episode46:今夜、一緒に寝てもいいかしら?


♯♯♯


 人間である僕たち哺乳類は言葉をもって協同し、労働する生命体として定義されるが、その他にもこれから起きるであろう未来が選択ができるのも特徴だ。


 人は物事を選択し、行動し、実行して、結果が決まり、また想像して、行動して、選択する。それを繰り返しをして、辿り着きたい未来を自ら切り開くことが人間の生きる醍醐味だと僕は思う。


 ――――では、問おう。


 「お泊り」という言葉に男という生き物はどれだけの想像を膨らませ、妄想するのだろうか。


 お菓子パーティーや映画を見たり、トランプやテレビゲームに興じるのも悪くはないだろう。はたまた、共に音楽を奏でたり、本や漫画を見たり、普段は作らない料理なんかを作るのも楽しそうだ。


 だが、これは関係性が親しく友人が同性だった場合のみに限るのだと思うのだ。


 友人なんて呼べる人はこれまでの人生の中で片手で足りるくらいだし、むしろ今となっては連絡を取っていないのだから、そもそも友人関係が続いているのかさえ、正直怪しいところだ。 


「それが、どうしてこうなった……」


 夕刻、演奏が終わって二人から拍手を貰った後、音羽から「お礼にご飯をご馳走してもいいかしら?」という言葉に素直に甘えることにしたのだが、冷蔵庫に食材が足りないことに気づき、近くのスーパーまで買い物に行ってまではよかったのだ。


 しかし、一時間程経った頃だろうか。

 夕飯の支度中に、突然の豪雨がやってきたのだ。


 天気予報では九十パーセントの確率で晴れだったのにも関わらず、神様の悪戯なのか。外に出れないほどの豪雨で、テレビをすぐさまつけると「十年に一度のゲリラ豪雨」とのことだった。


 どれだけ十年に一度がやって来るんだろうかとか、そんなありきたりな疑問はさておき、この町も特別警戒区域にまで入っており、流石の音羽でもこのゲリラ豪雨は予想していなかったのか、僅かばかりため息を漏らしていた。


 その姿を見て、白雪が名案を思いついたかのように、あっ!と声を出しながら「よかったら、泊まって行きませんか?」と、笑顔で音羽に問いかけたのだ。


 目を見開きながら沈黙し、時間が経つにつれ、頬を赤く染めながら「その、白雪さんがこう言っているのだけれど、早見君……どうかしら?」と僕の方に視線が向けられる。


 全ては僕次第ということになり、白雪も「いいですよね、パパ!」としがみつかれる。


 ここまで可愛くおねだりされて「やだな、うちの娘めちゃめちゃ可愛いんだけど、シラユキイオンが止まらない件について」と心で一つスレッドを立て、一人で白雪の可愛さを語ってうつつを抜かしている場合もいかず、結論を出す。


