第六章 リデルの愉快なお家騒動

1 謎解きは朝日のなかで

 早朝のロンドンは、静謐せいひつに包まれていた。

 起きたての街のあちこちから上る白い煙は、焼けたパンや温めたミルクのやさしい香りを天へと運ぶ。


 朝は、誰にでもめぐりくるはずなのだ。覚めない眠りにつかないかぎりは。


 私はメイフェアで馬車を下りた。

 正面に、三日月の紋章をかたどった立派な上屋敷がある。

 陽の光を浴びた白亜は、目が痛くなるほどまぶしい。


 手をかざして目を守っていると、玄関に家令のおじいさんが姿を見せた。


「これは、これは。リデル様。ようこそ、ナイトレイ伯爵邸へおいで下さいました」

「ダークは、ご在宅かしら?」

「ちょうど朝食を終えられたばかりでございます。いまは書斎にお出でですから、どうぞこちらでお待ちを」


「約束もせずに来たのは私ですから、彼のところまで歩きます。案内してください」

「かしこまりました。それでは、こちらへどうぞ」


 無理を言ったのに、おじいさんは笑顔で迎え入れてくれた。


 案内されたのは、夜会の最中にダークに連れこまれた部屋だった。

 人払いをお願いした私は、ノックもせずに扉を開いた。


 ジャックが壊した窓はすっかり直されて、純白の家具には焦げたあとさえない。

 あちこちに生けられた青薔薇の鮮やかさも、夜の魔法が解けた今は作り物めいて見える。


 ダークは、窓下の大机の向こうに、新聞を広げて座っていた。

 姿は大きな紙にすっぽり覆われているが、強い朝日に照らされて紙面に落ちた影には二本のがあった。


「じいや。このエブリタイムズ紙なんだがね。眠り姫事件について『令嬢たちは美しい女性を好む妖精王によって眠りの国にいざなわれたのだ』と夢見がちな記事を載せている。事実に反する内容が流布して、市民がパニックに陥ってはいけないから、妄想は載せないように抗議を申し入れたいと思うんだが――」


「朝から熱心ね、ダーク」


 言葉をさえぎると、ダークは新聞を下ろして、青い瞳をまんまるに見開いた。


「アリス……?」

「おはよう。今日は、お話があって来たの」


 ダークは、かたわらに置いてあった帽子を素早くかぶった。

 ツバからはみ出す過剰なリボン飾りを揺らして、わざとらしくおどけてみせる。


「きみから我が家に来てくれるなんて、素晴らしい朝だ! この感激をどう表現しよう。いっそ二人の記念日にしてしまおうか!!」


「どうぞ、お好きになさって。でも、これは外してくださる?」


 つかつかと歩み寄った私は、ダークの帽子を取りあげた。

 しかし、よくかされた輝く銀髪には、角はなかった。


「……ないわ……」

「どうしたんだい? 俺の頭に、なにか普通じゃないものでも見えたかな?」

「そのようね。悩み事で寝不足だったから、夢でも見ていたのかもしれないわ」


 こめかみを押さえて言うと、ダークはこれ幸いとばかりにカーテンを閉める。


「寝不足は肌に悪いうえ、思考を鈍らせるからね」

「そのようね。昨日の悪魔も、きっと寝不足だったのだわ。そうでなければ、落とし物なんてするはずがないもの」


「……落とし物、とは?」


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