episode55:それは、僕の弱さの象徴であり、後悔の音だった


 学園で夏希先生に挨拶を済ませ、電車に乗り継ぎ帰路に着く。

 

 そして、同時に疲労感がピークに達したのか。

 玄関先で膝が痺れてその場でうつ伏せで倒れこんでしまう。

 

 白雪を音羽に預けておいて、正解だった。


「くそっ、こんな姿見せられないなぁ……っ」


 唇は渇き、喉はカラカラ。


 降っていた雨に打たれて帰ってきたからか、着ている洋服に汗と雨が染み渡ってただでさえ気持ち悪いのに、何も行動する気が起きなかった……。

 

 ――――というより、


 夢現ゆめうつつの狭間のまま瞳を閉じても、未だに兎亜ちゃんが奏でた音が耳に残って離れない。


 まるで、死を待つ雨のように……。

 雨宮兎亜の圧倒的の音の力に、僕は飲まれてしまったのかもしれない……。



♯♯♯



 ――――まるで、亡くなった魂に捧げる為に、死神が奏でる死雨のような音だった。

 

 奏でられる一音に兎亜ちゃんの感情が乗っかり、かつての僕なんかよりも遥かに超える死の音をピアノを通してその怒りを伝えてくる。


 イタリアのロマン派音楽の作曲家。

 モーツアルト、フォーレと共に並ぶ三大レクイエムの一つ。

 

 ――――ジュゼッペ・ヴェルディのレクイエム『怒りの日』。


 もっとも華麗なレクイエムとして知られるテンポがかなり早い旋律なのだが、雨宮兎亜のレクイエムは全くの別物だった。


 幾つかの試練を乗り越えて仕上がった音の数々、三大レクイエムの原曲を遥かに凌駕するほどのアレンジ力。

  

 オリジナルと言われれば、納得してもおかしくない程に上手く構成された音。

 もうすでに、このレクイエムはだった。



 ――――兎亜ちゃん、もしかしたら本物かもしれないわよ?



 かつて、僕の母は弟子の彼女にこう言っていたのを思い出した。


 母が唯一その才能を認めた女の子、雨宮兎亜。

 僕自身も「才能」という言葉を軽んじて人に使うわけではない。


 ただ、雨宮兎亜に関しては「才能の塊」だと言わざるを得ない。

 なぜなら、つい最近まで母と同じ病気だったはずだから。


 それをどういう思惑があるのか、神楽総一郎が救い導き、僅かな時間の中で騎士Ⅳに上り詰める程の実力を身につけたのだ。


 それを才能があると言わないで、なんと言葉にすればいい?


「嘘、だろ……っ」


 その演奏姿に身が引き裂かれそうな感覚に陥り、静かに息を呑むしかできない。

 この音は間違いなく、僕に悪意を向けているとしか思えない音でもあった。


 それは、そうだよな……。

 彼女にとっては、師である母、透子を殺した闇そのものなのだから……。

 

 これだけ真っ向から悪意を向けられると、なかなかきついものがあったが、今はこうして聞くことでしか罪を償うことしかできない。


「……っと、ここまでね」


 そう言って演奏途中にも関わらず、これ以上は奏でる必要性を感じないと言わんばかりに身を翻して、キーボードを元のあった場所に丁寧に置く。


「どう?これが私と優人の埋められない差よ」


「ああ……。凄い演奏だった」


 僕のありきたりな感想に、ため息交じりに首を横に振る。

 そして、僕に言い聞かせるように言葉を返す。


「……凄い?笑わせないで」


「いや、冗談ではなく僕は本気で」


「本気でそう言っているならこの程度、通過点でしかないわ。それに、つづり姉は私の全力の演奏を遥かに超えてるよ。王になろうというのなら、本気で勝とうと思うなら、このくらいの演奏は捻り潰すくらいじゃないとダメ。それに優人、今私の演奏を聞いて」



 ――――ホッ、としているでしょう?



「……っ!?」


「図星ね。これだけ私が演奏出来て、あとはとか甘いこと考えているんだど思うけど、違うでしょう……。そうじゃないわよ……っ」



 ――――もっと考えなさいよ、バカ優人。



「……え?」


 兎亜ちゃんは眉間に皺を寄せて僕を睨みつける様は、憎いとかの悪意の感情とかではなくて、まるで入院していた時に感じていた少し生意気だけど、可愛げのある捻ねた姿が一瞬脳裏をチラつき、垣間見えたような気がしたが、それは一瞬で、再び色のない冷たい目に戻っていた。


「……それに、今の優人からは全く脅威を感じない。それじゃあ今の騎士には、誰にも勝てないよ」


「わかっているさ、だから今から練習をして、なんとか……」


「いいや、わかってないっ!優人はこのまま練習すればと思ってるはずよ。だからああいう


「……おいおい、言いたい放題言ってくれるな」


「事実でしょ?それに、今の優人は昔ほど勝ちにこだわりがないのよ。演奏に覇気と欲が全く感じられない。点数だけで言えば勝てる可能性はなくもないけど、私から言わせればそれは、優人が求めている本物の演奏じゃない」


 勝ちにこだわりがない。


 確かに、言われてみれば白雪のおかげでCRSの世界に復帰して演奏していたら、ここまでたまたま運よく勝てただけで、相手が違えば結果は変わっていたのかもしれない。


 兎亜ちゃんの言う通り、前ほど誰かに勝ちたいだとか、そういうこと考えていなかったのも事実だった。


「それに、あなたの弟子の銀髪の子」


「白雪のことか?」


「ええ……。あの子の演奏の方が勢いがあって、正直よかったわ」


「とても純粋に音に向き合っている演奏で、アレンジも上手い。あなたが師匠なだけあって、技術も粗削りだけどきっかけがあればすぐにでも化けそうな才能がある。それに、あの子は『誰にも負けたくない』という強い決意を感じたわ。のんびりしていると、抜かれるわよ?」


