episode52:雨色の音と共に、物語は動き始める



♯♯♯



 大会が終わってから、月の兎でのバイトもない光のどけき、久しぶりの休日。


 思い返せば、紆余曲折の艱難辛苦があったが、なんとか乗り切ったように感じる今日この頃。


 ソファに寝転び、ダラダラ過ごしていると、二通のメールが届いていた。


 一通目は、音羽からのメールで「大会お疲れ様、二人のお祝いをしたいのだけれど、家でご飯でもどうかしら?」と、不安げな文章で聞いてくるのが音羽らしいなと思い、つい微笑んでしまう。


 無論、断る理由もないのですぐさま返信する。


「了解……っと、次は二通目だな……って」


 僕は、二通目の相手に思わず「えっ!?」と声に出して、驚いてしまう。


「皆月夏希……って、先生か?」


 あまりに見慣れない名前に、一瞬誰だか忘れてしまっていたほどだ。


 高校生活を謳歌しているときに、よく雑用で使われていたから、その際に連絡先を交換していたことをすっかり忘れていた……。

 

 それに、内容は至ってシンプル。



 ――――会わせたい人がいる、都合のいい日に連絡をくれ。



「久しぶりに連絡してきたかと思えば、簡単に内容まとめすぎでしょう……。先生らしいって言えば先生らしいけど……」


 会わせたい人って、誰だろうか?


 まぁ、ここで一人気になっていても、今は考えても仕方ない。


 正直、全く検討もつかないが、一応「近日中に連絡します」とだけ返信を出しておく。

 

 以上のことから、保留ってことで自身の思考を止めて、一通目の内容を白雪にも伝えることにする。


「白雪ー?」


「はーいっ!ちょっと、待っててくださいねーっ」


 呼びかけに元気な声で返事をして、ぱたぱたと走ってきてはソファで寝ていた僕の胸の中にどんっと飛び込み、頭をすりすりして覗いてくるのはシラユキイオンでお馴染みの白雪さん、僕の可愛い娘だった。


「っとと……。やれやれ、最近の白雪は甘えん坊だなぁ……」


「えへへっ、パパの胸が気持ちいいんですよっ!それで、どうしましたか?」


「ああ、音羽からメールが来て僕たちのCRSランクアップ祝いにご飯でもどうか?ってさ。その確認なんだが……」


「行きたいですっ!むしろ聞かなくても答えは決まってますよ!」


「お、おお……。随分即決だね」


「はいっ!また音羽さんと会えるんですね!とっても楽しみですっ!」


 僕の胸の中で楽しみを隠しきれないと言わんばかりに、ゴロゴロと転がっていた。


「……ふむ」


 最近、音羽と白雪の仲が急激に深まっている気がするな……。


 べ、別にヤキモチなんか妬いてないんだからねっ!と、王道ラブコメでもありそうな台詞を脳内で音羽の声を勝手に借りて、再生させながら考える。


 曰く、娘はいずれパパを疎ましく時がやってくると言われている。

 

 そのうち「洗濯物を一緒にしたくない、無理」だとか、「パパ、なんか臭いから無理」とか「もう存在が生理的に無理」と、言われる日がいつかやってくるのだろう。


 ……ていうか、どれだけ無理なんだよ。

 無理無理言われすぎて、もはや僕のメンタルが無理なんですが。


「……はぁ、白雪にそれを言われると僕死んじゃうわ」


「え、えぇぇぇ!?いきなりどうしたんですかっ!?一瞬見ないうちにさっきまで微笑んでいたパパが、目がとても腐って絶望に満ちていますよっ!?」


「……いや、全国のパパさんたちがくぐってきた試練みたいなものだからな。その時は受け入れて見せるさ、僕は白雪に嫌われないように頑張るよ」


「もうっ、私がパパを嫌いになることは未来永劫この先一ミリもあり得ませんが、パパがもし不安なら、それを払拭するくらい私もパパに大好きって気持ちを沢山伝えますねっ!」


