episode57:早見君も私も、そんな優しい嘘がつけるあなたが本当に大好きよ


 視線を逸らすことが一切できない程の長く凍り付いた空気の中、白雪さんの出す憤怒の感情に動揺し、私は息を呑んだ。


 深く、深く深呼吸をして、その場の感情に流されないように冷静さを保つように努める。


 白雪さんが怒っている理由は、私に怒っているのも多少はあるのかもしれないけれど、それ以上にが、彼女を支配しているのがわかった。


 気丈に振る舞いなさい、音羽奏。

 彼の心の支えであり続けたいと決めたのだから、この程度のことで動揺してどうするの。

 自分の心に鞭を打ち、キリッと白雪さんを見返し、何事もなかったかのように返答をする。


「ええ、知っていたわ」


「なら、どうして……っ。どうして、それを知っておきながらパパにピアノを弾かせたんですかっ!!知っていたら、私は……っ」


「弾かせなかったかしら?」


「当たり前じゃないですか!!パパがこうして体調を崩して倒れたのも、腕の痛みからくるもので、下手したら日常生活にも影響が出るかもしれないんですよっ!?」


「いいえ、嘘ね」


「……っ!?う、嘘なんかじゃないですよ!!」


「いいえ、嘘よ」


「だから……っ」


「白雪さん」


 私は目の前にいる白雪さんの体をそっと抱きしめた後、優しく頭を撫でる。


「な、何を……っ!!」


「白雪さん……」


 どこか子供離れした丁寧な口調でいつも話しているから気付きにくかったけれど、白雪さんは十歳の子供。これが本来彼女の持っているなのかもしれない。


 彼女を支配している感情、それは「後悔」という感情に他ならない。

 この子は、本当に優しすぎる。

 

 私が早見君を知らなければ……。

 彼の語ってくれた「追憶の音」を知らなければ、言葉の通り素直に受け止めていたでしょう。


 優しさとは、時に人を傷つけるものだ。

 彼女は、それを理解して使っている。

 最終的に大切な人を傷つけることになっても、自ら泥を被ることを厭わない。

 

 それが彼女の考えであり、優しさの在り方なのだ。

 その優しさはきっと早見君から学んだことなのか……。


 それとも、もっと前から身に付けたことなのかは、わからない。

 悲しいけれど、それほど白雪さんとの時間を積み重ねてきたわけではないから……。

 

 それでも、ちゃんと理解できる。

 

 心が崩れかかっているかもしれない早見君がいない今、私にしかできない役割で、白雪さんの近くにいようと決意する。

 

 三度みたび、息を大きく吸って優しく抱きしめていた体を引き離し、叱咤に近い感情で静かに白雪さんを諭す。



 ――――ありがとう、白雪さん。でも、自分を責めるのはもうよしなさい。



「……っ」


「子供は子供らしくいていいのよ、白雪さん。私を責めることで、私が早見君にピアノをやめるように言ってくれるかもしれないという僅かな可能性にかけて、私を責めているように見せていたのでしょう?」


 目を見開き、驚きを隠せない様子で白雪さんの瞳が大きく揺れた。

 同時に、押さえていた感情が溢れ出しそうになったのかもしれない……。

 涙がぐっとこみ上げた様子で、白雪さんは声を詰まらせる。


「し、知りません……っ」


「早見君が倒れてから、こう思ったのではないかしら。って」


「そ、そんなことありません……」


 下唇を噛み、肩を震わせながらふるふると首を横に振る。


 強く、気高く大人であろうとする白雪さんはやはり凄いわ。


 私が同じ年齢の時、ここまで強くあれただろうか?

 

 これほどのまでに優しく、人の為に嘘を考え、人に向けれただろうか?

 

 銀色の綺麗な嘘は、本当に早見君そっくりだ。


 そんな嘘をつかせている私は、このままじゃいけないと思った……。

 

 だからこそ、この場で取り繕った言葉や感情はいらない。


 私の言葉が白雪さんに響くのかわからないけれど、私は思ったことを素直に伝えよう。


 大きく深呼吸をして、一言。

 彼女の心に届けようと願いを込めて、言葉を紡いだ。




 ――――早見君も私も、そんな優しい嘘がつけるあなたが本当に大好きよ。




「……っ!?~~っ」


「……ふふっ、私の勝ちかしら?」


 冗談交じりに不敵な笑みを浮かべて言うと、大きなため息と共に負けましたと言わんばかりに呆れたように笑いながら「もう……っ、音羽さん。それは反則ですよ」と、赤く頬を染めながら涙を伝わせる白雪さんは、さっきまでの可愛らしく素直なだった。


「ごめんなさい、あなたの優しさを否定してしまうようなことをして。ほら、これで涙を拭きなさい」


「えへへっ……ごめんなさい」


 持っていたハンカチを渡すと照れ臭そうにペコッと頭を下げ、それを受け取る。

 

