第八楽章 -戦いの音-

episode50:音殺し(サウンド・キル)


♯♯♯



 ――――その世界には、水と戯れる小さな銀髪の姫がいた。


 原曲楽譜の冒頭は、本来「水にくすぐられて笑う河神の詩の一節」を題辞としていたが、白雪が序盤からアレンジを加え、生き物の在り方の原点は水なのだと証明するように、音で世界を作った。


 命の在り方は、水無くしては有り得ないと強く語るように……。

 「音」という筆で「観客」という白紙のキャンバスに、色をつけて描いて見せた。


「ありがとうございましたっ!!」


 満面の笑みでお辞儀をペコリと可愛くしながら舞台を後にする白雪。

 演奏が終わって、会場の拍手とは別に、ざわめきが止まなかった。


 それも当然、兵卒ポーンの大会に出場して、いい得点と評価されるのは、良くて六十点前後。


 この点数をとれただけでも凄いと言われているのにも関わらず、モニター越しでお辞儀をしている白雪の得点は、異例中の異例。


 騎士ナイトレベルに匹敵するを叩き出したのだ。


 ――――パパに勝利を……届けれなかったっ!!


 僕がピアノをまた始めようとしたきっかけのあの日、白雪の演奏で僅かに届かずに惜しくも敗れたフランスの女帝、クロエ・リシャールの最高得点は八十二点。


 実際での大会ではわからないが、現得点だけなら、あのクロエ・リシャールの得点を間違いなく超えたのだ。



 ――――水の戯れ。



 白雪の演奏曲は、かつて僕と出会ったときに弾いてくれたラヴェルの曲だった。


 自由に弾いていたあの頃とは違って、練習を何度も重ねてアレンジして奏でた白雪の音は、まるで本当に水と戯れる小さな銀髪の姫で、命の原点を心に刻み込む甘美な響きだった。


「……ったく、次は僕なんだけどプレッシャーだな。まさか、あそこまでの点数を出すとはさすが白雪、僕の娘だな」

 

 やっと、ここまできた……。

 

「――――続いては、早見優人さん。お願いします」


 アナウンスに合わせて、立ち上がる。

 

 歩きながら、両手で手の平を合わせる。

 小さく息を吹きかけ、手首や腕を動かし指が走るようにその行為を繰り返す。


 舞台で待つ八十八鍵の白黒モノクロの鍵盤。

 この大会で注目されるべき、もう一人の主役。

 

「ベーゼンドルファー、また君か。今日はよろしくな」


 かつて別れを告げた相棒ピアノに触れながら、挨拶を交わす。


 観客にお辞儀をして、首元につけていたネクタイを少し緩める。

 ピアノ椅子に座り、鍵盤にゆっくり撫でるように指を乗せる。


 上を見上げれば照らし出される天井からの照明は少しだけ埃っぽくて、それでいていつ来ても変わらない演奏前の観客席からの期待と悪意が入り混じった視線。


 あのときもこんな感じだったけ……。

 思わず口元が緩みそうになったが、抑えて集中することにする。


「……さぁ、物語を始めようっ!」



 そして、僕は音を大きく響かせた――――。



♯♯♯



 ――――たった一音だった。


 


 早見優人は大きく腕をしならせ、pesanteペザンテから入ったその音は、まるで心臓を直接鷲摑みするような音。


 それでいて、死神の持つ鎌を喉元に当てているような感覚で、会場中を今から死を予感させる重く圧し掛かる圧力プレッシャーを与える音を鳴らした。


「……っ」


 軋む腕が痛みに代わり、演奏できないほどの腕の痺れを予感したが、大丈夫そうだ。

 今日は、何故かいい音となって動きそうな感じがする。


 そう予感した優人はさらに指と体を踊らせるように奏でる。


 たったそれだけで、会場中の観客を鳥肌の渦に巻き込み、視線全てを、人の持つ感情全てを支配し、優人の音に捧げるように観客、審査員の皆が瞳を閉じ優人の世界に誘われる。



 ――――ショパンバラード第一番 ト短調 作品23。


 

