episode63:あなただけの、物語を聞かせてねっ!!


 ――――これは少し前の記憶。


 窓から入る光が朱色に変わっていく頃、つい先ほどまで言い合っていた白雪は疲れ果てたのか、スヤスヤと眠りについていた。


 純粋無垢そうな寝顔で思わず顔が綻ぶ。

 

 何度も目にしてきた表情だけど、どことなくスッキリしたようにも見えるのは、心の底から互いの本音を言葉で交わしたからだろう。


 僕自身も、心のつっかえが取れたような気もした。


 そして、机を挟んで腰かけていた音羽は傍観に徹していたが「早見君、ちょっといいかしら」と、白雪が寝付いたと同時に僕に言葉をかけてきた。


 白雪の前で音羽が言っていた「本番までピアノを弾かないでイメージだけで練習する」というのは、あくまでもで、実はその先があるということをなんとなく察した。


 時計の針の音。

 閉め切った窓硝子越しに聞こえる飛行機が飛ぶ音。

 白雪の寝息。 


 沈黙がしばらく続く。

 余程言いづらいことなのか。

 目を閉じて、言葉を慎重に選んでいるのがわかった。


「……話さないのか?」


「いいえ、話すわ。ごめんなさい、待たせてしまって」


「いや、いいんだけどさ」


「今から言うことはあなたにとって、とても受け入れがたいことかもしれないわ。それでもいいかしら?」


 目の前にいる女の子、音羽奏は僕の一番の理解者だ。

 

 過去、現在、未来において、彼女の存在は僕の人生に絶対欠かせない存在であり、他人から見たら傲慢な考えかもしれないが、彼女も僕の存在は似たような存在だと感じている。

  

「何を言われても受け入れて見せるさ」


「くすっ……そうだったわね。それじゃあ、言わせてもらうわね」

 

 かくゆう僕自身も彼女の思考や捉え方をすぐに理解できる。

 二人の導き出す結論は過程は違えど、いつも同じなのがいい証拠だ。


 だからだろうか。


 僕よりももっと理解者でありたいと考えた音羽は、今目の前にいる音羽奏とは別の「音羽奏」に視点を変えて、第三者の視点として物事を考えるようになったのだ。

 

 音羽奏は、一番の理解者である。

 だからこそ、僕自身でも考え付かない答えを導き出すのだ。



「――――いい加減、白雪さんに見栄を張るのはやめなさい」



 部屋に響き渡る音羽の声は、僕の心に突き刺さる。

 

 今自分がどういう表情をしているかわからない。

 心が冷たくなって、痛くて、胸が締め付けられるほど、本当に苦しいのだ。

 いつの間にか両手を強く握り締めていた。

 

 再び、沈黙が続く。

 この気持ちをどう言葉にすればいいのか。


 どう答えるのが正解なのか。

 ……わからない。


 どれだけの時間が経っただろう。

 とても短かったような気もするし、長かったような気もする。

 その沈黙は、音羽によって破られる。


「あなたは、今逃げているのよ。腕の痛みとは別に……」



 ――――白雪さんの前で、全力で弾くのが怖いのでしょう?



「まいったな……。君はどんだけ僕を理解しているんだよ」


「言ったじゃない、私はあなたの一番の理解者でありたいと。私がこの結論に至った理由は二つあるわ」


「一つ、白雪さんと出会って今の腕の痛みを抱えたまま全力で弾いてしまったら、過去の自分を超えられないことを知っているから」


「二つ、自分の限界を知ることへの恐怖。過去の歴代二位という点数を叩き出した功績があり、それに縋っている自分が心のどこかにいるということ」


「無理もないわ。過去の功績を掲げて演奏するときほど、一番楽なものはないもの」


「自分はまだ全力を出して切れていないだけ、腕に痛みがあるから仕方ない。治ればまだまだやれる。言葉は違えど、似たような感情があるはずよ。どうかしら?」


「……さすがだな」 


 頬を掻きながら、苦笑い気味に答える。

 怒りでも悲しみでもない……。

 それがなんなのか、具体的に言葉にできない感情だった。


「CRSの世界に戻ってピアノを弾き始めて、白雪と過ごしていく中で少しずつ感じていたよ。でも、この気持ちに折り合いをつける方が難しい。だから僕はこのままでいいと思っているんだが……」

 

 それじゃあ、いけないのか?

