episode53:死雨の死神


 過去の記憶を辿っていた。

 見渡せば、青春を謳歌するためのユニフォームでもある制服を身に纏い、校門を通る生徒達。

 

 ここでは、勉学やスポーツを始め、生徒同士の喜びや悲しみ。

 楽しさを分かち合い、その音を皆と共有する社会に出ては絶対得られない唯一の場所。

 かつては、僕もこの制服を着て何度もここに通ったものだ。そして……。


「ここも、懐かしいな……」


 僕達は、ピアノ研究部の一室にある顧問部屋に来ていた。

 

 適当に置いてある椅子に座り、少しずつ陽が落ち始めるのを横目に学園の時計で時刻を確認すると、短い針は十六時を指している。


 ボーッと空っぽになっていた意識のまま、窓硝子越しに外を見ると、ポツポツと霧のような音のない小雨が降り始めているのがわかり、自分の親指と人差し指を強く擦ると、少しだけ湿っているのに少しだけ眉間に皺が寄ってしまう。



 ――――季節は五月。



「もしかすると、今日から梅雨入り前なのかもしれないな……」



 ――――雨、それは脳裏に焼き付いて一生離れない記憶の欠片。



 スローモーションのように……ゆっくり、と。


 天井が爆風と共に、瓦礫が音を立てて上から崩れ落ちてくる瞬間、最後の力を振り絞って強く温かい両手に押し出されたあの感覚が、今でも鮮明に思い出せる忘れたことのない記憶。



 ――――あなたが求めていた……っ、本物の音が奏でられるわ。



「……っ」


 胸が締め付けられるような感覚に陥る。

 この場所に来ると、どうしても母さんのことを思い出さずにはいられない……。


「……早見?」


 僕が考え事をしていたことに対して、疑問に思ったのだろう。

 夏希先生の呼びかけに、首を横に振りながら、すみませんと軽く謝る。


 苦笑い気味になっている自分の顔。

 誤魔化せているかわからない下手な芝居をしつつも、今日の本題に無理矢理入ることにする。


「……それで、僕に会わせたい人って誰ですか?」


「そう焦るなって、早く男は嫌われるぞ?」


「ちょっと、色々表現が違うからね?ですからねっ!?」


「あははっ!!君も大人になったなー、このこの」


 僕の頭をポンと片手で叩きながら微笑む先生は、考えていたことを紛らわせる為にしてくれていることがわかった。


「……どうも」


「なーに、気にするな。こう見えて先生だからなっ!」


「こう見えてって、自分で言っていたら世話ないでしょうに……」


 どうやら、気を使わせたようだ。

 そんなやり取りに感謝しながらも頬を掻きながら、改めて周りをもう一度見渡す。


 変わらない資料の山と、懐かしいコーヒーの香りが鼻を擽る。

 かつては僕一人の部員数で、ここのピアノを贅沢に使わせてもらっていたのが記憶に新しい。


「ここも、変わらないですね」


「ふふっ、君と二人で仲良く語り合ったのが懐かしいな」


「……別に、仲良くはないですけどね」


「へぇ、そういうこと言うんだな。そういえば、早見。面白いものがあるぞ?」


 そう言ってニヤニヤしながら取り出したのは、手のひらサイズに収まる小さなボイスレコーダーだった。


「……ちょっと、待った」


「いーや、待たない」


 そう言って先生は不適な笑みを浮かべながら、再生ボタンを押す。

 

 すると、僕の声で「それじゃ、僕はピアノ以外で一生働かない人生を送って見せますよ。今はここの学園のルール上、ピアノ研究部の幽霊部員(仮)。部員一人で音楽室のピアノを贅沢に使わせてもらってるから、仕方なくこうして働いていますが、卒業したら先生。僕を養って下さい」と言っている音が、レコーダー越しに室内全体に響き渡った。


「いつの間に録ったんですか!?」


「私は基本、弱みになりそうな言葉はこうしてボイスレコーダーで録っておくのさ。実際、効果抜群だろ?」


「どんな基本だよ……。はぁ、先生もやることなすこと変わらないですね」


「くくっ、だろ?私に養われるかい?」


「またまた御冗談を。本気で養われますなんて言ったら先生、僕に


「ふふっ、わかっているじゃないか。面白いままの君で安心したよ、お礼にいいの見せてやる」


 そう言って、先生に誘導されてもう一つの練習部屋に入ってみると、一番目立つところにわざわざ見せつけるかのように置いてある真っ白なは、かつての青春時代を呼び起こすには十分な存在感があった。



