第二章・嵐のあとには凪がくる。

第11話・幼なじみ

 七月二十日・終業式。

 今日が終われば、待ちに待った夏休みだ。

 戦国アカデミーに入塾して、あれから約二か月が立った。

 目まぐるしい塾の授業に、秀はペースが掴めないままだった。

 ノーブルに構う暇がないくらい、自分のことだけで手いっぱいだ。

 小学校に週三の塾。

 空いた時間に『予習』『復習』『宿題』の繰り返し――気が付くと、いつの間にか終業式がやって来ていた。


 ――息抜きに、夏休みは思う存分遊ぼう!


 と、秀は心の底から喜んだ。

 だけど、そうは問屋が卸さなかった。

 母親が勝手に夏期講習を申し込んでいたのだ。


 夏期講習――前期・後期に分かれて計十八日間。

 今まで過ごしてきた夏休みは――母親にたたき起こされても無駄にだらだらして、学校のプールに行って、友達と遊んだりゲームしたりして楽しくすごしていた。

 宿題をやるのは、いつも最終日ぎりぎりだ。

 それが、今までの夏休み――だれど、今年の夏は一味も二味も違う。

 夏期講習のせいで、今までとは全く違う夏休みを過ごすことになる。


 ★☆


「いってきまーす」

「はい、行ってらっしゃい」


 玄関で母親に見送られ、秀は家を出た。

 登校時間は、上の階に住む小学生でエレベーターがごった返している。

 そのため、秀はあえて階段を駆け下りた。


「おはようございます!」


 マンションの出入り口扉を出て、秀は見送り当番の保護者に元気よくあいさつをした。

 それから、登校班の待ち合わせ場所に立つ。

 同じ班の子たちが全員揃うまで、秀はぼけーっと空を見上げた。

 朝でも夏は暑い。

 外に出ると、すぐに汗が出てくる。

 秀がハンカチで汗を拭っていると、


「ちょっと、秀!」


 不機嫌な声で名前を呼ばれた。

 しかも、背後からランドセルをばしっと叩いてくる。


 ――そんなことをする奴は、ひとりしかいない。


 秀は振り返った。

 すると、同じマンションに住む明智光あけちひかるが、鬼のような形相で睨んでいた。

 肩あきの黒ワンピースに、赤と黒のおしゃれなスニーカー。クラスで一番おしゃれで可愛いと評判の陽キャラ女子だ。

 黒に近いこげ茶の髪を左横にポニーテールをしていて、髪型が崩れると言う身勝手な理由から、通学帽子を手で持っている。

 黙っていれば、読モになれるくらい可愛いのに、今の表情は非常に残念だ。


「いきなり何すんだよ?」

「私のほうが聞きたいんだけど。あんた、最近付き合い悪すぎなんだけど、何で?」

「俺が何してようが別に関係ないだろ……」

「は? 今までずっと一緒なんだし、行動範囲が変わると気になるじゃん!」


 そう言って、光はむすっと頬を膨らませる。

 光と秀の関係は、同じマンションに住んでいるだけではなかった。

 ――あれは、十年前。

 光と秀の両親は、今住んでいる新築分譲マンションに引っ越しをしてきた。

 もうすぐ出産を迎えるふたりの母親たちは、同じ境遇に意気投合。子育てに奮闘する同士となった。

 そのせいで、光と秀は生まれた時から違和感がなく一緒にいる。

 しかも何故か、ずっと同じクラスが続いている。

 まさに、ふたりは行動範囲が丸わかりの状況にいるのだった。



「別にいつも通りだろ?」

「そんなわけないじゃん! いつも一緒に遊んでたのに、あからさまに付き合い悪くなったじゃん。何度も聞こうと思ってたけど、何か忙しそうだし……もう、何なのよ!」


 唇をとがらせて、光が地団駄を踏む。


「そんなに怒るなよ。俺にだって色々あるんだから、母ちゃんにでも聞けばいいだろ?」

「それは嫌! だって、最近あんたのことを聞くと、からかわれるんだもん……」


 光の顔が少し赤くなった。


「からかわれる? なんで?」

「べ、別にどうでもいいでしょ! それより、夏休みは遊べるんでしょうね?」

「ま、ちょっとなら遊べるぞ」

「何でちょっとなのよ?」


 塾に通い出したから――とは、光に言えなかった。「勉強嫌いのあんたが!?」と、絶対に馬鹿にされるからだ。

 クラスメイトにもバレれば、決意が揺らいでしまうかもしれない。だから、行動範囲が丸わかりの状況にも関わらず、秀は光に内緒で戦国アカデミーに通い始めたのだ。

 ――ていうか、今まで何も言ってこなかったのに、急にどうしたんだ?