 涙を拭きつつ、ハンカチで顔を隠して白雪さんは内に秘めた優しい嘘の正体を……。

 銀色の嘘を紐解くようにポツリ、ポツリと語り出す……。


「私の言葉じゃ、パパには届かないと思ったんです……っ」


「パパは私に心配をかけまいと、あまり自分の過去を語らない」

 

「……悔しかった。音羽さんが知っていて、私が知らないことがあるんだって……」


「前から、パパのピアノを聞いてわかってはいました」


「パパは……」


「それも、私が実力不足だからって勝手に思い込んで、日に日に練習量を増やして、パパに練習を何十時間も付き合ってもらって……。もっと高みへ行かないといけないって、思っていたんです」


「パパに褒めてほしかったんです。けれど……」


「子供すぎた、子供すぎたんです。とんでもない我儘だった……」


「パパの腕が壊れかけているとは知らずに、願ってしまった」


「なんて愚か者ですか……。親不孝者にもほどがあります……。私はなんて残酷なことをしたんだろうって……」


「だって、そうでしょう?ピアニストにとって、本気を出せないことはこれ以上にない苦痛でしかありません」


「悔しくて、しんどくて、痛くて、やめたくて……っ、それでもパパはあの舞台に立って、あれだけの演奏を見せた。いや、


 テレビ越しで見た、ショパンバラード第一番ト短調作品23。

 早見君が大会で見せた「銀色の世界」の演奏ね。


 孤独を生み、儚さを生み、悲し気に色づく銀色の世界。

 彼らしい音を殺す音殺しサウンド・キルの名に相応しい演奏だった……。


「私が高みを目指すから、パパは私の見本でいなきゃいけないんだと無意識に思っていたんだと思います」


「私が、そう願ってしまったから……」


「苦しくても、誰にも頼らずにパパは一人で弾くしかない。でも、それを続けたら……っ」


「パパが、壊れちゃいます……っ」


「なにがパパにピアノを弾いて欲しいですか。なにが高みを目指すですか。私はパパに残酷を常に突き付けて与えているようなものです……」


「だから、私はパパにピアノをやめさせなきゃって考えて、音羽さんにも酷いことを言ってでも、パパを止めて欲しかったんです……」


「白雪さん……。あなたそこまで……っ」

 

「音羽さん、率直に言います。私がもっと練習してピアノも上手くなって、お金を稼ぎます!」


「音羽さんのところでお店のお手伝いをして、もっと頑張りますっ!だから音羽さん、パパにピアノをやめるように言ってください、お願いしますっ!!」


「白雪さん……」


 この子は、どれだけの苦難を乗り越えてきたのだろうか……。


 どういう人生を歩んだらこんな風に年端もいかずに、強く、優しく、気高くなれるんだろうか……。


 自分の命を削ってでも早見君に尽くそうとするその姿は、まるでこれから先の人生を全て早見君に注がんと言わんばかりに真剣で、真っ直ぐで綺麗なお願いだった……。


「……ダメでしょうか?」


「ダメよ」


 有無を言わさずに、真っ先に否定する。


「そんな、どうして……」


「だって、それは早見君の決めることだから。それと、彼をあまり舐めない方がいい。そうでしょう、?」


「……え?」




 ――――ったく、僕のいない間に何を勝手に決めようとしているのかな、白雪。それと、僕はロリじゃないからね。



「パ、パパっ!?」


「……くっ」


 そう言って、震える両手で起き上がろうとする。

 頬から汗が伝い、痛みからか相当顔が歪んでいた。

 そして、彼の視界が僅かに揺れ、体がグラついたのが分かった。


 まずい、倒れるっ!?

 そう思い、すぐさま傍に駆け寄り、背中を支える。


「ほら、しっかりなさい……」


「あ、ああ……。ありがとう」


 驚いた表情をしている。

 大方カッコ悪いところを見せまいと立ち振る舞った結果だ。

 

 どんなに取り繕ろうとも、あとは二人の問題。

 仮とはいえ、親子同士正々堂々と真正面から本音をぶつけるしかないのだ。


「音羽、悪いな……っ。面倒をかけて」


「いいえ、私は何もしていない。それに、面倒だなんて一ミリたりとも思ってないわよ。それよりほら、パパの威厳を見せるところよ、


「ああ、これは僕の失態だからね。すまんな、手間を取らせた。あとは任せろ」


「ええ、お願いね」




 ニート候補生でありながら、人々の心を大きく動かす天才ピアニストの早見君。


 その早見君を音で救い、CRSの世界に戻した銀色の少女、白雪さん。

 

 同じ喫茶店で働きながら日に日に隠し切れない恋心。


 彼の支えになりたいと、心の底から思うどうしようもない女の物語。


 全く血の繋がらない不思議な関係は、いつかは終わりが来るのかもしれない。


 それでも、私は内に秘めた願いが叶ってほしいと思う。


 いつまでも、この三人で歩んでいきたいって……。








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