episode64:銀色のinterlude


【~白雪Side~】


 自分の頬から伝う涙に気づいたのは、隣の席に座っていた音羽さんが立ち上がり涙ながらに拍手をパパに送っている時だった。


 たった一つの音が波打つように会場全体を巻き込み、どんどん音が大きくなる。


 一人、またひとりと次々に立ち上がって沸き立つ観客の表情から、パパの演奏が本当に凄かったのが見て取れた。


「ああ、凄いなぁ……っ」


 胸の奥底がギューっとなる。 

 本当に凄いなぁ……。 


 兎亜さんの「死雨の音」と共に奏でられた本当に伝えたい隠された想い。

 パパはそれに答えるように、自分の我儘な音を弾いてみせた。

 会場を包み込むような優しい風の音。

 

 触れている鍵盤の指からは、音が真っ直ぐに……。

 空に大きく羽を広げて羽ばたいていくような、そんな演奏だった。

 

 死の音でも、私の為に奏でた音でもなく……。

 パパの為だけの、我儘な音。

 

「もう少し、傍で聞いていたかった……」


 パパと出会ってから、長いようで短い時間。

 初めて、パパの前で弾いた水の戯れ。

 

「とっても、緊張したなぁ……」

 

 それから、一緒にお買い物や朝ご飯は、キラキラで、ワクワクで……。

 本当に美味しくて……。

 

 あとあと、パパの演奏を映像で見た時は驚きでした。

 あの頃の私の演奏は、本当に下手っぴでしたね。

 

 もっと練習しなくちゃと思ったら、どんどん自分の思う通りの音が出せて……。

 ピアノが、もっともっと好きになりましたっ!


「そういえば、まだクロエさんに負けたままでしたね。リベンジマッチできないかな?」


 パパにどうしてもピアノの世界に戻って弾いて欲しくて、ぶっつけ本番で出たCRS大会。


 結果は、残念ながら負けちゃったけど……。

 パパは、これをきっかけにピアノをまた始めてくれました。


 ふふっ、もう誰にも負けたくありませんね。

 私は案外、負けず嫌いみたいです。

 これも、初めて知った感情です。 


 それからも、沢山のことがありました。

 

 一緒にピアノの練習したり。


 音羽さんと出会って、仲良くなってパパには内緒のお話をしたり。

 

 パパのことが大好きな音羽さんの可愛さは、やばいです。

 可愛すぎます。

 いつか、私もあんな素敵な恋ができるのかな?

 

「……なんて、無理な話ですね」


 思わず一人、苦笑いです。


「パパとの連弾も楽しかったなぁ……」


 一緒に「月の兎」で連弾。

 沢山の人に囲まれて、本当に楽しかった。

 その後、しばらくして音羽さんがパパの家にやってきて、リサイタルをしたり。

 

 お泊りで、美味しい料理をご馳走になったり。

 初めて、CRS大会にパパと二人で正式に参加したりで、バタバタな毎日。

 

「……パパの腕、大丈夫かな?」


 勿論、楽しいことばかりじゃなくて、喧嘩もしました。 

 パパの悲しい過去を知って……。

 パパの腕の事を知って……。


 沢山ぶつかって、沢山泣いて……。

 それでも……。

 やっぱり伝えたいことを言って、仲直りして……。


 一緒に過ごしていく中で、どんどん輝きを増して変わっていくパパの音。

 前よりも、もっとカッコよくて、素敵で、キラキラで、優しくて、憧れで……。

 今でも、とっても大好きです。


 何もかもが初めての経験。

 本当に、いい思い出です。


 もっと、もっと……。

 傍で見ていたかったって、心底思います。


「……そろそろ時間、ですよね」



 ――――ブーッ、ブーッ……。



 しーちゃんからこっそり渡されていた携帯電話スマホが、ポケット越しで震えた。

 画面を見ると、予想通りの人物の名前に心臓が鳴り響く。

 

 私は隣にいる音羽さんにバレないように、そっと席を立つ。

 舞台会場から離れ、トイレにそっと駆け込み、鳴っていた携帯電話を手に取った。


「……はい」


「――――やぁ、久しぶりだね。白雪」


 気づいていたんです。

 遅かれ早かれこの時がやってくるのを。


「お久しぶりです」

 

「今まで、ご苦労だったね」


 過去、何度も聞いてきた。

 感情の色が全く見えないの声だ。


 わかっていた。

 もう、夢の時間は終わりなんだと。


「予定通り、を始めよう」


 とうとう、やってきたんだ。

 温かな日常の夢から覚めなければいけない時が……。

 

 

 ――――「最終フェーズ」の時間が。



 自分が自分でなくなる時を示す言葉。


「覚悟はできているね?」


 覚悟ができていないなんてことは、この期に及んであり得ない。

 けれど、それを裏付ける私の返事や決意が試されているのだと瞬時に察した。


 このことに関しては、誰がどう言おうと迷わない。

 迷うわけがない。

 

「もちろんです。そのためのProjectですから」 



 ――――あなたの為に、私は物語の歯車となる。



「では、優人のいる舞台で待っているよ」


 プツンッと切れる無機質な音が耳に残ったまま、私は目を閉じる。

 大きく深呼吸をしながら、心を研ぎ澄ませる。

 

 そして、カバンから電話越しの男に渡されたを飲み込み、自分の中の感情の一切を消し去った。


 

 ――――夢の時間は、もう終わりです。



「――――さぁ、を始めましょう」


 

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