episode60:僕には、大切な人たちがいてくれたからここまでこれたんだ


きつねの嫁入りって、縁起がいいのか悪いのか……」


 日が照っているのに降る雨、天照雨さばえとも呼ばれる雨が降る日は「死雨しうの死神」の二つ名を持つ雨宮兎亜の音が、最も調子が良くなる雨だとも言われているらしい。


 六月八日、作曲家ロベルト・シューマンの生まれた日。


 裕福な家庭に生まれたシューマンだったが、彼の音楽人生においては決して決められたレールの上をスムーズに歩いていけるような、そんな生温いものではなかった。


 ドイツの音楽家、フリードリヒ・ヴィークにシューマンは師事するも、指の故障により、ピアニストを断念して作曲家になったという過去を持つと言われている。

 

 現代に生きる僕たちピアニストが彼の音楽を形にして、音として世界で何度も再現しているわけだが、どんな思いで彼が作曲家になったかだなんてわからない。


 あくまでも僕の憶測であり、漠然としたイメージでしかないが、シューマンが思い描く弾きたい音楽とは、手のひらを目の前にかざし、その僅かな指の隙間から漏れる朝日の空を見上げた時のような……。


 そんな、消えそうで消えない存在感のある音なのかな、と……。

 ふと、考えてしまったわけだが、敢えていうなれば今日はまさに……。


「決戦日和だ」


 思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 喧騒の中、もう何度来たかわからないCRS舞台館に辿り着き、僕と白雪は音羽と待ち合わせをしている会場の中に入ってからというものの、予定していた時間よりも三十分も早く着いてしまい、時間を持て余していた。


「わぁ……。人がいっぱいですねーっ!」


「もうすぐ曲の発表だからメディアも観客も注目してるんじゃないかな。それに、僅か一曲の演奏の為に一日使ってスケジュールが組まれるからね。音羽が来るまでちょっとあるし、ジュースでも飲みながら待っておこうか」


 そう言って、白雪と共に自動販売機に足を向けて何にしようか見てみると、期間限定「飲むシュークリーム」という不思議な飲み物を見つけてしまい、二人で思わず目を合わせながら、笑ってしまった。


「……よし、これにするか」


「私も気になってました!どんな味なのでしょうか?」


 お金を入れてボタンを押すと、ガタンッと音を立ててその飲み物が販売機から出てくる。

 

 それを取り出すと、サンタクロースの親戚と言っても過言でないなかなか個性的なオジサンのパッケージが目立っていた。


 さっそくベンチに座って飲むと、口の中に広がったのは不思議な味のオンパレードだった。


「お、おぉ……っ、これは……っ、粘度が……っ」


「は、はい……っ。でも……っ、甘くて冷たくて……っ」


「「これぞまさしく、飲むシュークリーム!」」


「……あなたたちは、親子揃ってなにをしているのかしら?」


 ため息交じりながらも、慈しむような微笑を浮かべるのは音羽奏だった。


 僕はなんだか無性に気恥ずかしくなり、頬を掻きながら「音羽も飲むか?」と冗談で言ってみると「~~っ、あ、あなたバカなの!?白雪さんのいる前でこんな朝早くから変な冗談言わないで頂戴。そういう話はせめて夜に……って、何を言わせるの~~っっ」なんて言いながら、真っ赤に顔を染められたので、よしとしよう。


「くくっ、冗談だよ」


 それにしても、音羽さん的には間接キスという行為は夜のお話なのね。

 もう、音羽さんったら本当初々しいんだな。お・ま・せ・さん。


「は・や・み・君?何か余計なことを考えているようね?……えいっ!」


「ちょっと、音羽さん?脇腹つつかないで、くすぐったいからね?くくっ、やめろっ~~っ」


「相変わらず仲良しですねー」


「あら、白雪さんにもしてあげましょうか?」


「えっと……えへへっ。パ、パパが羨ましいなーっと……えいっ、えいっ!」


「あの、白雪さん?さり気なく音羽側に背中を押すのやめてね?」


 そんなやり取りをしながらCRS決闘の選曲発表まで時間がまだあるから、ベンチに座ったら?と音羽に視線を向けると、コクッと頷きながら僕の隣に座る。


「……お、おお」


 ……ち、近いな。


「どうかしたのかしら?」


 キョトンと可愛らしく首を傾げながらも、隣で吐息を漏らす音が聞こえる。

 音羽の肩が触れそうで触れない詰められた距離感。

 とってもむず痒いのを誤魔化しながら、僕は咳払いをわざとらしくして話を続ける。


「コホン……ッ、な、なんでもない。それにしても、凄い人だな」


「ええ、選曲ももうすぐ発表されるみたいだわ。やっぱり、シューマンの曲から選ばれるのかしら?」


「どうだろうな。わざわざシューマンの生まれた日を指定して大会を開催するくらいだし、これでシューマンの曲じゃなかったら逆に怖いけど、CRS側の運営は捻くれているからなぁ……」