 そして「パパ、大好きですっ!」と、ひしっとしがみつくその姿に、口元が思わず緩んでしまう。


「……うちの娘の可愛さが最早キングクラスなんだが」


「ふふっ、何言っているんですか?もう、パパは大袈裟ですよーっ」


「よし、僕の全財産やるから好きなもの買ってやるぞっ、何がいい?」


「ちょ、パパ!?最近のパパは私に甘すぎませんかっ!?」


「ばっか、娘に甘くないパパがどこにいるんだよ。そんな奴は僕が刑務所に突き出してやるっ!」


「もはや法律レベルで甘いですよっ!?」



♯♯♯



 微睡まどろみを誘う夕暮れ時、一頻りじゃれたあとは、準備を済ませて音羽のいる月の兎に向かいながら、先日の大会のことを思い返していた。


「そういえば、パパ。あのつづりさんと清隆さんって、パパと知り合いなんですか?」


「そこで真っ先にと言わない辺り、なにか悪意を感じるのは気のせいかな?我が娘よ」


「……え、パパってお友達いたんですか?」


「あの、白雪さん?純粋な目でそんなに驚かれると純粋に傷つくんだけど」


「あっ、いえいえっ!?決してそういう意味ではなくて、パパの友人って見たことないなーって思ったので……つい」


「ついって、君ね……」


「それで、実際にいるんですか?」


「……いるよ、ほら。音羽とか」


「へぇ……。パパは音羽さんとは、お友達でいいんですか?」


「……友達は言い過ぎた。仕事仲間だ」


「もーっ、パパは相変わらず捻くれていますね。素直になればいいのに、きっと音羽さんも喜んでくれますよ?」


「いいんだよ、僕らはこれで。ほっとけ」


 苦笑いしながらそんなやり取りをしていると、入り口近くで、僕たちを待つ見慣れた黒髪の彼女の姿に白雪が真っ先に気づき、手を大きく振って「音羽さーんっ!こんばんわーっ!」と呼びかける。


 吹き抜ける爽やかな風が音羽の髪を綺麗に靡かせながら、それを片手押さえつつ、小さくもう片方の手で照れ臭さそうに遠慮気味に振り返す姿はなんというか、いじらしく、とても可愛らしかった。


「……白雪さん、こんばんわ。それに早見君も」


「ああ、今日は呼んでくれてありがとな」


「ふふっ、来てもらったのはこちらなのに、お礼言うのは違うのではなくて?」


「いいや、言わせてくれよ。僕も白雪もこうして音羽が大会お疲れ様だとか、二人のお祝いをしたいとか音羽が言ってくれるから、本当に嬉しいんだぞ?」


「そ、そう……。今日はやけに素直じゃない」


「僕だって、お礼を言わない人間じゃないからな。だからありがとう、だ」


 事実、こういう形でお祝いをしようとは思いもしかなったし、されたこともなかったから、父親としても、僕個人としても本当に嬉しいのだ。


「全く、調子が狂うわね。ほら、準備ができているからご飯にしましょう」


「はーいっ!」


「……ああ、いただきます」


 そうして、柔らかい表情で僕たちを音羽は出迎えてくれたのだった……。



♯♯♯


  

 音羽との食事が終わって数日後の朝、白雪を音羽の所に預けて僕は一人、電車にゆらゆらと揺られながら空を見上げていた。


 喧騒の中、改札口を出るとそこは異様に目立つ外観で、以前まで僕も通っていた学生服を着ている人たちが何度も行きかっているのがわかる。


「……この景色も、懐かしいなぁ」


 懐かしい気持ち、というのには些かまだ早いような気もするが、それは人によっては感じ方が違うのだから、言葉としては適切だろうと自分の中で勝手に納得することにする。


「……もう、ここに来ることはないと思っていたが、なにかの因果かな」


 ――――神楽学園。

 僕が以前まで通っていた学園であり、あまり来たくない場所の一つだった。


「……やぁ、久しぶりだね。早見」


 手をひらひらと片手で振りながら壁に寄りかかって僕に声をかけ待っていたのは、白衣を着た短い金色ブロンドの髪がよく目立つ彼女、皆月夏希だった。


 神楽学園の音楽専門の教師で、かつて僕がまともに喋れる数少ない先生の一人だ。

 左目の下に泣きぼくろがあるのが特徴で、教師っぽくないのも相変わらずだった。


「どうも、先生こそお変わりなく。コーヒーでも飲みますか?」


「馬鹿者、それは私の台詞だっての」


 そう不敵に微笑みながら僕にコーヒー缶を渡してくる。


「……呼び出してすまんな。それじゃあ、行こうか」


 近くにあった異様に目立つ赤いスポーツカーに目を向けて、乗れと目を配ってくる。


 お願いしますと頭を軽く下げて椅子に座りながら、先ほど貰ったコーヒー缶のプルタブを開けて、口につけると仄かな苦みが口の中に広がった。



「会わせたい人がいる、ねぇ……」



 正直、見当もつかないまま僕は数年ぶりに学校の門を先生と共にくぐっていた……。




 神楽学園の屋上で、一人の少女が呟く。




「……今日この時を、今か今かと待ち望んでいたわ」




 ――――貴方を私の音で殺すときを、ね。




 忘れかけていたもう一つの殺しの音を、僕はまだ彼女と出会うまで知らなかったんだ……。





 ――――さぁ、物語を始めるわ。




 雨の音と共に、悲しき死の旋律が今、奏でられたのだった……。




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