「さっさと答えなさいよ。じゃなきゃ毎朝、ランドセルを叩きまくるから!」

「それは困る」

「なら言いなさいよ!」

「……夏期講習があるから」

「は? 今、なんて言った? 私の聞き間違い!?」


 光は目をぱちくりさせて聞き返す。


「だから、塾の夏期講習に行くんだって! ていうか、出発したぞ」

「あ、ホントだ」


 光と話している間に、登校班が全員集まっていた。

 当番の保護者が「時間だから行きますよ」と、声をかけて六年生の班長が歩きだす。

 一年生、二年生、三年生、四年生、五年生、六年生の順に一列に並んで歩く。

 五年生は、秀と光のふたり。秀が前で、光が後ろだ。


「あんた、本当に、塾に通っているの?」

「そうだよ」

「いつから?」

「んーと、四月の終わりくらいかな?」

「聞いてない!」

「そりゃ言ってないもんな」

「何で言ってくれなかったの!」


 秀のランドセルを、光がばしっと叩いた。


「いてっ! 暴力反対だぞ」


 秀が後ろを向くと、不満そうに光が睨んでくる。


「何で塾なんかに通ってるのよ?」

「……そりゃあ、中学受験するためだよ」

「はあ? 何それ。あんた、そこの中学に行かないの?」

「うん、行かない」

「なんでよ?」

「それは……中学受験がしたいからだよ」


 堂々巡りだった。

 だけど、秀は『森と同じ中学に行きたいからだよ』と、光に言えなかった。

 気になる子を追っかけるだけのどうしょうもない理由だから、だ。

 それに、そのことを口にしてしまうと、何故かは分からないけど、光が益々激怒しそうな気がした。


「みんな、地元の中学に行くのに?」

「うん」

「中学、すぐそこだよ。近くていいじゃん」

 

 丁度見えてきた地元の中学校を、光が指さした。


「でも、だよ」

「はあ? 意味わかんない。なんでよ!?」

「しつこいなぁ、明智には関係ないだろ」


 鬱陶しく感じて、秀は冷たい言葉を返した。

 すると、光の顔から『不満全開!』と言う文字が浮かび上がった――ように見えた。


「ばかっ!!」


 またしても、光が秀のランドセルを叩いた。

 今度は連打だ。


「おい、やめろよ。壊れるだろ」

「うるさい! ばかばかばかばかっ!」


 秀の言うことを無視して、光はランドセルを力いっぱい叩いた。

 昔から光は、イライラすると物に当たる傾向がある。

 注意するとかえって逆効果だ。

 けれど、秀にとって日常茶飯事なことなので慣れていた。

 だから、そのうち機嫌が直るのも知っている。

 今は波風を立てる言葉を避けて、まともに相手をしない。それが正しい光の取り扱いだ。

 

「とにかく、俺は中学受験をすることにしたから」

「だから、なんでよ? 勉強大っ嫌いじゃん」 

「す、す、す、好きだよ」


 肝心なところで、秀はどもってしまった。

 光の言う通り、本当は勉強なんて大嫌いなのだ。

 本当に好きなのは――森蘭子だ。


「……蘭子ちゃんでしょ」

「へ?」


 急に図星をつかれ、秀はぎくりとした。


「あんたたち、最近よく話すようになったもんね?」


 光は心を見透かすよう目で、秀を睨んだ。

 確かに、事実だった。

 戦国アカデミーに通い始めてから、蘭子との距離感はぐっと縮まったのだ。

 だけど小学校では、蘭子がいつも通りずっと本ばかり読んでいるので、あまり話さないようにはしていた――にも関わらず、よく見ているなと、秀は素直に感心した。


「蘭子ちゃん。中学受験をするために駅前の戦国アカデミーに通っているって聞いたことある。もしかして……塾、一緒なの?」

「そうだよ」

「ふーん、そうなんだ……戦国アカデミーね……」


 ぼそっと光が言った。


「何か言ったか?」


 秀は何を言ったのか聞き取れなかったので聞き返すと、本当は何か言いたそうな視線をしながらも、光は首を横に振った。


「ていうか、今日も塾なの?」

「今日は休み」

「なら、久しぶりに遊ぼうよ。クラスの子たちも誘ってさ」

「おう、そうしょう。最近、全然遊んでなかったから、遊びたかったんだよ!」

「じゃあ、決まりね」


 ようやく、光の機嫌が元通りになったようだった。鬼の形相から、いつものちょっと意地悪そうな笑みを浮かべている。


「よし、今日は思いっ切り遊ぶぞー!」


 勉強からの解放に、秀は心が躍った。鼻歌を歌いながらスキップまでしてしまう。

 この先、光がどんな計画を思いついたのか何も知らずに、だ。


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