「ふふっ、でもどんな曲が来ても今の早見君ならできるわよ。今は、早く弾きたくて仕方ないんじゃないかしら?」


 正直、を聞いたときは本当に大丈夫なのかと不安に思ったが、今は早くピアノが弾きたくて指がウズウズしているのは確かだった。


「まさかあんな方法で、このCRS決闘を迎えるだなんて思わなかったよ。おかげ様で、あとは本番を迎えるだけさ」

 

 

 ――――へぇ、随分余裕じゃない。



 青みがかった髪で見た目は小さな体でも、母さんが認めた一番弟子。

 その圧倒的な音の才能で、自らの死の運命を絶ち舞い戻ってきた少女。


 そして、僕が償わないといけない、もうひとつの罪と真実。


 無表情に近い灰色の感情と瞳で僕を見つめてくる様は以前見たのと全く変わらないが、


 だからこそ、僕は笑顔で彼女の声に答えたんだ。


「久しぶり、兎亜ちゃん。待ってたよ」

 

「……へぇ、以前会ったときの優人とはまるで別人ね。この一ヶ月の間、何をしたの?」


 僕が笑顔で応対するとは微塵も思ってなかったんだろう。

 兎亜ちゃんの驚いた感情が目に焼き付き、同時に確信した。

 

 やっぱり、

 


「兎亜ちゃんが思うような技術的なこととか特に大きなことはしていないよ。ただ……」


 この言葉を白雪と音羽のいる前で言うのは恥ずかしいが、それでも僕はそれを言葉にして、兎亜ちゃんに真っすぐ伝えようと思う。



 ――――僕には、大切な人たちがいてくれたからここまでこれたんだ。



 隣にいる白雪と音羽を見ながら、言葉を紡ぐ。


「えへへっ……パパ、本当に変わりましたね!」


「ええ……。とても」


 にぱーっと嬉しそうに笑う白雪と、目を瞑りながら優しく笑う音羽とは裏腹に、一方の兎亜ちゃんは顔を伏せ、肩を僅かに揺らしながら怒りを抑えているのがわかった。

 

「……何を、言っているの?」


「これが、今の僕だよ」


「ふざけないでっ!あなたのピアノはいつだって孤独であり、死と隣り合わせであるべきよ!」


 確かに……。

 以前の僕は孤独であり、音楽とは死と隣り合わせであるべきだと思っていた。


「死の音で周りの誰一人寄せ付けなかった音殺しサウンド・キルの優人が、そんなことを言うだなんて落ちたものねっ!本物のピアニストはいつだって孤独と闘っているの。孤独を捨てた優人なんて相手にならないわ!」


「やってみないとわからないだろ?」


「わかるわよっ!透子の音も以前の優人の音もいつだって死と隣り合わせの音だった。私はその音を求めて、何度も何度も繰り返して、死と向き合って、這いつくばってでも、その音を手に入れて私はここまできたっ!それを、実の息子である優人が透子の音を否定するなんて……っ、そんな弱い優人はいらないっ!」


「否定なんてしていないさ。ただ、それだけじゃ母さんが言っていた本物の音には、届きそうで届かないんだ。それを、これからの演奏で証明するよ」


「いいわ、そのふざけた幻想を……。紛い物である本物の音というやつを、私の死雨の音で潰してあげる」



 ――――お待たせいたしました、CRS決闘の選曲を発表します。



 会場中に機械的なアナウンスが、大きく鳴り響く。


 その放送に合わせて沢山の人が僕たちの間を行きかう中、目の前にいた兎亜ちゃんがいつの間にか隣に来て、耳元でこう呟いたんだ。


「さぁ、始めましょう。私たちの物語を……。そして、私の音で今の生温い優人を殺して、以前の優人に戻してあげる」



 ―――――以前の早見優人サウンド・キルにね。




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