「……ああ、肝に銘じておくさ。それで、用事があったんじゃないのか?」


「いくらこっちが挑発してもおくびにも出さないその態度、優人のそういう何でも心の中に秘めて隠し通そうとするところは、昔からとても嫌い」


 真っすぐで、思ったことを素直に言葉にする。

 僕とは真逆の性格は、健在なようだった。


「ああ、それと……。今回呼んだのは、宣戦布告よ」


 ――――六月八日。


「今から一ヶ月後。作曲家ロベルト・シューマンの生まれた日にある大会が開かれるわ。そこで優人、私とCRS決闘クラスデュエルをしなさい」


CRS決闘クラスデュエル、本気で言っているのか?君にメリットが全くないと思うけど」


「ええ、表向きではね。でも、私は違う。正式な大会で優人を音で超えて倒さないと次に進めない。そして、いつかつづり姉を倒して、王になる。そして、私の願いを叶えてもらうの」


 ――――CRS決闘クラスデュエル

 

 それは、決闘するピアニスト同士が互いに了承した上で成り立つシステムなのだが、その名の通り、ピアニスト同士の決闘だ。


 このCRS決闘クラスデュエルにはある特殊ルールが設けられている。


 それは、通常の大会とは違い、演奏者が曲を決められず、というところだ。


 その他にも細かなルールもあるが、一番重要なのはCRSランクが勝敗によって、そのままという点。


 ランクを飛ばして上にいきたいというピアニストが、兵卒ポーンからいきなり騎士ナイトに挑む演奏者も稀いるが、上がった者は神楽つづり以外では見たことがない。


 それに、王を始めとする騎士や女王同士のランクでもやるものは少ないが、CRS決闘は盛り上がりが半端じゃないのだ。


 何度か僕も経験したことはあるが、二人だけの決闘の為だけに会場が開かれるのだから、観客の質もかなり上がって、点数もそれだけシビアになる。


 それだけに開かれるときの注目度は群を抜いており「決闘」と呼ぶに相応しい会場が出来上がるのは当然。


 チャンスは一度きりの本気のガチンコバトル。


 先攻後攻の順番ですら、命運を分けると言われるのが、CRS決闘クラスデュエルなのだ。


「用件はそれだけ、もちろんいいよね?」


「……ああ、その決闘受けるよ」


「……そう。あなたを音で殺してあげる、絶対に逃げないでね」


 そうして彼女は、雨の音と共に僕の前から姿を消したのだった……。



♯♯♯



 ――――もっと考えなさいよ、バカ優人。


「……」


 目を閉じて思い返すと、何度もこの言葉が蘇る。

 彼女が何を求め、何を考え、行動しているのか……。


 この言葉の意味を理解するのには、僕は彼女との過ごしてきた時間があまりにも少なくて、足りない……いや、言い訳はやめよう。


「あの演奏を聞いて、僕は兎亜ちゃんにビビっているのかもな……」


 一瞬見えた過去の兎亜ちゃんと、今の兎亜ちゃん。

 どれが本当で、どれが本当じゃないかなんて考えるのは、僕のエゴでしかない。

 

 だからこそ、僕は雨宮兎亜の申し出に何の躊躇もなく頷き、了承した。

 その先の答えは、音でしか僕らは導き出せないのだから。

 

「怖いな……」


 本当に、今日は白雪がいなくてよかった……。


「この感情は、流石に見せられないから……」


 僕はやっとの思いで立ち上がり、ピアノ台にびしょ濡れのまま座る。

 そして、指を鍵盤において音を鳴らす。


 ずっと閉まっていた感情の音。

 誰にも聞かせたことのない後悔の音。


 何度も、何度も、何度も……。

 満足のいくまで……。

 腕が千切れようとも、もういいと自暴自棄になっていた……。


「……くそっ、響け、もっと響けよっ!!こんなものじゃないだろっ!!」


 両腕にひどい痛みが走るが、構うものか。

 もっと、もっと、もっと……っ。


 その頂の音に辿り着きたい。

 その一心で、僕は気づかなかった。

 

 兎亜ちゃんの音の影響で、音が「死」の音に近づいていることに。

 そして、音を鳴らし終えたときにはもう手遅れだった……。


「……痛っ、バカか。僕は……って、あれ……っ」


 眩暈や吐き気、視界がグラグラと揺れ動き、自分の体が自分の体じゃないみたいに床にバタリッと音を立てて、いつの間にか倒れてしまっていた。


「……~~っ、くそったれ」


 ――――邯鄲かんたんの歩みとはよく言ったものだ。


 色を消し、音を消し、意識を消し、世界を消す。

 全ての音を殺して、支配する……。


 かつての僕がそこにいて、雨宮兎亜の音に魅了され、影響されて、見様見真似で何の準備もしないまま現役時代の時のような無理な弾き方をして、両腕に激痛が走り、頭がガンガンと激しい痛みに変わっていくのが倒れてからわかった……。


「ああ……っ、もう本当に……っ」



「――――早見君っ!?」

「――――パパっ!?」



 ……ああ、幻聴だろうか、幻覚だろうか。

 いるはずのない白雪と音羽がいる気がした……。


 それでも、この押さえて隠してきた誰にも言ったことのない感情を僕は言わずにはいられなかったんだ……。





「僕の腕はなんで、こうなってしまったんだ……っ」





 ――――それは、僕の弱さの象徴であり、後悔の音だった。






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