 ――――ドクンッと、大きく高鳴る僕の鼓動。



「久しぶりだな……」


 僕の言葉に呼応するかのように窓の隙間から、ふわりと雨音と共に風に乗って、僕の頬をなぞる。



 ――――真っ白なそれは、世界で最も美しいと言っても過言ではないキーボード。



 かつて、神楽つづりが特注で作ってくれた鍵盤の指のタッチがベーゼンドルファーと同じ音と感触がする一級品だ。


 あの時の文化祭以来使っていないはずなのに、かつての相棒ピアノに触れると埃どころか傷一つなく、ものすごく丁寧に手入れされていた。


 鍵盤に今まで弾いていたかのような熱が帯びていた。

 さっきまで誰かが使っていたのだろうか?


「先生、あの……」


 僕の思った言葉を遮るように、言葉を紡ぐ。


「……さて、私の役割はここまでかな。その熱の正体は、屋上に行ってみるとわかるさ」


 目を伏せて、悲し気な笑みを浮かべながら「君なら、大丈夫さ……。いっておいで」と言って、手を横に振って屋上へ行く方向へわざわざ目配せをする。


 なるほど……。

 そこに今回の目的である、僕を呼んだ人物がいるのだろう。


「……屋上、ですね。わかりました」



♯♯♯



 屋上に歩を進める。何段もある階段を一歩ずつ、噛みしめるように歩みを続けるが、どこかその足取りはいつもよりも重いような気がする。


 一歩、また一歩と……。


 それは、僕自身が罪の意識から逃れたいが為の意味のない時間稼ぎなのか。

 それとも、その事実を無意識の内に受け入れたくないのか……。


 ……多分、違う。


 音羽に打ち明けたことにより、自身の罪の意識が完璧に消えたわけではないが、解消されたのは事実なのだからこの感情はまた別の物だ。


 歩みを止めず、屋上に自然と近づいていく度に身に覚えのある気配と存在感。

 どこかで、感じたことのある妙な既視感。


 わざわざ僕を呼んだその人物が何者なのか。

 もしかするともう、僕は知っていたのかもしれない……。


「……着いた」


 屋上に辿り着き、深呼吸を何度かしながら両手で重いドアをゆっくり開く。


 ポツポツと霧のような音のない小雨と、景色が澱んで見える灰色の空はどこか、この世界を曖昧な存在の中に閉じ込めたような、そんな世界。



 ――――予感がなかったと言えば、嘘になる。



 彼女があの事故から一命を取り留めたことを知って、僕は内心ホッとしていた。


 その後は、外国に行って日本よりもいい病院に入院することを知り、それからは連絡を取ることがないまま、僕の前から姿を消した一人の少女。

 


 ――――僕が償わないといけない、もうひとつの罪と真実。

 


「……久しぶり、優人。待ってたよ」



 青みがかった髪色の彼女は、前よりも身長が伸びて大人になっていた。

 肌色もよくなり、今では過去の面影が一切見られない。

 ただあの時よりも感情がなく、無表情に近い灰色の感情と瞳で僕を見つめてくる。



「……あなたを私の音で殺すときを、ずっと待っていた」



 母さんが認め、僕を除けば全ての優秀なピアニストの弟子入りを断ってきた早見透子の唯一無二で一番弟子の彼女。



 ――――その名は、雨宮兎亜。



「兎亜、ちゃん……」


「……そう。あなたの母である早見透子を息子であるあなたの手によって殺された唯一の弟子」


「……っ」



 ああ、そうだ……。

 さっきの既視感の正体がわかった。


 コールタールのように黒く濁ったどす黒い感情。

 温度のない風を纏い音を出し続け、誰も寄せ付けない存在感。

 

 大切な人の死を目の前で経験し、無感情に近い死に最も近い音を出し続け、その感情を観客に見せ、殺し続ける。


 



 ――――かつての僕が、そこにはいた。


 


「……あなたを、私の音で絶対殺すわ」



 かつて僕がつけていた騎士Ⅳのネクタイピンをつけて、僕の前に立ちはだかるのは、母さんの忘れ形見であり、唯一の弟子。



 ――――CRSランク騎士。ナンバーⅣ:雨宮兎亜。



 



 二つ名は、死雨しうの死神。




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