episode58:君は、僕の娘じゃないか。


♯♯♯


 意識を取り戻したのは、白雪が僕の腕のことを音羽に尋ねていた時だった。

 ずっと一緒にいた僕でも、全く見たことがない白雪の溢れ出した感情と言葉。


 ――――憤怒の感情。


 直接見えていない僕が、一瞬恐怖さえ感じたのにも関わらず、音羽は真摯に言葉を受け止め、白雪の本当の感情を読み解き、最高の形で僕に繋いでくれた。

 

 いくら父親と言えど、に過ぎない僕では、白雪の感情をここまで引き出すことはできなかっただろう……。


 子供離れした丁寧な口調と仕草。

 常にピアノに向き合う真っ直ぐな姿勢。

 どこか頭の片隅にという甘えが、僕の中にもあった。


 

 ――――僕の腕はなんで、こうなってしまったんだ……っ。



 つい溢してしまった後悔の音。

 何が父親だ、笑わせるなよ。

 

 自分の我儘で二人に心配かけて、仕舞には倒れて……。

 これじゃあ、心配されるのも当然じゃないか。

 これ以上、カッコ悪い姿を見せるわけにはいけない。


 両腕を使ってベットから起き上がろうとした瞬間、激しい痛みに襲われ自分の顔が歪んだのがわかった。


「……くっ」


 視界が揺れて背中から再びベットに倒れそうになったところを、白雪に悟らせないように音羽が僕の背中を手のひらで倒れないように支えてくれたのだ。


 背中に感じる音羽の優しい手の温もり。

 情けない話だが、これほど励みになるものはない。

 ありがとう、音羽。


「音羽、悪いな……っ。面倒をかけて」


「いいえ、私は何もしていない。それに、面倒だなんて一ミリたりとも思ってないわよ。それよりほら、パパの威厳を見せるところよ、優人


「ああ、これは僕の失態だからね。すまんな、手間を取らせた。あとは任せろ」


「ええ、お願いね」


 隣にいる音羽から伝わる熱が消えると同時に、僅かながら寂寥感が襲ってくるがそうも言ってられない。


 大きく深呼吸をして、僕は目の前にいる白雪と対峙することにする。

 時計の針と、僅かに聞こえる息遣い。


「……パパ」


「白雪、待たせたな……」


 今まで一度も見たことがない表情だった。

 いつもの明るい笑顔ではなく、怒っているような、悲しんでいるような……。

 そんな揺蕩う感情に彼女自身が戸惑っているような、そんな印象を受けた。

 

 それでも、僕は言わないといけない。

 パパとして、一人のピアニストとして……。

 僕は、僕の我儘を突き通した。

 


 「――――白雪、僕はピアノをやめるつもりはないよ」



 自分の声が部屋中に木霊するように、声が響き渡った。

 それに呼応するかのように、白雪も口を開く。


「……っ、どうしてそこまでしてピアノを弾くんですかっ!?ピアノを全力で弾けないなんて、足が折れて走れなくなった馬、翼の折れた鳥と一緒で、パパ程のピアニストが苦しくないわけがありませんっ!」


「……確かに。苦しくないと言ったら、嘘になるな」


「それなら、今すぐピアノをやめてくださいっ!パパが苦しむ姿を見たくありませんっ!」


「嫌」


「なっ……」


「……あ、あなた、容赦ないわね」


 白雪の意見を間髪入れずに否定したのが堪えたのか、流石の音羽も引くレベル。

 涙目になる白雪の姿に正直僕も堪えていたが、これだけは譲れない。


 負けじと白雪も反論する。


「その両腕のことを知っていたなら、私はパパをピアノの世界に連れ戻そうだなんて考えなかったですし、取り返しのつかないことになる前にお願いします!ピアノをやめてくださいっ!」


「だから、嫌だって言っているじゃないか」


「どっ、どうして……。私の我儘のせいでパパが苦しむなら私がお金を稼いで、幸せに笑っていて欲しいんですっ!」


「……君は、僕をニート候補生から本物のニートにジョブチェンジさせる気かよ。ちょっと揺らぎそうな魅力的な提案ではあるけどさ」


「それならっ……!?」


「でも、答えは変わらない。僕はピアノをやめないよ」


「この……っ、!!」


「パパっ張りってなんだよ!?」


「意地っ張りのパパバージョンですよっ!!」


「なんだよ、それ……。言わせておけば、このやろう……っ」


「いいですよ、この際言ってやりますよっ!」


「ああ、いいよ。遠慮なくかかってこい」



「「――――っ!!」」



 それからは白雪と一時間くらい口論が続いた。

 

 途中、音羽が止めに入るも僕たちは一度火がついたら止まらないことを知ってのことか、傍観者に徹することを決めたようだった。


 母さんのこと、過去のこと、両腕のこと……。

 雨宮兎亜の演奏を聞いて、こうなってしまったこと……。

 

 これまでのことを口論を交えながら、さっきまで自分が体調不良で寝込んでいたこともを忘れるくらい、本音をぶつけ合った。


 初めて傍にいて、一緒にいて、こうして話をした気がした。

 自分が大人であっても、白雪に容赦なく意見をぶつけた。


 ただがむしゃらに、思っていることを互いにぶつけ合う。

 どこにでもある日常のなんとも不格好な親子喧嘩。


 そして……。

 顔を伏せ、肩をプルプルと震わせながら白雪は下唇を噛みしめる。


「なんで、どうして……っ。パパも音羽さんも、私の話を聞いてくれないんですかっ!!そんなに私の言うことは、間違ってますか!?」


「白雪……」


「白雪さん……」


 白雪らしからぬ、大きな声。

 実に年相応の子供らしく、それでいて素直に心の内を曝け出してくれる。


 ピアノを通してでしかある意味本音で会話をしていない僕たちは、まだ互いに何も知らない関係なのだ。


「今聞いた過去があるなら、なおさらですよっ!私、間違ったことを言っていますかっ!?」


 好きなことや嫌いなこと。

 どういうときに笑ったり、楽しんだり、悲しんだり……。


「私が子供だからですかっ!?関係ないですよねっ!?あんまり舐めないでくださいよっ!」


 過去に何があって、これからどうなるのか……。

 僕も、きっと白雪も先が見えていなかったのだ。


 今後どうなるのか、予想ができない親子関係。


 雪の様に消えていくかもしれない銀色の彼女を、僕はピアノという壁を作って今まで接してきた部分がある。


 何故?