 ショパンが作曲した最初のバラードの代表作。

 新たな物語の始まりという意味を込めて、僕はこの曲を敢えて選曲した。


 想像して、創造する音を作り出す。


 僕がしようとしていることは、もしかするとピアニストとしては冒涜な行為かもしれないが、どう評価されようとも僕はこの終わりのない求め続ける本物の音を奏で続けよう。


 縋り追い求め続けようと、重いイメージの音から一転させた。


 原曲の音と、オリジナルのアレンジ音を同時に加え、僕は最初に奏でた「死」のイメージから、かつて白雪がやって見せたであろう「生」のイメージを作り出し、瞳を閉じている観客に、銀色の景色と世界を作り出した。



 ――――銀色の世界。


 

 空から降る深々とした雪。

 頬に流れ伝う涙の雫。

 

 世界を覆いつくす銀色の世界。

 そして、一人佇む銀色の髪をした少女。


 孤独を生み、儚さを生み、悲し気に色づく銀色の世界に観客や審査員。

 視聴者ですら、息をすることを忘れていた。


「これが……っ」


「……音殺しサウンド・キル


 早見優人とその弟子、白雪が演奏するという名目で、兵卒ポーンでのCRSランクアップ大会がテレビ中継でされていて、その映像シーンに全世界のCRSピアニストは、二人に注目していた。


 音を聞いて、優人の演奏が終わるまで全く気が付かずにいつの間にか頬に伝う涙に、だろう。


 それだけに異端とされてもおかしくないアレンジの演奏だったのだ。

 音を聞いただけで、全身が「死」と「生」の矛盾に覆われる感覚。


 これまでに凄いと称賛を受けたピアニストは今でも多く存在するが、涙を誘い、演奏が終わるまで涙を流していることにさえ気づかせない演奏をしたピアニストはCRSピアニストはもちろん、プロピアニストにも、歴史上にもどこにもいなかった。

 

 それほどまでに圧倒的で、言葉にできなくて、どの演奏よりも綺麗で、美しく、死と最も近く、生に最も程遠い音のない銀色の世界で、懸命に一人生きようとする銀髪の少女の夢の音色。 


 人はこれを、なんと言葉に表現すればよいのだろうか……。

 奇跡を作り、奇跡を壊し、奇跡を物語として描くような……。


 儚く散る狭間の破壊音と、美しく奏でる銀色世界の想像による創造。

 その矛盾した二つの世界が表裏一体で織りなす早見優人の新境地。

 

 音が奏で終わる頃には涙が零れ落ちる沫雪と共に、銀髪の少女が賢明に生きる夢の音が、最後には儚く音を立ててゆっくり消えていく……。


 夢から現実に帰る終焉の音で、現実世界に帰ってきたかのように観客全員が瞳を同時に開けた。


「……ぐすっ」


「ああ……っ、これは……っ」


「鳥肌が止まらねーよ……っ」


「帰れないわ、足が震えて……っ」


 観客が、視聴者が、審査員が、早見優人の演奏に口を揃えてこう呟いたのだった……。



 ――――音殺しサウンド・キルが帰ってきたんだ、と。



「パパっ!!すごーいっ!!!!!!!!!!」


「「「「「ブラボーッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」」」」


 

 大歓声の中、優人は誰にも聞こえないであろう一言だけ、優しく微笑みながらお辞儀をした。

 


 ――――ただいま、と。 



♯♯♯



「それじゃあ、行こっか」


「……ああ、そうだな」


「びっくりするかな?」


「さぁな、でも行くんだろ?」


「うん、それが僕のやりべきことだと思うんだ……っ」



 彼女もまた優人の演奏を聞いて、踏み出さずにはいられなかった。

 理性よりも本能が、本能よりも、運命がもしかしたら、そうさせたのかもしれない。


「ねぇ、清隆」


「ん?」


 王が牙を潜め、本物の音を聞くと目覚める。

 最後まで待とうと思った、ここに来るまでゆっくり座ってようと。


 事実、神楽総一郎がそう命じたように。

 しかし、聞いてしまったのだ。

 早見優人の世界を知ってしまった。


 演奏において、音速の戦乙女ラディカルヴァルキリーの二つ名を持つ彼女は、音という化け物の魅惑を誰よりも理解し、誰よりも欲して、誰よりもそのいただきに存在したいのだ。



「――――もう、待てないや」



 ……これが、彼女。


 神楽つづりが、音速の戦乙女ラディカルヴァルキリーの二つ名を持つ本当の理由なのかもしれない。






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