 そう答えようとすると、僕より先に音羽が言葉を被せる。


「ねぇ、早見君」


「白雪さんの為に弾いているんだという自分勝手なエゴを押し付けるのは、もうよしなさい」


「……エゴ、だと?」


「ええ。父親として、をするのはやめなさいと言っているの」


「いくら親子と言っても、白雪さんは白雪さんの人生で。彼女は、常に前を向いて歩いているわ」


「身元もわからない。日本政府からいきなり送られてきた謎の女の子。今のあなたにとって、白雪さんがあなたを必要としているのではなくて……っ」


 目を閉じ、音羽が一瞬言いあぐねたような気がした。

 誰にも言えなかった心に抱えてきた醜い感情。

 エゴ、いわゆる自己中心的な感情の押し付けだ。

 

 自分の心と向き合うことへの恐怖。

 穏やかな日常に見え隠れしていた、目をそらし続けていた絶え間ない焦燥感。


 繰り返し襲ってくる耐えがたい正体不明の痛み。


 どこにもぶつけようもない苦しみが僕を襲っていたのを、音羽はあえて厳しい言葉にしてくれたのだ。


「あなたは白雪さんに、


 醜く汚いこの感情。

 僕にとっての一種の病でもあり、悩みだった。

 そんな悩みを察し、悪役を買って出たのだ。  


「……ああ、そうか」

 

 頼られること。

 見てくれていること。


 心地良い空気。

 人を救う為に僕は音を出しているんだという、気持ち悪い自分勝手な押し付けの感情。


 言葉にできない痛みの正体は、依存。  

 心にストンと落ちるような、納得のいくものだった。


「白雪さんの人生を、生きるのはやめなさい」


「白雪さんの人生に依存してはダメ。あなたの生きる理由を白雪さんにしたらダメ。あなたはあなたの人生を生きなくちゃダメなの」


 そうか。

 僕は僕の為の人生を生きていなかったんだな……。

 

「過去のあなたは出会ってきた人の為の音を弾くことで……。そして、白雪さんの為にピアノを弾くことで再びCRSの世界に、音の世界に向き合うことができた」


 白雪の為、母さんの為、音羽の為と……。

 誰かの為を理由に音を弾いていたんだ。


「でも、それに甘えてばかりでは、またいつあなたがピアノをやめるかわからない」


 甘えていたのは、救うことで救われていたのは僕の方だった。


「あなただけの、我儘な演奏を」


 僕の為の、我儘な演奏。

 そんな我儘を言っていいんだろうか? 


「成長を促すことを考えた早見優人の仮面を付けたような演奏をし続けてもこれ以上は前に進めない」


 これ以上先は、僕だけの為の演奏を。

 音を、奏でなくてはいけないんだ。


「早見君らしいありったけの我儘な演奏を、私に聞かせてちょうだい」


 僕らしいありったけの我儘な演奏。

 ありがとう、音羽。

 道が開けた気がするよ。

  

 ……って。


「……また、無茶苦茶な願いだなぁ」


「ふふっ、それを叶えるのがパパの役目だもの、ね?白雪さん」


「――――……っ、その通りですよ。パパ」


 途中から起きていたのだろう。

 起き上がり、少し涙目になりながら僕の胸元に抱き着いて顔を埋める。

 僕はそっと、頭を撫でながら問いかける。


「……白雪」


「どんなに隠していても、音だけは嘘はつきません」


「……っ!?」


「音だけは、嘘をつかないんですよ。パパ」


 音羽といい、白雪といい……。

 僕の周りは、どうしてこう僕よりも僕を理解しようとするんだろう……。


「感情を押し殺し、私の為に弾くパパの演奏は、カッコいいです。でも、それじゃあいけないんです」


「私の為の音じゃなく、パパらしい音を弾いて欲しいです」


「もっと楽しく、もっと色づいた音……。もっともっと我儘に、パパが心の底から楽しいと感じる、思い描く本当の音を聞きたいんです」


 僕だけの我儘な演奏、音羽と白雪の想い。

 音を介して伝わる感情は、時として言葉を超えるのだ。


「パパの為の音を――――」


「――――早見君だけの音を」


 二人は同時に僕を、この言葉で背中を押すのだった。

 

