第十楽章 -白雪の音-

episode65:――――白雪

 

 演奏が終わって、一息つく。

 勝敗はわからないけれど、自分ができる最大限の演奏ができた気がした。

 観客の大きな歓声と拍手に対して、僕はピアノの脇に立って一礼をする。


 「……っ」


 今頃になって、じわじわと襲ってくる激しい痛み。

 軽く眩暈がして思わず倒れそうになったが、なんとか下唇を噛んで耐え抜く。

 額から伝う尋常じゃない汗の量に、思わず眉間に皺が寄ってしまう。


 一ヶ月間ピアノに全く触れずに休ませても、一曲分しか全力で弾けないだなんて……。

 とんだ欠陥ピアニストだ。

 

 辛くないといえば、嘘になる。

 けれど、今ではこの痛みさえも誇りに思う。

 こうして歩んできた思い出がちゃんと音となって、奏でられたのだから。


 手の甲で汗を拭きつつ、舞台裏に戻ろうと踵を返そうとすると、そこにはため息混じりで呆れた様子の兎亜ちゃんが立っていた。


「びっくりした……。まだ挨拶を終えたばかりなんだけど、こんなところにいていいのか?」


「いいのよ。二人のCRS決闘なんだし、もうお互い演奏も終わったじゃない。あとは、結果発表を待つだけだし、私がここにいても何も問題ないわ」


「相変わらず、我侭だなぁ……」


「優人に言われたくない。さっき演奏に比べると、私の我侭なんて可愛いものじゃない」


「それは……否定できんな」


「前の演奏とは全くの別物じゃない。一体、この一ヶ月でどんな練習をしてきたのよ」


「……ある意味、拷問みたいな練習かな」


「拷問みたいな練習……。二十四時間ピアノを弾き続けた、とか?」


「いいや、その逆だよ。CRS決闘が決まってから、全くピアノに触れずに一ヶ月過ごしてきた」


「なっ!?」


 驚きを隠せない様子の兎亜ちゃんに、僕は苦笑いする。

 そりゃあ、驚くよな。

  

「しかも、ピアノが目の前にある状態のアフターケア付きでな。弾きたくても、弾かせてもらえなくて、ひたすら脳内の音だけでイメージ、指のみを動かして練習。その繰り返し」


 ピアニストが一日練習休むと、元の腕に戻るのに半日はかかると言われているのに、腕の負担を考えて、一ヶ月丸々ピアノにあえて触れずに、指とイメージトレーニングのみの練習にしたのだ。


 音羽の秘策なのだが、まともなピアニストなら、まずこの練習法を考えもしないだろうし、実行しようとも思わないだろう。


「どうりで、あんなに楽しそうにピアノに弾いていたんだ……」


「結構、イケてただろ?」


「いいえ、全くダメね」


「手厳しいなー。まぁ、僕らしくないといえば、らしくない演奏だったかもしれんが」


「ダメに決まっているわ。私の死雨の音を晴らすような、あんな温かな演奏……。今までの優人からは想像もできない、あり得ない音だった。まるで……」



 ――――病院にいた透子の音を聞いているみたいだった。



「そっか……」


 母さん透子の名前を聞くと、なんだか心がざわつくのは、気のせいではない。

 

 慈しむような表情を浮かべながら語る彼女の言葉の裏には、今までの過去を思い出させるには十分だった。


 多くは語らない――――。

 空へ逝き、二人だけが知っている早見透子の最後。

 

 繋がりこそ歪で……。

 傍から見ても、誰がどう見ても、僕と兎亜ちゃんはただの他人だ。

 それでも、二人の間には、確かなものがあって……。


 噛み合っていないのに、噛み合っているような、そんな歪な関係。

 友人でも、恋人でも、家族とも呼べない、また別の関係。


 それを具体的に言葉にすると何なのかと聞かれると、わからない。

 だが……。


「親子だからな。多少、演奏も似るところがあるもんさ」


「そうね……。透子も、今のあなたの演奏を聞いたら喜ぶんじゃない?」


、なんじゃなかったのか?」


「わかっているくせに……。あとは、このあとの結果が全て教えてくれるわよ」

 

 この関係を敢えて、言葉にするのであれば……。

 これが、世に言う好敵手ライバルというやつなのかもしれない。

 

