第49話 不埒な心

「リーシェ、入るぞ」


聞き慣れた声に沈んでた意識が浮上する。ゆっくりと声のする方を見ると、ノックと共に入ってきたのは、クエリーシェルだった。もう湯浴みは済んだのだろうか、心なしかサッパリしている気がする。


昼食のあと、ロゼットから「いつまでも考え事などしていたら、治るものも治らないからとりあえず考えることは後回しにしてください」と布団に押し込められて寝ていたのだが、外はもうすっかり暗くなっていた。


「風邪をひいたそうだが、大丈夫か」

「大丈夫じゃな゛い゛でず」

「そうだな。その様子では、大丈夫じゃなさそうだな」


私のガラガラ声に驚いたようだが、なんだか声音が面白がっている様子で、少しムッとする。すると、彼は私のベッドに腰掛けると、頭をぽんぽんと撫でてくる。まるで、幼子を相手にするかのように。


「たまにはしっかりと休養するのがいい。ここのところ、忙しくしてばかりだっただろう?」

「……風邪、う゛づり゛ま゛ずよ゛」

「はは、私の心配などせずともよい。きちんと身体は鍛えているから、風邪などここ何十年とひいてないからな」


そんなことを言われると、クエリーシェルにうつしてみたい気もするが、実際にうつして共倒れになっても嫌なので、心の中だけでそうしたい気持ちを押し留める。


「まぁ、顔色はだいぶ良さそうだ。熱も下がったのではないか?」


頬に手を当てられたあと、首元や額を触られる。


汗で濡れているので、乙女心としては無粋にあまり触って欲しくはないのだが、そういうことを言ったところで彼は気にしなさそうだし、下手に意識されても自分が気まずいから、あえて言わなかった。


あと、単純にクエリーシェルの手が触れるところが気持ちいい。冷えすぎず熱すぎず、彼の体温が肌に馴染んで触れられることに心地よさを感じたため、されるがままにされていた。


「あぁ、熱もだいぶ落ち着いたようだな」


手が離れていく。なんとなく寂しくなるが、言うのが躊躇わられて、口は噤んだまま。やはり私は甘えるのが苦手なようだ、と再確認する。


先日の入院時は、どうにか勇気を出して言葉を口にすることで引き留めて甘えられたというのに、私はどうにもその勇気が簡単には出せないらしい。


我ながら難儀な性格だとは思うし、今頃天国の姉にも呆れられていることだろう。彼女の呆れた顔の想像はつくが、こればかりは一朝一夕でどうにかなるものではないと、自分で自分に言い訳する。


「だいぶ寝て、汗もかいただろう?今、水桶を持ってくるから待っていろ」

「あ゛、え゛?」


制止も聞かずに行ってしまった。こういうときは、強引というかなんというか。


(というか、彼が自ら私の身体を拭くというのだろうか?)


さすがに、それは恥ずかしい。


以前、彼の裸を見たと言うことはあるけど、それはそれ、これはこれである。そもそも、領主が使用人の身体を拭くというのはいかがなものか。


(え、まさか、そのいかがわしいことを……?)


頭に変な考えが出てきて、思わず頭を振る。


いやいや、まさかこのような状態で、彼が私に無体なことをするわけがない。というか、しようと思えばする機会などいくらでもあったのだから、そういうことではないだろう。


恐らく、あれは考えなしでの行動だろう。そういうところがダメというか、男性として紳士として抜けている部分だと思う。……彼なりの優しさだとは思うが。


色々変なことを考えすぎたせいか、ちょっと頭がクラクラするな、と思っていると部屋の戸が開き、水桶とタオルを持ったクエリーシェルが入室してくる。


「起きられるか?」


こくん、と頷き身体を起こす。ほぼ1日中ずっと寝たきりだったせいか、身体が重くて上手く起き上がれないでいると、クエリーシェルが背に腕を回して助けてくれた。


「あ゛り゛がどう゛ございま゛ず」

「無理に喋らんでもよい。では、まず顔を拭こう。髪を掻き上げられるか?」


言われて、身体中に張り付いてぺったりしている髪を持ち上げる。むわっと自分の匂いが立ち込めて、今更ながらやはり断れば良かったと恥じるが、もうどうすることもできなかった。


(臭いと思われたらどうしよう)


クエリーシェルの顔をジッと見つめるが、彼は特に嫌な顔1つせず、タオルを水桶に入れ、浸すと、いい塩梅で絞り上げる。そしてそのまま、そのタオルで首筋や顔を拭ってくれる。


「さすがに身体は拭けないから、手足を拭くぞ。袖は捲れるか?」


髪を一旦下ろし、寝間着のチュニックの袖を捲る。露わになった腕を軽く掴むと、そのまま洗い直したタオルで右と左、それぞれ拭いてもらった。


「最後は脚だが、下にシュミーズは着てるか?膝上まで上げてもらえるだろうか?」

「え゛!?」

「いやいや、拭くだけだ。脚を投げ出すだけでいい」


そう言われてしまうと、従わざるを得ない。おずおずと布団から脚を出して、そろっと膝までゆっくりと裾を引き上げる。


すると、クエリーシェルは「んんっ」と咳払いなのかなんなのかわからない声を上げたあと、跪いて足首に触れられると脚を持ち上げられてタオルで拭かれる。


(……気まずい)


まるで立場が逆転して、従僕に奉仕されているような気持ちになる。


幼少期には、確かにこうやって身体を拭かれたり、召し物を変えたりするためにこうして使用人に触れられることなど多々あったし、それが当たり前だったので気にしたことなどなかった。


だが、今こうしてクエリーシェルにされるというのはむず痒く、気恥ずかしさで穴があったら入りたい気持ちに苛まれる。


特別に不埒なことをされたわけでもなければ、ただ彼の好意である。それは十二分に理解している。……しているつもりなのだが。


(変なことを想像してしまう自分が恥ずかしい)


だが、いかんせん最近読み始めた書物などに、そう言った、少々年頃の女性には早いのではないかと言った描写がそこそこあり、そういう部分に不勉強だった私はつい何度も熟読してしまった。


少なからず年頃のせいか、そういうことに興味を持ち、耳年増になっている自分としては、思考がそっち側に寄りがちなのは致し方ないとも思える。


(言い訳だろうけど)


自分でもわかっている、これは言い訳だと。ちょっと思考がピンクになってしまうのは、男性だけでなく、思春期の女性あるあるだ。男が考えるよりも実際の女性は貞淑でもなければ、そう言った欲求だって持ち合わせている。


(そういうのは表に出すのは恥だと皆心得ているから、隠すのは非常に上手いとは思うけど)


「よし、終わったぞ。水桶を片付けてくる。何か要るものはあるか?」


思考がどんどんと変な方向に行きそうだったので、声をかけられて良かった。クエリーシェルの問いに首を振ると、「そうか」とそのまま水桶にタオルを入れて退室する彼。


その背を見ながら、ふぅ、と小さく息を吐く。無事に何事もなく終わったことにホッとしつつ、先程の不埒な思考を飛ばすように再び頭を強く振るのだった。

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