episode61:開花しろっ、アストロメリアっ!!


【~兎亜Side~】


 目を閉じれば、今でも鮮明に思い出す。


 病院の屋上で一人見上げる天照雨の音を聞きながら、病院の先生に譲ってもらった鍵盤ハーモニカで思い浮かんだ音を奏でる日々。


 あとは、死を待つだけ。

 そんな私に生きる意味を、希望を与えてくれた人がいた。


「――――私の弟子になりなさい、いいわね」


 私の手を取りながら優しく微笑む透子と出会ったあの日、私の世界は大きく変わったんだ。


「……ねぇ、透子。空から見えているかな?ようやくここまできたんだよ」


 舞台から見えるのは多くの観客と、かつて泣き虫だった弱い過去の自分。


 今こうしてピアノが奏でられるのは、明日をちゃんと歩けるようになったのはに救われたからだ。

 

 命を燃やしてでも、届けなきゃいけない音がある。

 それが、今なんだ……。

 

「透子、私に力を貸してね……」



♯♯♯


 

 孤独で静謐な舞台にヒール音を大きく響かせながら歩く少女がいた。


 そして、彼女を引き立てるかのように舞台外で響く雨音が妙に心地いいのは、雨宮兎亜という人間が雨に愛され、彼女自身も雨を愛しているからだろう。


 黒色のシンプルなドレスに青みがかった髪がスポットライトに当たり、そこから見える彼女の堂々とした表情に観客全体を魅了する。


 お辞儀をしてピアノ椅子に座る彼女の姿は、プロの演奏家として活躍していた母さんの姿そのものだった。


 思わずゴクッと、喉に唾を飲み込む。

 いくら否定しても、考えられずにはいられない。

 僕の母であり、今はこの世界のどこにもいない母さんのことを……。


 蘇る過去の記憶を思い出して喉がなんだか痛くなり始めたとき、両隣に座る白雪と音羽はその痛みを共有するかのように、僕の手をぎゅっと手を握り、支えてくれた。


「パパ」

「早見君」


「「……私達が、傍にいる」」


 ありがとう、二人共……。


「ああ、そうだな」


 舞台のピアノ椅子に座る兎亜ちゃんは、一瞬こちらに目を向けたかと思うと、右手を大きく上げてその仕草を見せつけるかのように……。


 しなやかに、右手首をくるっと回して音を奏で始めた。

 同時に、かつての僕のように死の音が会場を支配する。

 

「……っ、凄いです」


「なんて、力強くも悲しい音なのかしら……」



 ――――CRS決闘の課題曲「クライスレリアーナ:ピアノのための幻想曲集」。



 この曲は、シューマンが作曲し「ピアノの詩人」とも呼ばれたショパンに送られたピアノ曲集。第一曲から第八曲で構成され、作曲家界の「傑作」とも言われている。

 

 CRS界の難易度でも一・二位を争うアレンジ力が必要とされ、まさにシューマンの生まれた日に捧げるに相応しい課題曲なことに違いはなかった。


 会場を包み込む序盤の第一曲の音は、雨宮兎亜の象徴とも言える激しい大雨を連想させる音でアレンジされ、観客の心を、その死雨の雨音で何度も打ち抜いていた。


 ――――死雨しうの死神。


 彼女の二つ名の由来は、この音からきているのかもしれない。

 悲しみと怒り、死に対する重みと痛みを連想させる雨の音。

 会場中が、雨宮兎亜によって作られた死雨の世界に引き込まれる。


 第二曲の音は、先ほどの雨音とは違い、穏やかに心を入れ替えたかのように……。

 自身の人生をイメージして奏でた音だった。


 大切な人の死を、受け入れたように見せかけた雨宮兎亜自身の人生。

 死と隣り合わせを連想させる音の裏には、兎亜ちゃんの後悔の音が見えた。


 透子に生きていてほしかった……。

 あの日、透子の命も、優人の腕も奪ったのは全部私だ。


 私の力が足りなかったから。

 本当は救えた命も、私という存在がいなければ……。

 透子が死んで、優人は今も満足にピアノを弾けずに苦しむことはなかったんだ。

 

 優人がピアノを弾いている姿を初めて見た時、本当に嬉しかった。

 帰ってきたんだねって、おかえりなさいって、言葉を送りたかった。

 