「着替え、僕のでいいか?そのままじゃ、その……眠れないだろ」


「え、ええ……。でも、いいのかしら?」


「いいよ、別に……。この雨じゃ仕方ないし、そのまま帰して事故にでもあったら流石に目覚めが悪すぎるだろ。僕の心の安寧の為に泊まっていけ、いいな」


 少し投げやり気味な言い方にはなったが、勘弁してほしい。

 童貞男子が初めて女の子を家に泊めるのだ。


 白雪がいるとはいえ、心の準備もしていないのにこの展開って、どこの恋愛小説の王道展開だよ!と、心の中でツッコミを入れながら、自分の顔が火照ってきているのがわかる。


「あっ、パパ照れてるーっ!パパのそういうところ、凄く可愛いですっ!!」


「……っ、パパに可愛い属性とかいらないからね。ほら、ご飯をご馳走してくれるんだろう。それまでは音羽の寝間着とか準備するから僕は部屋に一度戻るよ」


「ふふっ、ありがとう。料理が出来上がったら呼ぶから、それまでは部屋にいてね」


「音羽さん、私もお手伝いしますねっ!」


「ええ、ありがとう。よろしく頼むわね」


 泊まるからには腕によりをかけるわ!と、意気込んでいたのがつい先ほど。

 そして……。


「お待たせ、出来上がったわよ」


「パパ、凄くないですか!?すごく美味しく出来ましたよっ!!」


「おいおい……」


 手際が良い音羽と白雪から自信満々に食卓に出されたのは、世界三大きのこの一つ、ポルチーニ茸を使用した本格パスタだった。


 その他にも、綺麗に三色に彩られたテリーヌや、高級ホテルなんかでよく見かけるコーンスープやパエリアなど、プロ顔負けのイタリア料理が食卓には並んでいた。


「随分時間が掛かっているなと思ったら、これは本気出しすぎだよ。いや、美味そうだし、嬉しいけどね」


「あら、当然よ。私と白雪さんの最高傑作よ、味も見た目も三ツ星レストランに引けを取らない美味しさだと自負するわ。それに、早見君のピアノを間近で聞けたのよ、これでも足りないくらいだわ」


「いやいや、そんな大層なもんじゃないからね。まぁ、人それぞれ思うことは自由だから否定はしないけどさ。それじゃ、早速……いただきます」


 そう言って僕は口に頬張ると、今まで食べた物の中で一番美味しいんじゃないかと思うくらいの美味さが口の中で広がった。


「どうかしら?あなたの口に合えばいいのだけれど、美味しくなかったら言ってちょうだいね?」


「……ふむ、味も見た目も三ツ星レストランに引けを取らない美味しさだと自負するだけはあるな」


「えっ?」


「……美味すぎるってこと、おかわり」


「パパ食べるの早いです、いつの間にっ!?」


「早くしないと僕が全部食べちゃうぞ。この美味さなら何回でもおかわりできるからね」


「……そ、そう。当然よ、待っててね。おかわりを持ってくるわ」


 そう言いながら、音羽は空になった皿を持って追加の料理を盛りつけに腰を上げると、僅かに口元が緩ませながらグッと下でガッツポーズをして嬉しそうにしていた。

 

 そこまで嬉しそうにされると、言った僕もなんだか嬉しい気持ちになる。


「さて、次がくるまで他の料理をいただくとしますか」


「あっ、ずるい!私も食べます!いただきまーすっ!!」


「おお、白雪もいい食べっぷりだな。どっちが多く食べれるか勝負するか?」


「いいですよーっ!たとえパパだろうとこの勝負、負けられません!」


「……はぁ、仕方のない人たちね。二人とも慌てないでよく噛んで食べるのよ」


「はーいっ!」


「ああ、ありがとう……」



 なんだろう、この気持ちは。


 ありきたりだけど、とても温かくて。


 雪のようにゆっくり募るこの気持ちを、なんて表現したらいいんだろう。


 初めての出来事なのに、不思議と懐かしい感じがした。


 一台のグランドピアノ。

 

 本棚に閉まってある数多くの楽譜や小説。


 寝る為にしか使わないベット。


 純粋にピアノを弾く以外なにもない冷たい環境。


 住み始めたばかりの頃は、必要なもの以外は全く置いていなかったのに、いつの間にか見渡せば沢山の物が増えていた。


 可愛らしい小さな洋服や靴。


 紅茶を淹れるティーカップや料理に使う皿もいつの間にか多くなっていて。

 

 少しずつ変化する環境や温度に触れて、僕自身も少しずつ変わっていっているんだと思う。


 それが幸せというものなのであれば、それは嬉しいことのはずなのに。


 でも、少しでも油断するとそれはこぼれ落ちそうで、怖くて、溢したくなくて。


 そんな一つ一つのやりとりを大事に噛みしめながら、ほんの少しだけ泣きそうになるのを抑え、僕は目の前の料理を楽しむことに集中した。

 


 ……そして。


 

 今夜、鳴り止まない豪雨と雷がいまだ鳴り響く中、僕は音羽のこの一言で人生最大と言ってもいいほどのイベントを迎えることになるのだった。



「……あの、早見君。その……っ」


「ん?どうした?」


「……非常に恥ずかしいのだけれど」



 ――――今夜、一緒に寝てもいいかしら?



「……え?」


 両手を顔に当て隠し、恥ずかしそうにしながら下を向くその姿に「え、えぇぇぇぇぇぇぇ!?」と心で叫びながら、僕は頭を抱えることになった。



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