「「――――あなただけの、物語を聞かせてねっ!!」」



♯♯♯



 歓迎されていない負の感情と期待感が入り混じる変な空気感。

 軽くお辞儀を軽くして、椅子を自分のサイズに合わせて座る。

 ゆっくりと深呼吸をし、鍵盤の上に指を乗せ、目を閉じる。


 ピアノから音を出せば、もう止められない。

 演奏はもちろん、失敗も決して許されないこの場面。


 けれど、今の僕はそんなことは一切気にしていなかった。

 そこに道があるから、ただ当たり前に歩くように。

 僕はありのままに、いつも通りに弾けばいいのだから。



「……響け」



 ――――音が会場中に鳴り響く。

 瞬間、ふわっと暖かな優しい風が吹き抜けたのを感じた。

 

 腕の痛みが再発しないか少し不安があったが、思い切って全力でしならせた腕がことに、演奏中ながらも自身に鳥肌が立った。


 凄いな……っ。

 動かしている指が、真っ白な雪のように、ふわふわと軽い……。

 

 音羽の秘策を聞いて不安がなかったと言えば嘘になる。

 ピアノに触れる瞬間まで指が少し震えていたのも、きっとそのせいだ。


 でも、その不安が取り除かれるかのように……。

 一音一音が飛び跳ねるように空へ向かっているのが分かる。

 それが嬉しくて、どうしても笑みが隠し切れない。 


 こんなにピアノに触れていないのは、いつぶりだろうか。

 家の中でもあんなに近くにいるのに、触れられないもどかしさ。

 恋焦がれるかのように。

 ただ、僕の部屋に居座るだけのピアノ。 


 僕自身と向き合い、僕だけの我儘な演奏とは何なのか。

 ピアノと共に向き合って、頭の中だけで演奏し、この一ヶ月を過ごしてきた。


 指のみを動かして。

 決して本番までピアノに触れてはいけない音羽の秘策だ。


 腕の痛みを考慮して、たった一曲だけの為に。

 少しでも長く、全力で弾けるように。


 何度も、何度も、下唇を噛み、我慢した。

 こんなにも恋しくて、触れたくて、弾きたくて堪らなかったことはなかった。

 ここまで生きてきた人生の中で、一番ピアノに触れたかった。 


 これに似た感情を僕は知っている。

 だからこそ、胸が痛くて締め付けられるように痛かったし、苦しかった。


 今こうして指先で触れ奏でている鍵盤の音は、今まで弾いてきたどんな音よりも温かい。


 心地よくて、気持ちよくて、なんだか涙が出そうで。

 まるで、大好きな人に触れたときのような甘酸っぱい温かさに似ていた。

 

 目を閉じれば、音羽の言葉。白雪の言葉。

 そして、兎亜ちゃんのピアノが僕の心に響いてくる。

 母さんの為に、僕の為に、自らを犠牲にしてまで伝えたかった音。

 

 僕は彼女たちに、何を返してあげられるだろうか。

 伝えきれない溢れんばかりの言葉。

 音を介して、伝えたい色や感情。

 

 ありがとう、ありがとう……。

 そして、もっと……っ、この音が響いてくれ……。


 今までありがとうを、彼女たちに届けたいんだ。

 君たちのおかげで、前を向いて僕は強くなれたんだ。


 一緒に音を鳴らしたい。

 皆で楽しいと言えるように。

 一秒でも長く覚えてもらえるような、温かい音をもっと弾きたい。


 これから先、悩んだり、泣いたり、苦しんだり……。

 死んだほうがマシなんじゃないかと思うほど辛いこともあるかもしれない……。

 

 それでも、どんな壁にぶち当たっても、僕は乗り越えていけるから。

 だから、沢山のありがとうをこれまで出会った人に伝えていけるように。

 

 ありったけの自分で。

 ありったけの想いを込めて、僕の為のピアノをこれからは弾いていこう。


 さぁ、歩いていこう。

 新しい物語と共に……。

 届け、悲しい雨を照らす太陽のように……。


 この先、彼女たちがもっと明るい未来が来ますように……。

 僕は、僕の命が尽きるまで、僕の為の我儘な演奏を奏で続けよう……。


 早見優人の我儘な演奏が終わる。

 扉をそっと閉めて、眠りにつくかのように……。


 雨を照らす光が消えていく。

 雪解け水のような雫と共に……。


「……これが、僕の我儘な演奏だ」

 


 ――――僕は人生で初めて、僕の為の音を奏でたんだ。


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