 弾き終えた優人の前に行って、あなたと同じ騎士ⅣのCRSランクなんだよ。

 また一緒にピアノを弾こうねって笑顔で言いたかった。



 ――――あなたが、透子と優人の人生を壊したんじゃない。



 どこからか聞こえた私自身の心の声が、優人に向かう歩みをすぐさま止めた。

 透子の命を救えなかった私が……。

 優人の腕を奪った私が、何を甘えたことを言っているんだろうか……。


 優人は優しいから、何も言わずに微笑んでくれるだろう。

 大丈夫だったか、頑張ったなって頭を撫でてくれるだろう。

 

 ……まるで、茶番ね。

 本当に、何を甘えたことを思ってしまったんだろう。

 これは、私の罪であり罰。

 

 優人の身に今起こっているを知った時、私は決意したんだ。

 

 正直、恨んでなんか全くない。

 むしろ足りないくらいの感謝しかない。

 救ってくれて、命をくれてありがとうって……。


 でも、ごめんなさい……。

 皆みたいに優しく出来なくて……。

 

 それでも私くらいの壁を乗り越えてもらわなくちゃ困るんだ。

 優人の運命の歯車は回り始めた……。


 私は、これくらいのことでしか優人に恩を返せないから……。

 ああ……。 


 今更後悔しても遅いけど、やっぱり嫌だな……。

 嫌われたくないな……。

 

 私が今ピアニストとして、ここにいるのは単なる意地。

 この音が、この会場中の誰にも届かなくてもいいの……。

 

 優人と、空にいる透子……。

 たった二人だけに、届いてくれたらそれでいいんだ……。


「パパ……」

「ああ……。わかってる」


 鳥肌が止まらない……。

 兎亜ちゃんの心の叫びがピアノを通して、伝わってくる。

 

 第三曲・第四曲とアレンジを繰り返しながらも、緩急を繰り返す音の原曲の配置を崩さずに、死雨の音はいつの間にか最終曲で幕を閉じようとしていた。


 さぁ、物語も終幕。

 全身を使って、音を響かせなさいっ! 


 優人……。

 私からのプレゼントよ、受け取りなさいっ!



「――――開花しろっ、アストロメリアっ!!」



 兎亜ちゃんの声で、死雨の音が会場中に奇跡という名の雨を降り注ぐ。

 観客の赤、白と様々な色のアストロメリアの花が心の中で咲き始める……。

 

 聞く者の全ての眠っている才能を……。

 閉ざされていた可能性の未来を映し出すかのような奇跡の音を……。

 雨宮兎亜自身の「未来への憧れ」を、音に乗せて。


「……届けっ!」


 早見透子のいる空の彼方まで、響いて……。

 いい加減戻ってきなさい、早見優人っ!!

 届け、届け、届け……っ!!!!


「……っ、早見君」


「……ったく、なんで音羽が泣いているんだよ。ほら、ハンカチ」


「……っ、わからない、わからないわ。でもね、雨宮さんはきっと……っ」


 ああ、音羽。

 言わなくてもわかってるさ……。


 こんな音を聞いて、こんな想いが詰まった音を聞いて……。

 何も思わないはずがないだろうが……。


「音羽、それ以上の言葉はいらないよ。僕たちは演奏家だ」



 ――――兎亜ちゃんの演奏が終わる。



 同時に鳴り止まない拍手と共に、外から聞こえる天照雨。

 舞台から聞こえていた奇跡の雨音が静かに止む。


 アストロメリアの花が、雨宮兎亜の音によって聞く者見る者全ての才が会場中を包み、色鮮やかに花咲いていた。


 兎亜ちゃん、受け取ったよ。

 だから、僕も君の想いに全力で応えよう……。


「……演奏家は、音で物語を語らなきゃな」


 さっきから激しく脈打つ心臓が妙に心地いいのはきっと、兎亜ちゃんのおかげだ。


 さぁ、次は僕の出番だ。

 立ち上がり、目の前の舞台に足を運びながら二人に言葉を投げかける。


「白雪、音羽。いってくる」


 僕の言葉に、優しく微笑み返す音羽。

 そして、握りこぶしを両手で作ってエールを送ってくれる白雪。


「早見君、いってらっしゃい」


「頑張ってください、パパっ!」


 

 みんなの想いに応えるために……。


 僕は、僕の精一杯の音を、全力で届けよう……。

 

 さぁ、物語を始めよう!!




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