 今冷静に考えてみれば、それは失う怖さがあったからかもしれない。

 

 これ以上、踏み込んでいいものなのかどうかと……。

 関係をこれ以上築いてしまうと、別れが来たとき苦しいのではないかと。


 白雪も、それはわかっていたはずだ……。


 気になる素振りは見せても、決して自分から深く聞くことはなく、無意識に互いに境界線を引いて、踏み込むことは絶対にしなかった。


 僕の過去も、彼女の過去も、互いが互いにを通して理解したつもりで、今まで過ごしてきたんだ。


 かといって、その時間を埋めることは困難だ。

 だからこそ僕にできることは、ただ一つ。

 それは、彼女の心の内に秘めているモヤモヤを取っ払うことだけだった。


「私だって、ピアニストですっ!この先誰にも負けません、絶対負けませんっ!あの時から、クロエさんに負けた時から誓ったんですからっ!」


 これほど白雪との時間を惜しく、もっと家族としての時間を作ってあげられたらよかったなと思ったことはない。


「私は、パパの……~~っ。ただ、信じてほしいだけなのに……っ。どうしてわかってくれないんですかっ!?」


「……ああ」



 ――――この感情を言葉にするなら、なんて表現したらいいんだろう。



 感情に訴えかけて、ありのままを言うつもりはない。

 それでも自分の心が、想いが溢れ出しそうになる。


 胸が熱くなる、知りたい、感じたい、この音を共有したい。

 これはある種の依存に近いのかもしれない。


 でも、これでいい気がする。

 今こうして一歩家族に近づけている気がしたから……。

 なら、僕はそれに答えよう。

 言葉にして、白雪に、この場にいる音羽にも聞いて欲しいんだ。


「なぁ、白雪。君は、僕のなんだ?」


「えっ……?」


「僕は、君のなんだ?」


 白雪に問いかけ、自分に問いかける。


 僕にピアノを弾いて欲しい。

 自分を褒めてほしい。

 共に高みを目指していきたい。


 白雪が願った三つの願いは、どれも小さなものだった。

 それも全部、僕に前を向いて歩いて欲しいと言わんばかりの我儘ばかりだ。


 子供なら、もっとあるだろう。

 玩具が欲しいとか、友達が欲しいとか、もっとあるじゃないか。 

 

 それでもこの子は、僕の為に何かを残そうとしている。

 何かをしようとしている。

 

 そんな子の我儘を叶えてあげられることくらい、僕だってしたいのだ。

 これは単なる我儘であり、自己満足であり、男としての意地プライドだ。


「胸張って何ができるんだと聞かれて言える程のものなんて、生きてきてこの方ピアノこれしかない」


 両腕が痛み、今では欠陥だらけのピアニストだ。

 かつての僕のように、死の音を奏でた雨宮兎亜の音。

 

 圧倒的死の音の力の前に、僕は渇望した。

 そして、同時に焦ってしまったんだ。

 

 白雪の一番じゃ、これからなくなるかもしれない。

 彼女の死の音を聞いた白雪は、きっと僕の前からいなくなる。


 何を根拠にそう思ったのか……。

 何をどう間違えても、政府直属のProjectなのに……。

 あり得ない話なのに、なぜかあの時はそう思ったのだ……。


「白雪の我儘を叶えたいんだよ」


「白雪のおかげで、僕はまたこうしてピアノの世界に戻れたんだ」


「それに、君は……っ」



 ――――君は、僕の娘じゃないか。



「パパ……」


「だからさ、ほんのちょっとでいいからさ……」



 ――――もう少しだけパパに、頑張らせてくれよ。


 

「なんですか、それ……っ」


「ダメかな?」


「……本当に、パパはパパっ張りですね」


「どうやら白雪さんの、みたいね……」


「はい、今は保留ということにしておきます」


 呆れたような、何か吹っ切れたような、そんな空気が流れていくのがわかった。


「それで、その雨宮さんとの一ヶ月後のCRS決闘クラスデュエルはどうするつもりなんですか?」


「……検討中」


「パパ、もしかしてなにも考えていなかったとかは言わないですよね?」


「……なんとかなるさ。白雪、頭が痛いから寝ていいかな?」


「あーっ、パパの『なんとかなる』は、ダメって言われたんですよね?」


「な、なんのことだか……」


「……パパ?」


「僕が悪かった……」


 さっきの口論からの勢いからか、遠慮なく言う白雪に耳が痛いな……。

 残り一ヶ月、どう頑張ってもあの演奏に勝てるイメージが全くできない。

 

 白雪の言う通りなんとかなる精神で勝てるほど、この先甘くはないからな。

 さて、どうしたものか……。


「白雪さん、早見君」


「ん?」


「どうしました?音羽さん」


「実は、私に秘策があるのだけれど……。もしかしたらこれでいけるかもしれないわ」


「「……えっ!?」」



 ――――そして、一ヶ月が過ぎた六月八日。


 作曲家ロベルト・シューマンの生まれた日に、雨宮兎亜との一騎打ちとも言えるCRS決闘クラスデュエルの日がやってきたんだ……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます