、死に物狂いで作った、新しい家族さえ失った。


「お父様、私、わかったわ」


 これが、私が大好きな乙女ゲームの世界。

 裏ルートでなければ描けなかった、悲しい真実。


「この世界こそ、『アリス』にとっての地獄だったのね――」

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