「ところで、さっきから気になっていたけど、随分汗をかいているみたいね。水飲む?」


「ありがとう……。それじゃあ、あとからもらおうかな」


「今飲めばいいじゃない、疲れているんでしょう?」


「まぁね、なんなら今すぐにでも飲みたい」


「なら……」


「だが、断る」


「頑なに拒むわね、何をそんなに……はっ!?まさか、その年で間接キスとか気にしてたりするの?」


「違うよっ!?か、間接キス如き、僕にかかれば余裕だ」


「へぇ、本当に?」


「……嘘です、ごめんなさい」


「見栄っ張り」


「勘弁してくれ、人生この方ピアノ以外に恋なんてしたことがないんだ。そういうのには、慣れてないんだよ」


「はいはい、冗談は顔だけにして」


「僕の顔は、冗談みたいな顔なのかっ!?」


「そのツッコミうっざ……。残念ながら口をつけてない新しいやつだから、安心していいよ」


「うざいとか言うなよ、地味に傷つくだろうが……。おお、それなら安心だな」


「なら……」


「……まぁ、なんだ。今はどうしても、


「どうして?」


 首を傾げながら、兎亜ちゃんは当然の疑問を投げかける。


「あー……」


 どうにか糊塗ことしようとしたが、遠回しな言い方や理屈を並べたところで、兎亜ちゃんには気付かれるだろうと思い、今の僕をそのまま伝えることにする。


「こう見えて結構腕が痛くてね、その水すら今は持てる力がないんだよ」

 

 思わず、ため息が漏れそうになる。

 さっきから腕を上げようと試みているんだが、腕や指が痺れて上手く動かないのだ。


「たった一曲の演奏で痺れて動かないって……。そこまで酷いのっ!?」


「んー……多分。今ペットボトル持ったら、震えて落としてしまう自信しかないくらいには痛いな」


「なっ!?なら、さっきの演奏は一体どうやって……。まさか、さっき言ってた練習法の意味って……」


「ああ、そうだ。だから言っただろ?約一ヶ月間ピアノに触れずにイメージトレーニングと指だけで練習してきたんだ。ギリギリまで腕を休ませて、今回の演奏に全力で望んだ。ただ、それだけさ」


「……そう。だからはあんなに……っ」


 目を伏せ、ボソッと呟く。


 そして、意を決したように「あのっ!」と、何かを兎亜ちゃんは僕に伝えようとすると、会場のアナウンスが鳴り響く。



 ――――大変お待たせ致しました。それでは、結果発表に移りたいと思います。



「兎亜ちゃん、今なにか言おうとしていなかったか?」


「……優人」


「どうした?」


。選択肢は三つ」


「え、いきなり何を」


「いいから、聞いて」


「一つ目。これまで通りの日常に戻って、これからを過ごすこと。これは未来が約束されている最も平和な選択肢よ」


「二つ目。ピアノをやめて、何もかもを捨てて、全てから逃げること。もしこの選択肢を選ぶなら、優人に救われたこの命、生きている限りを尽くすつもり」


「なぁ、さっきから何を言って」


「最後の三つめは……。その事実を受け止め、これからの未来の為に、新たな選択肢を共に探すこと」



 ――――それでは、CRS決闘の結果発表を、代表のこの人に発表してもらいましょう。



「ねぇ、優人。私はどの選択肢をあなたが選んでも、全力で応援するからね」


 そう僕に言った矢先、兎亜ちゃんの背後から歩いてくる二つの影。

 その二つの影を見た瞬間、僕は全てを悟った。 


 ああ……。

 そういうことか。

 

 あまりにスムーズに、そして、あまりに

 この男が絡んでいるとわかった途端に、僕の中の全てのピースがはまった。

 

 紆余曲折の艱難辛苦を、なんとか乗り越えられた今日までの出来事。

 誰が欠けても達成することができなかったここまでの道のり。

 物語のプロローグから、これは全てが決まっていたのだ。 


「――――やぁ、二人とも。久しぶりだね」


 眼鏡越しに僕を見る、全てを見通しているような得体のしれない冷たい目。

 何をするにしても、この男以上に完璧に全てをこなす人間は見たことがない。

 

 異例の若さで内閣総理大臣まで登り詰め、今現在もその手腕は計り知れないとされている日本をまとめる本物の化物が、そこにはいた。



 ――――内閣総理大臣である、早見司はやみつかささんです。



「父、さん……。それに、なんで……?」


 ははは……。

 そういうことかよ。


 僕は、総理大臣をしている父さんの登場で驚いたんじゃない。

 隣にいる見慣れた銀髪の少女がいたことに、驚きを隠せなかったのだ。


「なんで、父さんの隣で歩いているんだ?」



 ――――白雪。



「パパ……いいえ、。私達の物語は、ここで終わりです」




 全てを諦めたような、冷たい目で僕を見る白雪が立っていたんだ。







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ニート候補生の僕がパパになって、銀髪美少女が僕の娘になる(~カクコン5応募用改稿版~) 白雪❆ @project-sirayuki

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